「アイツが出所したらしいでー」



そんな話が聞こえてきた。





そいつは窃盗の常習犯で、何度も逮捕されてはまた同じことを繰り返す。



今回も1年半ほどで出所したらしく近所の団地に住み始めた。




すでにあたりの物色なのか、その家の車が出ていくと



あたりをうろついていると噂が広がる。





数年前にうちの従業員が胸ぐらをつかまれそいつに恫喝された。



警察に相談に行ったが、



「また何かあったら言ってください」と言うだけで



結局は何かよほどの大きな被害が出ない限りは対処はしないらしい。



なんぼほど頼り無いんじゃ・・・。



スピード違反や一旦停止は楽しそうに捕まえるくせに・・・。





立派な学者や専門家と呼ばれる人たちは



犯罪を犯した人たちの更生や社会復帰が大切だと言うが



それも相手によりけりだ。





被害が現実におよびかねない人間にはそれは切実な問題だ。






生きるために、あるいは欲望を満たすために自分のことだけを中心におこす行動が



社会にとっては災難で、時には必要なものまでも壊していく。



法は善人のために作られるものではないとソクラテスが言ったそうだが



悪を裁くだけでなく、ふつうに生きようとする人間を守るために



機能しているかは疑問を感じる。








それは人が感じる善悪が微妙に異なるために



排除と隔離も解決方法にできない。
「あんなことを言うなんて許せない!」



「それは問題発言だ!」



またいつものように騒いでいるけど



あのオッサンはそう思っているんだからしょうがないじゃないか。



失言を待っている人間たちの前で、バカ正直に喋る人間を



たとえ引きずりおろしても、その次に役職につく人間は



思ったことも怖くて言えず、中身のないきれい事を並べるだけで



結局は批判を恐れ何もできず責任も果たせず去るのだろう。





何をしても、何もしなくても



アイツらは自分たちの都合の良い新聞記事のために、誰かの意図する番組制作のために、



まともな取材もせす、持ち上げては手のひらを返し潰していくだけだ。





バカバカしい・・・。





本来の報道にアナウンサーや記者の感想や、憶測はいらない。



その事実をどうとらえるかは、それぞれの人間が決めることだ。








いつからこんな世の中になってしまったんだろう・・・。
相変わらず右下腹部はシクシク痛むのだが、



子ども達の期待に応えるためジュニアのテニスをやってきた。



気温1℃・・・、



北風ピューピュー、



マジかー。(^◇^;)









それでも子ども達は薄着になり、大声で笑いながらボールを打っていた。






ずっと来ている5年生、6年生はだんだん生意気になり



ちっとも私の言うことを聞かないが



先月から来始めたチビちゃんたちは素直で初々しい。








きっと半年もすれば同じように生意気なことを言うのだろう。




寒かったけどやってよかった。



みんな楽しそうでよかった。



なにも教えないでよかった。



「コーチ、バイバイ!また来週ねー」



やりたいことができてよかった。





それぞれが、その先に見えるものは



想像すると面白い。

「もう少し様子をみてくださいー」

 
 
 
“はい・・・、”
 
 
 
 
右下腹部に鈍痛があり、今日病院へ行った。
 
 
 
それもちゃんと検査機器のそろった大きい病院へと向かった。
 
 
 
 
 
十数年前に尿管に石ができて苦しんだ経験もあり
 
 
 
あの痛みになるまでにと行ったが検査の結果石はなかった。
 
 
 
「どこも問題はないですねー」
 
 
 
“はぁ・・・、”
 
 
 
問題がないと言われればそれにこしたことはないのだが、
 
 
 
「もう少しだけ様子をみてくださいー」
 
 
 
“でも、痛いんですけど~”
 
 
 
解決にはいたらなかった。(・_・;)
 
 
 
 
 
 
 
 
でも、痛いんですけど・・・。
「もう一度前半の部分を取り直ししますー」



ラジオの収録は携帯電話で話をするというかたちでおこなわれた。





半月前に打ち合わせの連絡があり、数日前に台本が送られて来た。



「こんな感じで適当に喋ってくださいー」





そして予定の時間より30分以上遅れて、突然かかった電話は



ゲストの方からのハイテンションな呼びかけだった。



“いきなり始まるんや・・・”





そしてたった10分ほどの番組だけど全国版のラジオ放送の収録が終わった。





丁寧に喋ってはくれるが番組制作のためのたんなる道具かと感じたのは



あの馴染めない東京の言葉のせい?





いや、きっと薄情で無責任で信用できないヤツらと



積み上がってきたメディアへの不信感だろう。