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Appadiyah* ~ in India ~

南インド出身のドラヴィダ人の夫と共にタミルナドゥ州コインバートルに在住。
“Appadiyah”とは、タミール語で「へぇ、そうなんだぁ」「へぇ、ほんとに~!」という意味の感嘆語。なんとなくその言葉の響きが好きなのでブログのタイトルに。

今月はじめに、グルシャン1にあるワシントンホテルにて「クラフトバザール」が開催された。

個人からNGO団体、ローカルのショップなど、バングラデシュ国内で生産されているハンドメイド商品を集めたフェアだ。

私は、友人から勧められた、ある日本人女性が働く障碍者施設で作っているというピーナッツバターをお目当てに出かけて行った。

規模はそんなに大きくなく、日程も一日限りの開催。

バングラデシュの刺繍として有名なノクシカタやぬいぐるみ、オーガニック石鹸やジャム、中には輸入ものの絨毯を扱っている人もいた。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-会場


私が目指していったハンドメイドのピーナッツバターは、余計な甘みが全くなく、ピーナッツの粒々感が残っていて、食べた時の香りがとても香ばしく、なるほどオススメというだけある一品。
甘~くてしつこいというイメージがこびりついて、これまで一度も買ったことがない私の中のピーナッツバターの常識を、底辺からひっくり返してくれた。

また、価格も破格で、日本で売っている大きめのジャムほどの量で180タカ(約200)。

あの日以来、私は毎朝トーストにつけたり、ビスケットにつけたりして楽しんでいる。
これはホントに癖になりそうだ。


Appadiyah* ~ in Dhaka ~-ぬいぐるみ

こんなにかわいらしいぬいぐるみも。でも結構高かったのでパス。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-石鹸

オーガニック石鹸。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-ボトルカバー

民族衣装をかたどったボトルカバー。なるほど、面白い発想だ。
縫製産業が圧倒的な輸出量を誇るバングラデシュ、あまり知られていないかもしれないが、実は医薬品、食器なども海外へ輸出している。

先日、日本人コミュニティの人たちで小さなツアーを組んで、ある食器工場見学に行ってきた。
私ははじめての参加だったけれど、以前にもその工場へ行ったことがあるリピーターもいた。
私たちの目的は、食器の生産工程の見学…というよりもむしろ、海外輸出向けブランド食器を破格の値段で買いあさること。。。だった。

噂では、どうやらここ最近、日本人や韓国人マダムたちの食器購買熱がヒートアップしており、ダッカでの市場価格もそれに比例して上昇しているとか。


土曜日の朝、私たちは日本人学校前に集合し、20人ほどが乗れるワゴンでダッカ市内から少し郊外に出た工場地帯へ。
某大手企業の敷地内にある食器工場までは、約1時間半の道のりだ。

途中、先日世界中でニュースになった崩壊した縫製工場跡の前を通り過ぎた。
ローカルの人たちも立ち止まって見ており、ちょっとした観光スポットと化している風だった。
でもそれも、来月のラマダンが始まる頃にはすっかり遠い過去の記憶になってしまうのだろう。

工場に着くと、リピーター組はさっそくディスプレイされた食器の物色を開始。
私は初めてだったので、まずは工場見学へ向かった。

デルタ地帯であるバングラデシュでは石がほとんど採れないため、これらの石はほとんどインドから輸入しているという。
一度全て釉薬で白くなった食器は、Aランク、Bランク、Cランクに分けられる。
Aランクは当然海外輸出用。
Bランクはローカルショップに並べられ、Cランクは更に下の安いマーケットに出回る。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-工場02

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-工場01


食器に施されているデザインは、水を使ってセロファンのようなものを貼り付けていて、焼くと黄色い部分は熱で燃えてなくなり、プリント部分は食器に定着するという仕組みらしい。
ちなみに、この下のお皿に描かれているのは、バングラデシュ建国の父と呼ばれている初代大統領、シェイク・ムジブル・ラフマン。
いったい誰が何の目的でこのお皿を買うのだろう。
何かの記念式典などに使われるのだろうか。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-ボンゴボンドゥ

