今、目の前には二つに分かる道があります。


一つは、

慣れた親しんだ道ながら

険しくキツい道。



もう一つは、

軽やかに気持ち良く進める道。



二つの道は、

楽と、苦の、コントラストが

はっきりしています。




どちらを選ぶかは自分しだい。




ふつうの判断なら楽な道を選ぶはず。




でも、罪悪感を持っていた頃は、

なんと、

わざわざ苦の道を選んでいたんです。



自分を罰したい気持ちに駆られるのです。




罪悪感は正常な判断さえ鈍らせます。




いろいろあって

罪悪感や自己否定が薄まった。



重りが外れて軽くなった。



やっと、二つの道の進むべき道へと進めそう。



軽やかに踏み出していきましょう♪








「なぜ、その前提を採用しているのか?」という投稿をしました。



不安と混乱の中にいたことを俯瞰しました。


親元を離れても、
親と似た関係を社会の中で作っていました。


人間関係において
相手が上で自分が下という構図が
常にありました。


相手に対して、
機嫌を損ねてないか?
期待に応えているだろうか?

と評価を気にしていたんです。


自分の心の状況は相手のご機嫌しだい


人間関係の上か下かは、
下側がレギュラーポジション。



すると相手はおのずと
「こいつはオレの言いなりだ」と認識します。


このような歪な関係を無自覚にしていたんです。


おかしい。

自分の人生を生きている気がしない。

自分であって自分じゃないような
感覚に陥りました。


それもそのはず。

自分の存在価値を相手に委ねていたからです。



だけど、

相手のご機嫌なんて、
コントロールできないですよね。

そりゃ、人に委ねていれば
心は不安定になるのも当然です。


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、、ということが、
いろいろ分かったところです。


気づきを機会に
過去のやり方を変え始めました。


評価を気にするのをやめる。

ただ、長年の習性は完全には拭えません。


そういう時はこうします。


今、人の評価が気にしてたな。


まあ、徐々に変えていけばいいさ。



このように自分の心の動きを
モニタリングして実況するんです。


過去の習性を、
第三者目線で少しずつズラす。


ズラしを重ねるごとで、
心の重心が相手から自分へと戻ってきます。


そんなことを続けてみたところ
変化が起きてきました。


上の人と見ていた相手に抵抗が減ってきました。


肩書きのある人。
年上の人。
実践のある人。


今は、一人の人間として
向き合い始めたところです。


今、感覚がとても楽です。


不安が減って、抵抗も薄らいできた。

言いたいことが言えるようになってきた。



何かを成したわけではないけれど、
心穏やかに過ごせています。


「自分である」という感覚の一致が
戻ってきたように思います。


昨日は、滋賀県の近江八幡に

日帰りドライブに行きました。



日帰りとはいえ

日常と異なる景色に触れて、

気分もリフレッシュ。




ラコリーナか面白かったですよ。



夏の太陽に照らされて緑が眩しい。





同じ毎日が続くと

感度が鈍くなっていくじゃないですか?


(知らず知らずのうちに)



そうならないように、

意図的に非日常に触れるようにしています。




いつもと違う景色を見ていると、

感覚に刺激を与えられます。



新しい土地


その土地の文化


そこにしかない空気



その刺激が感覚の養分になります。




また、仕事にも活きてきます。





自分の良さを一つ挙げると、

(自慢っぽいけど)

人と違ったものの見方

をすることだと思っています。




ものの見方を養うには、

新しいものに触れて、

感覚に栄養を与えることが欠かせません。




早く仕事に取り掛かった方が

いいという考えもあります。


大半はそうでしょう。



でも、一見遠回りなことが、

後で振り返ってみると

近道になることもありますから。




ちょっと分かりにくい例えですが、


目的に到達するために、

明後日の方向からアプローチすることが、

相手の心をキャッチし、

結果として近道になることもあるんです。



それって、考えてやろうとしても

絶対出てこないもの。



感度とか、センサーとか、

そういうものが働きます。

 


一見遠回りなことが、

ものの見方を広めることになる。



人生に置き換えてもそう言えますよね?



ということで、

今後も時間をとって

ぶらりと旅に出かけようと思います。