人は過去の記憶を元に
ものごとを考えますよね。
逆に言えば、
記憶にないものは発想さえ浮かびません。
本当はもっといい方法があっても
経験してないと選択肢に上がらない。
過去の経験で
しっかり、
ちゃんと、
まじめに、
しないとダメ!
という経験が積み重なっていると
そこに留まろうとします。
固い信念から出てくるものは
固くなりがち。
そういうときは
自分の発想の源を遡ってみるといいかも。
自分の考え方の根本を疑ってかかります。
本当にそれしかないの?と。
心が柔らかくなると
気づかなかった発想が出ることもあります。
自分が本当にやりたいことか否かは、
身体の反応に委ねてみよう。
なんとなく重く感じたら
身体は拒否してる証拠。
軽く感じたり
想像すると楽しくなってくれば
身体はオッケーサインを出している。
今は、
頑なになっていたことに気づくタイミングかも。
頭も心も柔らかくしていきましょうね。
冬季オリンピックの余韻に浸るのも束の間、
今はWBCの野球が盛り上がっていますね。
日本人が世界で活躍しています。
ブラボー!
と拍手を贈りたい👏
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戦いと聞くと、
闘志をメラメラたぎらせるイメージがあります。
アドレナリン全開で突き進む!
多くの場合はそうですが、
異端なものを見つけました。
それは日本の武道。
空手、柔道、剣道、合気道、古武道。
一般的な戦いはアドレナリン系なのに対し、
武道は静けさを保っているよう見えます。
(とくに日本古来から伝わるもの)
静けさの正体は何でしょう?
ぼくの想像ですが意識を
「場」に合わせているように感じます。
戦いは相手と戦います。
達人レベルになると、
意識は相手だけでなく、
場に合わせているように見えます。
静けさの中に気配を感じる。
相手の神経の動きを察する。
場を味方につけて圧倒する。
武道については素人ですが
そのように見ています。
日本人はもともと空気を読む、
気配を感じることに長けていますよね?
空気を読む
気配を感じる
その時の状態はどうでしょう?
内側は凪のような静けさを保っています。
(アドレナリンは収まったまま)
その時の意識は「我」を離れ
拡張しているのだと思います。
自分と認識している領域が
身体という枠を超えて広がる。
認識の領域が広がれば、
他を無駄に叩きのめそうとしない。
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これから人間は二方向に
分かれるような気がします。
・アドレナリン系の戦うモードの人
・内なる静けさを保ち場と共にある人
個人的には後者でありたいと思います。
あなたはどうでしょうか?