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-食器サンプル
(食器のサンプルが並ぶ)


縫製工場と同様に、暑い工場内にはところどころに扇風機が設置されているが、それでも30分ちょっとの見学でも充分に汗が滲んできた。


工場見学を終えると、メインの食器選びへ。

その時々でディスプレイされている種類は異なるのだが、ティーセットからディナーセットなど、北欧や欧米、そして日本のブランド(MIKASA)も見られた。
ディナーセットはわりときらびやかなものが多い印象だったが、中にはリチャードジノリなどの白いシンプルなものもあった。

私は、大皿を2枚、ティーセット、スープボールを購入。
中にはディナーセットを何セットも購入している人もいて、私も後になってもう少し買えばよかったかなとちょっと悔いが残った。
また次の機会に違うものを購入しよう。

お支払いは、後日品物と引き換えに、グルシャンにあるウェスティンホテルにて行う。
商品によっては早くて3週間ほど、遅いものは数ヶ月かかるかもしれないというのだが、その理由はいったいなんなのだろうか。

工場直販という、製造国ならではのメリットもあるのだということを実感した一日だった。


やはり…危惧していたことが起こってしまった。

アルポナがここでの仕事を続けることに懸念の表情を見せ始めたというのだ。
オフィスのスタッフからそのことを告げられ、私はさっそくアルポナにたずねてみた。

原因ははやりプロビールとの人間関係だった。
プロビールは、食器洗いやテーブルセッティングなどを彼女にやらせて、彼女が忙しくてそこまで手が回らないと怒るのだという。

比較的感情的になりやすいベンガル人に比べて、ガロの人たちは穏やかである意味センシティブなところがある。
オルポナも、争いはしたくないし、プロビールには言わないで欲しいと言っていた。

以前に私も注意したことなので、アルポナから聞いたとは言わずに、夫からプロビールに伝えてもらうと彼女に伝えた。
問題は、それを理由に今度はプロビールが辞めると言い出すかもしれないということ。
でも、それはそれで仕方ない。
ただ、以前のコックのサイフルはキッチンワークは全て一人でこなしていたし、私が働いていたため、日本食とインド料理の両方を作っていたことを考えれば、今のプロビールの仕事量は決して多くはない。
彼は要領がいいので、やろうと思えばできるはずなのだ。

プロビールもアルポナも、それぞれきちんと仕事ができる二人なので、私としては二人とも残ってくれたら助かるのだが。。。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-プロビールとオルポナ

プロビールが来ているTシャツは、造形大学オープンキャンパスの記念Tシャツ。
以前ドバイで働いていた時に、日本人からもらったのだという。
先日、1~2年前に我が家の近くにオープンしたベビー&子供用品店「KIDS & MOMS」に行ってみた。
ダッカに戻ってから初の徒歩での外出だ。

2階建のショップの1階には、粉ミルクやオムツ、赤ちゃんのお尻拭きなどの消耗品、その奥の部屋にはおまるやベビーウォーカー(歩行器)などが置かれていた。
オムツはマミーポコやパンパースなどがあり、確か40枚前後で1600~1800タカくらいだった。
私は日本からオムツ5パックを郵送していたのだけれど、このくらいの値段なら現地調達でもいいかとちょっと安心した。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-オムツ


2階に上がってみると、子供のおもちゃ売り場になっていた。
新生児用の籠からベビーベッドやベビーカー、プレーサークルや室内用ブランコ、男の子が好きそうな実際に乗って遊べる車や、女の子のコーナーは赤やピンクのお人形やおままごとセットのようなものが、棚の上から床までぎっしりと詰まっていた。

ただ、基本的にほとんどが中国製で、クオリティは良くない。
実際に、私たちがアシュウィンのために買ったベビーウォーカーも、シートを固定しているねじが時々はずれては締めなおす必要があるのだ。
日本で目にする MADE IN CHINA と、バングラデシュに入ってくる MADE IN CHINAは、同じ中国製でもその質が違う。
それでも、思っていたよりはダッカでも色々なものが手に入るということが分かったのは嬉しい収穫だった。


