パシャッ、パシャッ、と

カメラ撮影してきました。 



今日は、親子撮影会のカメラマン。



いや〜、楽しかった。



シャッターを連射すると、

みるみる、いい表情が!



子どもも、大人も、いい顔してる。



撮った写真はお店で掲示。



後日、ご家族にプレゼント。



写真のいいところは、

その場の空気感が伝わること。



操作ではない自然さが、

そのまま現れます。



飾らない自然さが、一番、魅力的なんです。




撮って楽しい、

見て楽しい、

渡して(プレゼント)楽しい。



言葉はなくとも、

コミュニケーションって取れるんですよねー。



来月もまた撮ろうっと♪


家庭 = 家族の暮らす場所


職場 = 仕事を行う場所




いろいろな場があります。



どんな場においても、

「場が整えば、場は回る」と思っております。



どの場においても、

複数の人が居ますよね。



それぞれ、

個性も、価値観も違います。



違う者同士が、

同じ場にいることが前提になっています。




違う者が、

ハナから同じ方向を見るのは稀なこと。




互いが違う方向を見ていれば、

場が整っていません。





世間をみると、


場が整ってないにもかかわらず、

行動を始める様子が見えてきます。




行動はだいじ。




だけど、

自分本位になれば、我が立ちます。




我か立てば、相手を操作したくなる。



当然、相手は操作されたくありません。



( 操作する人=依存したい人は成立する)





操作が加わると、

ギスギス摩擦が起きます。




周りを見ても、

そうなっていませんか?




行動するのは素晴らしい。




でも、その前に、

状況を整えることが大切。



それが、やさしさであり、

相手を尊重することじゃないかな。




まずは、

同じ場にいる者同士の状態を整えよう。




良好な状態になれば、

事はスムーズに運びます。




「場が整えば、場は回る」




そこんところ、意識してやってみよう!











ぼくは、常々心でつぶやいていた言葉があって。


それは、

「本当は、こうなのになぁ」というつぶやき。



ぼくには見えていながら、

他の人には見えてないものがあるようです。



自分は特別な存在だ、

と言いたいわけじゃありません。



それどころか、

孤独を感じる原因になるものです。




毎日の暮らしの中で、

見ていればふつうに見えてくることがあります。



みんな当たり前だと思っているけど、

「これって本当はこうした方がいいのに、、」



時々、そういうことが起きます。



だけど、そのことを伝えても人には理解されない。





理解されない孤独です。




伝わらないなら、伝え方の工夫をしてみようと、

いろいろやってみました。



比喩を入れたり、

図解にしたり、あの手この手で。



でも、うまくいかなかった。




そういう失敗を経て、

いまは思い直しています。





そもそも、理解されなくてもいいんじゃない?





理解される必要はないから、

同じことが続いているのかも?



人に理解されることより、

自分が良いと思うものを、

据え置くだけいいんじゃないかな。



そう思えたのは、

撮影会用の子どもの写真を撮っていた時、

自分の心が弾んでいたのです。



写真を撮っていた時の喜びは、

写真を通して空気感で見た人に伝わります。



ぼくは、写真に写っていないにもかかわらず。




えぇっ?



伝えたいと思った時は伝わらない。


でも、伝えようとしなくても、

心が弾むものに打ち込めば自然と伝わる。



そういうものに思えます。