繊細な人がいます。   

 

 

 

 

ふつうの人がスルすることを、

繊細なアンテナでキャッチします。

 

 

 

 

心の網目が細かい。

機微に触れる能力が長けている。

 

 

 

 

 

ただ、繊細がゆえにちょっとしたことで傷つきやすい。

 

 

モヤモヤを引きずる。

 

 

 

 

 

 

一方、情感が豊かに味わえるのも繊細さの特徴。

 

 

・美しい風景に心打つ

・素晴らしい音色に共鳴する

(音響がいいと全身で音を浴びる感じ)

・人の心の動きをなぞるように感じられる

 

 

 

 

 

繊細さは「解像度の高い感覚」と言えそう。

 

 

 

 

 

 

 

ネガに振れやすいけど、ポジにも振れやすい。

 

 

 

 

 

自分が繊細なタイプなら、

性質と上手くつきあうといいですね。

 

 

 

 

 

たとえばこんなふうに。

 

 

 

 

【ストレスがかかるものから遠ざけよう】

 

・イライラしている人

・マウントしてくるの人

・悪口の輪から逃げる

・騒音を避ける

・埃っぽいのが苦手だから掃除はこまめに

 

 

 

 

 

 

【居心地がいいものを選ぼう】

 

・肌触りの良い肌着やタオルを選ぶ

・気をつかわずに済む人と過ごす

・美しいもの、心惹かれるものに触れる

・好奇心が向くものに出会いにいく

 

 

 

 

 

 

ストレスがかかっているのに放置したら

何をやっても低調になった。

 

 

 

 

一方、心地良いものと触れていると、

自分の調子も良くなっていく。

 

 

 

 

 

きっと、周りに同調しやすいのだろうね。

 

 

 

 

 

良いも悪いも、モノ・人・場所などに

同調しやすいのが繊細さの特徴みたい。

 

 

 

 

 

ということから、

 

自分をだいじにすることは我がままではなかったんだ。

 

 

 

 

それどころか、自分も周りも良い方へいけるじゃん。

 

 

 

 

 

 

繊細さをもつ人は、

その性質とうまくつきあえば

幸せを深いところで感じらるタイプ。

 

 

 

 

 

繊細に生まれたことは、

ツイテいると思って良さそうですよ。

 

 

 

 

自分とつながりが濃くなると、

判断に迷いがなくなります。

 

 

 

 

周りに意見に左右されず自分の意思で決められる。

 

 

 

 

 

 

みんなが

 

「あれがイイよ!」

 

と言っても関心が向かなければスルー。

 

 

 

 

また、

みんなが見向きしないものでも、

自分が「これがイイ!」と思えば選ぶ。

 

 

 

 

 

以前は逆で、

自分で選べず誰かの意見を採用したものです。

 

 

 

 

 

 

自分の判断に自信がないから誰かの意見を採用する。

 

 

 

 

 

 

やがて誰かの意見がないと何も決められなくなる。

 

 

 

 

 

 

自分がどうしたいのかよく分からない。

 

(重症じゃったのお)

 

 

 

 

 

 

自信がなかったんだよね。

 

 

 

 

でも、自分とつながったら自信も戻ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

「自信」は足して得るものではない。

 

「自分とつながる」ことで戻るもの。

 

 

 

 

 

 

 

つがなりがもてると、

 

 

「今のままでいいじゃん!」

 

 

と思えてくる。

 

 

 

 

 

フットワークも軽くなる。

 

 

 

 

 

 

いまは準備そこそこに、

 

「動きだしちゃえー」

 

 

と思えてしまう。

 

 

 

 

 

 

頭でアレコレ考えなくてよかったのだ。

 

 

 

ここだけの話し頭の中身に疑問があったし。。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日、あるアイデアを伝えにいったけど相手が休みで肩透かし。

 

 

 

 

 

 

でも、

 

チャンスは何度も、いくつもつくれるからね。

 

 

 

焦らず行こう。

 

 

 

 

 

 

 

【最後に一つ気づいたことを書こう】

 

 

 

 

 

これまで自由を望んでいた。

 

 

 

 

自由な時間と、

豊かなお金をもつことで、

自由になれると思っていた。

 

 

 

もちろんそういう一面もある。

 

 

だけどそれだけじゃなかった。

 

 

 

 

今は、自分で選べることに自由を感じられる。

 

 

 

 

求めていたものは思い描いていたルートとは

違うところから入ってくることもある。

 

 

 

 

面白い発見です。

 

 

 

 

 

 

よく聞く言葉で、

 

 

 

『あり方』(在り方)がありますよね。

 

 

 

 

自分が自分であること。

 

 

自分としての振る舞い。

 

 

 

 

 

 

ぼくもずいぶんと自分のあり方を探してきました。

 

 

 

 

 

 

 

「おーい、どうすればいいんだーい?」

 

 

 

 

 

探しても無い。

 

 

 

 

 

「あり方」が「無い」とはこれいかに。

 

 

 

 

 

 

 

 

ところが、ふと気づきました。

 

 

 

 

 

 

 

あり方の前に見るべきものがあるんじゃない?

 

 

 

 

 

 

それは、

 

 

 

ある(在る)の認識です。

 

 

 

自覚といってもいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

というのも、

ぼくの在るの体感はこういうものでした↓

 

 

 

 

 

 

 

『在る』

 

 

 

 

 

 

 

 

薄い。

 

 

 

薄っぺらい。

 

 

 

 

 

 

 

 

「在る」の感覚が薄いにもかかわらず、

あり方の方法論に向いていたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうか、

 

在る感が薄いからうまくいかないんだ。

 

 

 

 

 

 

「在り方」の前に、

「在る」をしっかり感じることでした。

 

 

 

 

 

 

 

ここに自分が

 

・居た

・在った

・存在していた

 

 

 

 

 

 

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ここで映画マトリックスのあるシーンを紹介します。

 

(以前も書いたものです)

 

 

 

ネオ(キアヌ・リーヴス)がマスターと実践形式で闘います。

 

 

 

マスターは言います。

 

 

「おまえはもっと速いはずだ」

 

 

 

 

 

しかしマスターには敵いません。

 

 

 

マスターはさらに言います。

 

 

 

 

 

「速く動こうとするな。速いと知れ。」

 

 

 

 

 

 

このシーンを持ち出したのは、

あり方探しと同じだと思ったからです。

 

 

 

 

 

 

自分を探しをしている時は見つからなかった。

 

ここじゃないどこかを探していた。

 

 

 

 

でも実際は、ここに居た。

 

 

 

見てなかった。

気づかなかった。

どこにも行ってなかった。

 

 

元々、ここにあったと気づくまでは。

 

 

 

 

 

 

どこかを探さなくてもここにあった。

 

 

 

ずっと一緒だった。

 

 

 

 

 

あり方の前に、あるを知ろうという話しでした。