選択肢とゲーム | あっぷ指導会船堀教室のブログ

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素朴な質問から始まります。
「なぜ、ゲームはダメで、小説はよいのでしょう」

 ゲームの場合いったんのめり込むと、依存性が高く、なかなかその世界から現実世界に戻りづらくなる、という大きなマイナス面があります。

 やはり、人生において最も貴重なのは時間です。したがって、死へ近づくほどに失っていく、限りある時間を、出来る限り未来の可能性に転化したいものです。そうすると、この最も貴重な時間を、ゲームばかりで費やしていてよいのかという問題に突き当たるのでしょう。

 また概してゲームは、人間心理的にもよくできています。そもそも人間という生き物は、自らが選択することで、脳が心地よさを覚えるようになっています。しかし、現実世界の情報の海では、あまりに選択肢が膨大ですから、選ぶにも選べないというジレンマに、かえって苦しむ結果となります。

 そこで、ゲームの世界に入れば、どのような心理が働くでしょう。人間が最も心地よい程度の選択肢を、コントローラーの操作一つで、手っ取り早くチョイスできるわけです。このバーチャル空間ほど、脳が喜ぶ世界はないわけですが、それは常に現在進行形においてそうなのであって、現実世界に戻った途端、あまりに大きな虚脱感が待っています。ゲームの世界に浸っている間だけ幸せなのであって、現実世界では何の生産性もないどころか、最も貴重な時間を浪費してしまったのですから、さあ、大変ということとなります。

 正直申し上げると、私自身、ゲームは子供のときまでの経験しかないので、最近のゲーム事情については、ずぶの素人です。

 ただこれだけは申し上げておきたいのは、小説だろうが、漫画だろうが、映画だろうが、もしもその世界の枠組みの中に小さく収まってしまうとしたら、それはそれで問題ではないでしょうか。

 創作物の世界に入るということは、強い言い方をすれば、そのクリエイターが創造した世界の中に生きる奴隷のようなものです。言わば、クリエイターは創造主であって、その世界に生かされる従属的存在に陥ります。

 まさに、パスカル(17世紀フランスの数学者、思想家)は、随想録『パンセ Pensee(思索)』の中で、人間を、風に吹き飛ばされて倒れてしまうか弱い葦と表現しましたが、大きな宇宙と比べると、本当に人間はちっぽけな存在です。しかし、人間は、見た目において、弱い葦程度かもしれませんが、我々は考えることができます。まさに、パスカルが強調するところの、「人間は考える葦」です。

 考える葦は、考えることによって、人の思考の中にすっぽり宇宙を飲み込んでしまいます。考えると言う膨大な力を得たことによって、人間は、この宇宙を自分に取り込んで、支配すらできてしまうのです。

 したがって、パスカルの言をなぞるように解釈するならば、いったんは、ある創作物の世界に入り、奴隷的ひ弱さを味わうものの、すべての情報を受信してしまえば、反対に、その世界を自分の世界に取り込み、支配することができます。

 ただ情報を取り入れるのみで終わるのではなく、その情報に基づいて、あれこれ考え、自分の思考の中で評価し、分析し、新しい発想のヒントとすることです。ひとつの既存の世界観を、自分の世界観がきれいさっぱり平らげてこそ、思考は躍動すると言う意味において学問的ですし、また思考の究極は、情報という素材を集めた先にあります。これこそ、クリエイティビティ(新しい何かを生み出す力)です。



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