よく聞く言葉で、
『あり方』(在り方)がありますよね。
自分が自分であること。
自分としての振る舞い。
ぼくもずいぶんと自分のあり方を探してきました。
「おーい、どうすればいいんだーい?」
探しても無い。
「あり方」が「無い」とはこれいかに。
ところが、ふと気づきました。
あり方の前に見るべきものがあるんじゃない?
それは、
ある(在る)の認識です。
自覚といってもいい。
というのも、
ぼくの在るの体感はこういうものでした↓
『在る』
薄い。
薄っぺらい。
「在る」の感覚が薄いにもかかわらず、
あり方の方法論に向いていたのです。
そうか、
在る感が薄いからうまくいかないんだ。
「在り方」の前に、
「在る」をしっかり感じることでした。
ここに自分が
・居た
・在った
・存在していた
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ここで映画マトリックスのあるシーンを紹介します。
(以前も書いたものです)
ネオ(キアヌ・リーヴス)がマスターと実践形式で闘います。
マスターは言います。
「おまえはもっと速いはずだ」
しかしマスターには敵いません。
マスターはさらに言います。
「速く動こうとするな。速いと知れ。」
このシーンを持ち出したのは、
あり方探しと同じだと思ったからです。
自分を探しをしている時は見つからなかった。
ここじゃないどこかを探していた。
でも実際は、ここに居た。
見てなかった。
気づかなかった。
どこにも行ってなかった。
元々、ここにあったと気づくまでは。
どこかを探さなくてもここにあった。
ずっと一緒だった。
あり方の前に、あるを知ろうという話しでした。