若かりし20代前半にバイクに乗っていました。
漫画「バリバリ伝説」が流行ったこともあり、
友人たちもバイクに乗っていました。
バリバリ言わせるほどの腕もなく、
トコトコ乗る程度です。
ある日、友人たちと峠にツーリングに出かけました。
アップダウンあり、カーブあり、腕が試されます。
友人たちに負けまいと調子に乗って走っていたところ、
ヒヤっとすることが起きました。
左カーブを曲がる時、
バイクが対向車にどんどん近づくのです。
うわっ!やべぇー
危うく衝突は避けましたが冷や汗タラタラ。
しばらく心臓がバクバクしました。
事故らずによかったぁ。。
事故りそうになった時、こういうことが起きていました。
バイクは体の重心を傾けて曲がる乗り物です。
重心を傾ければ曲がります。
ぼくは左に曲がりたいのに、
視線を右に向けたため、重心が右に残ったのです。
目線を向けた方に進もうとするのです。
目線を向けたものが目に入るようになる。
(意識)
このことは他のことにも言えませんか?
自分が気になっていることを、
たまたまテレビの特集で見た。
友人との会話に出てきた。
街を歩いていると遭遇した。
そういうことって往々にしてありますよね。
これが、
「意識を向けたものを、多く見ることになる説」です。
(もっとスマートな表現がある?)
ぼくの経験で例えますね。
ぼくは、人の問題を解消してビジネスを起こそうとしました。
まあ、当たり前のことです。
ビジネスの基本は誰かの問題を解決することっていいますし。
そこで、困っている人たちが、何に困っているかをリサーチしました。
そして、困っている人の役にたつビジネスを始めました。
実際、それでうまくいった時期もありました。
ただ、やり続けてどんどん苦しさを感じるようになったのです。
なぜなのか?
最近になってわかったことがあります。
それは問題を抱える人を
「可哀想な人」と捉えていました。
ぼくが可哀そう人を救おうとしたところ、
可哀想な人を多く見るようになりました。
バイクの話しのように、目を向ける方へ進むようになる。
意識を向けたものを、多く見ることになる。
そのことが、しんどくなっていたのかもしれません。
ぼくが可哀そうな人を救いたいと思うのは、
「母親を可哀想な人」と思っていたのが原因でした。
でも、実際はぼくがそう思っていただけで、
母は自分を可哀想な人とは思ってないようです。
先日の会話でわかりました。
人は目線を向けたものをよく見るようになる。
大きな解釈をすれば、
「意識を向けた世界の中で人生を生きている。」
自分が見たいものを見ていた。
そんなことが言えそうです。
本当に自分が見たいものは何だろう?
自分が行きたいステージはどこだろう??
今まで居た世界は充分見ることができたから、
そろそろ新しい世界を見たくなってきました。
今回の話しを通じて、
「自分もそうだったかもしれない」と思うことはありましたか?
本当にやりたいことは何だろう。
本当になりたい自分はどういう自分だろう。
自分に正直になって、見たいものに意識を向ける。
そこから始めてはいかがでしょうか。