風の時代の成功法 -19ページ目
「行動がだいじ」だと、
あっちも、こっちも、
耳にタコができるほど聞きます。
行動するから変化が起きる。
そこに異論はないけれど、
そもそも、
その行動は何のためにするものか。
問いを置くといいかもです。
自分のやりたいことならやればいい。
でも、
人の期待に応えるためだったり、
評価を意識したり、
また、
不安から目を逸らするためなら、
どうでしょう?
案外そういう人が多そう。
行動しなければ何も起きない。
それはわかる。
成功した人は行動してきた。
それもわかる。
ただ、成功した人は、
在り方が整っていたと思う。
前提がだいじなんだ。
逆に、在り方がズレたままやると、
結果も出ない。
結果が出ないのは、
行動が足りないからだと自分を責める。
教えてくれた人に非難は向かわず、
不甲斐ない自分を非難する。
そうならないためにも、
やり方より、
在り方というように、
本来の状態に還ることが先だと思うんです。
在り方がズレたままだと、
やり方もズレちゃう。
在り方が、根っこで、
やり方は、枝や葉だから。
在り方を整えれば、場と共にあれる。
自分も相手も一体化する。
我から始めれば、
どっちが勝ったか?
どっちが偉いか?
どっちが、、、?
その結果、
得たはずなのに満たされない。
得たはずなのに不安が消えない。
こんなはずじゃなかった。。
在り方がズレたままだと、
結果もズレる。
だからまずは、場に意識を置く。
ぼくが見つけたように言ってるけど、
何のことはない。
先人たちが、ずっと前から言っている
在り方を表すもは、
呼吸、余白、間、肚など身体的なもの。
人は頭よりも、
本来は身体が優位じゃん。
(そう思える)
考えて分からなくても、
感覚は察知している。
場に意識を置くマスターレベルになると、
何も語らずとも、
「お主できるな!」
と相手を察知する。
(見立ては驚くほど正しい)
そして無用な争いもしなかった。
これまで、やり方による競争は
分断が進みました。
個人も、社会も、国レベルでも。
「う〜ん、なんだかおかしいな」、
と気づいた人から、一旦立ち止まる。
(行動本位でいいのかと)
そして思う。
やり方の前に、
在り方じゃなかろうか?
そして在り方を捉え直す。
このような流れを経て、
相手より優位になる競争から、
つながり、一体化(和)し、
実りを増やし、分かち合いへ進む。
2026年は、
今までの延長線じゃなく、
我から場へと移る元年になるじゃろう。
(大胆予測)
今日の内容は共感が得られないけど、
書いてみます。
(気づきを深めるために)
今日、職場で、
意識を、我から場に移してみました。
「意識を場に移す」って謎ですよね(笑)
よければ、このままお付き合いください。
場から状況を観測すると、
職場全体がよく見えてきます。
「間がわるい人」、っていうじゃないですか?
間がわるい人がいると、場が乱れます。
流れが詰まり、
人の集中が途切れ、
ストレスが溜まってくるのがみえます。
効率もわるくなるし、
精神的にもよくない。
でも、
間のわるい人は気づけない。
(ただ、ぼくにとっていい実験でした)
場に意識を置いて見るとは、
全体性から見ることで、
見え方が異なります。
また、場に意識を置いたまま
声を発すれば、それは場の声になります。
人の評価は気にならず、
誰かへの遠慮もない。
ただし、
本人に操作する意識が入れば、
一気に我に戻る。
「場に意識を置く」とはそういうもの。
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日本は、
場を大切にしてきた文化があります。
茶道、花道、日本庭園、
神社やお寺の掃き清められているように
場をだいじにしてきたんですね。
静寂の中に安定あり。
そういう場には、
操作や評価が入りません。
日本の先人たちは、
場に意識を置けば状態を良くすると、
知っていたのでしょう。
今、日本に受け継がれてきた
場の精神性は薄らいでいます。
代わりに、
我の拡張の先に、安らぎや安定があると
信じていますよね?
でも、
なぜかそれらを追い求めても、
不安や不満は消えそうもありません。
意識を我から離れて場に移す。
それが状態を良くすることに
つながってそうです。
地味で、
賞賛もなく、
刺激もない。
だけど、
内面は整い、
静かに満たされていく。
意識を我から場に移す。
だいじなものを
思い出しているところです。
価値観の移り変わり
について話そうと思います。
今まで信じてきた
「成功」が揺らいでいます。
(いい意味で)
これまでぼくらは、
成果やお金にフォーカスし過ぎ
だったのではないかな?
お金って、すごくわかりやすい。
・数値化されている
・身近な物差し
・ランキング可能
一方、
自然界は「場の状態」を示すもので、
お金と違ってわかりにくい。
よって、
人はわかりやすい方に価値の基準を置く。
でもね、最近になって
「場の状態」こそだいじだと思えてきたのです。
例えてみましょう。
質問です。
あなたにとって心地よい場はありますか?
それは、どのような場ですか?
ちょっと思い出してください。
その価値はお金に換算するといくら位?
もし、手放すとするなら、
いくらで手放せますか?
もしかして、
お金に換算できない価値になるのでは?
だとすれば、
心地よい場は、お金以上の価値が
あるとも言えそうです。
でも、残念なのは、
人間は数字で見えないものには
価値を感じにくいのです。
今まで価値を感じなかった場にこそ、
とんでもない価値がありそうです。
場を表すものを例にしますね。
果実は、
肥沃な土地と、
恵みの雨と、
光を降り注ぐ太陽によって、
果実が成ります。
果実が成ると書いて「成果」ですよね。
場が整っていれば、
いくらでも果実は成ります。
(成果は生み出し続ける)
ということから、
豊かさの本質は、
果実(お金)ではなく、場にある。
場を作物ではなく人間に例えると、
・相談できる人がいる
・気にかけてくれる人がいる
・一緒に笑ってくれる人がいる
・一緒に泣いてくれる人がいる
・ご飯が美味しいね、と喜び合える人がいる
・手伝うよ!と言ってくれる人がいる
ここに書いたような場をもっていたら、
既に、とんでもなく豊かです。
成功の本質は、
果実(お金)よりも、場の状態にある。
いい場が整えば、
果実はいくらでも出来る。
本来の価値とは、
心地よい場(関係性の良い状態)にあり。
それならあるし、持っていた。
ありがた〜い、
あるものを認めていきましょう♪

