先日、運動会のことを書きましたが
その間に我が子とのやりとりがあります。
私
「心のラジコン動かして 夢の中で運動会しよう」
子
「え。ママの頭の中に運動会があるの?」
私
「そうだよ。一緒に念じて同じ夢をみよう。
プログラム、教えて。
それから、リレーは追い抜かされ、追い抜かして、最後は一等賞さ!」
当日がすぎてしまえば、それが夢だったか現実かだったかなんて大差ない。まさに、人は「今日」この瞬間にしか生きられないのだ。
これは様々な人生の分岐点において言えることだろう。
高熱でうなされてる我が子が
「今日なんにち? そっか…じゃあ、もううんどうかい いけないよねぇ」
と珍しく弱気になってるのを聞いて心がギュッとなった。
私はちょうど、2週間くらい前にある夢をみた。
それは、大好きな大好きなひいばあちゃんの夢だった。
もうお別れしたのが30年ほど前なのに、目が覚めたとき本当にさっきまでぎゅっとしてもらったような感覚の温かさがのこっていた。
想い出のアルバムに関していうと、
写真とかに残らないなら、私は過去のことは全て夢だったか現実だったかなんてわからないんじゃないかな。
と思った。
同じ記憶で誰かと分かち合えるかの違いはあるだろう。
でもね、
個人的にはやっぱり頭の中はいつでもどんな状況下に置かれても自由であることを実感した。
それが生きる希望につながること。
かの有名な戦場下に置かれたアンネ•フランクも収容所の中のヴィクトール•フランクルも最大限の自由の権利を活用した方たちだと思います。