土俵から降りる レースから抜ける | 生きる喜びを求めるぶぅべぁかあちゃんの旅〜Any Life is Beautiful anyway〜

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感受性豊かな気質とサバイバーとして生育家族を生き延び、創設家族(結婚、出産後)では障害者となり、人間理解と生きる喜びを探究し続けた人のブログ

このひと月は、アップダウンの激しい月でした。


その中から抜け出すために、身につけたこと。

それが、「土俵から降りること」

だった。


⭐︎辞めたこと⭐︎

⚪︎所属している組織内での他者との比較

それによる劣等感を抱くこと

⚪︎1日のスケジュール管理が分刻み並みに動いてきたこと

⚪︎私にだって皆と同じように動けると思ってきたこと


⭐︎できるようになったこと⭐︎

⚪︎移動中でも、イベント中でも隙間を見つけて目を閉じてオフをつくること。

⚪︎恥ずかしい気持ちや、輪の中に入れなくてもいいと思えること。

⚪︎多数派や影響力の大きな声の人たちに呑まれたり、弾き出されては憤慨していたけど、それもなくなったこと。


私は かつて 小学生だった頃

水泳の強化選手だった。

あまり、非が出るものはなく、目立たない性格だった幼少期に、唯一水泳だけは、努力をしなくともトントンと進級を果たした。

ついに、コーチからもオリンピックを目指していく強化選手コースへのスカウトを受けた。


当時はよく分からないまま入ってひたすら泳ぐ毎日だったけど、2年ほど経った頃に、初めからイジメを受けていたことにようやく気づく年齢に達し、辛くて耐えられずに辞めてしまった。


もともと、競争の世界は好きではなかったんだと思う。(その後イルカの世界へ魅了していくこととなる。)

誰の声も聞こえない水中がとても落ち着いた。


ー今また私は様々な土俵の中で闘い続けていたことに気づいた。


母親同士のママ友の土俵。

子どもの同級生の中での土俵。

不登校の中の土俵。

キャリア、仕事の土俵。

結婚後の創設家族の土俵。

40代の土俵。


ママ友は子どもの話抜きで会える?と問うなら、

会いたくない人がほとんどだった。


不登校や障がいの話をしても、我が家にしっくりくるような会話にはならないことが多い。


学校に付き添い授業に行くたびに、同級生と同じことをしようとさせてあげたいと、

無意識に疲れは増していった。


つまり、人と会うたびに私は疲れることが多くなっていた。


なのに、チラシを見つけては

予定を確認して、なぜか手帳の空白がほとんどない。


私ひとりの子育てはやはり不安だった。


そして、いつも予定に振り回されて疲弊して

子どもらにあたっている。


どこかで無意識のうちに

何者かになりたかった


それが私の本当に目指していきたい姿ではなかったとようやく気付き始めたのだ。


ここんところ、市民講座や子どもの付き添いの教育の中で休憩タイムがあれば

周りを気にせず、目を閉じて仮眠するようになった。

電車の中でも、ヘルプマークをつけて

優先席が空いていれば座る。


自分がいかに疲れやすく、その後の家事育児に支障をきたすか解っている。


不登校の集まりの会やママ友の食事会に行っても無理に作り笑いをして輪の中に入らず、時間も2時間が限度と決めてサクッと抜ける。


今まで人目も気になってたのは確かだし、嫌われたくないもあったし、何より変に目立ちたくなかったんだと思う。

そのくせ、どこかで”スゴいね!”

の承認を求めて色々訴えてきた。


今、土俵から降りて、レースから抜けて

まだまだ抜けきれてない部分もあるけれど


ようやく等身大の自分をみつけられるようになってきたと思ってる。


社会を変えてやる闘争心は

今日出会う誰かさんのために

今、隣にいる子どもたちのために

使えば良いに変わった。