Appadiyah* ~ in Dhaka ~-ベビーベッド

ベビーベッドは思ったよりも高かった。
ベビーカーはいかにも座り心地が悪そうだった。いずれにしてもダッカの道でベビーカーを使う人がいるのだろうか。。。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-車
Appadiyah* ~ in Dhaka ~-人形

男の子が好むもの、女の子が好むものはどこでも同じようなものだ。




私がダッカを発つ前からいたコックのサイフルは、先月(4月)末を持って退職。
田舎で病気の父親の世話をしてくれていた親戚の子が、カレッジに進級するにあたって村を出ることになったらしく、小さな子どもを育てるサイフルの奥さんだけではとても面倒が見きれないとのことで、サイフルが男手として戻ることになったという。

サイフルは辞める前に別の人を紹介してくれて、自分のスキルをざっくりと伝授していってくれたらしい。

サイフルに代わってきたのは、プロビール。

性別:男性。
年齢38歳(自称)。
クリスチャン。
既婚で1歳の息子が一人。
かつてドバイで某日系ゼネコンでコックとして働いていたため、日本食もOK。
喫煙者で一日10本は吸う。

ここ数日彼を見てきたところ、彼は口数は多くないが頭の切れるしっかりした男性という印象をうける。
きちんとメモもとるし、仕事の要領もいい。
そして料理の腕もいいのだ。
サイフルが辞めてしまったのは残念だったけれど、この一週間で私の気持ちもすっかりプロビールのほうへシフトされた。
ただ、寡黙ではあるが、苛立ちなどをうちにためこむタイプのように見える。
煙草を吸う理由も行き場のないストレスを繕うためのようだ。


さて、コックに引き続きメイドの女性(私が日本滞在中に入った人)も、つい先日辞めてしまっていた。
なので、私がダッカに戻った時にはメイドはいなかったのだ。
でもそのおかげで、私は毎朝6時過ぎに起き、たまった洗濯、アイロン、部屋の掃除と断捨離をしてスッキリ気持ちのいい朝を迎えることができた。

そんな中、3日前から新しいメイドが来ることになった。しかも住み込みで。

名前はアルポナ。
性別:女性
年齢26歳(自称) おそらく少し上だと推測する。
ガロ族。
兄が6人、姉が3人。全部で10人兄弟の末っ子。
クリスチャン。
独身。

ガロの女性はメイドとしてもとても人気が高い。
彼女も仕事はもちろん、アシュウィンのことも可愛がってくれるので、私としてはとても助かる。

話の流れで、なぜ結婚しないのかとたずねてみた。
独身の女性は結婚すると親に呼び戻されて一時的に離職する可能性もあるので、その辺を探っておきたかったのもあったけど、基本的には軽いキャッチボール程度のなげかけだった。

すると彼女は、自分は結婚しないとおだやかに言い切った。
彼女にはかつてヒンドゥ教徒のボーイフレンドがいたのだという。
アルポナの両親は異教徒である彼のことも気に入ってくれたのだが、彼の両親が彼女との結婚には断固として反対していた。
そしてそんな二人の交際が2年ほど続いたある日、ダッカから田舎へ帰省するバスの事故で彼は帰らぬ人となってしまったのだ。
それ以後、アルポナは生涯独身を貫くと心に決め、他の男性との結婚を促す両親にもはっきりとそう伝えたのだという。
ちなみに、ボーイフレンドとの交際はあくまでも電話や会って話すだけのプラトニックだというところを、さり気なく追加強調していたのが。


プロビールとアルポナのコンビはなかなかいい。
腕のいいコックと、仕事もしっかりしてアシュウィンの面倒をよく見てくれるメイド。
ただ、ちょっと気になるのは、プロビールがお皿洗いなどの雑用をオルポナに命令してやらせていることがよくあることだ。
しかも言い方がちょっとラフ。
二人の仕事を混同しないで、それぞれの持ち場はそれぞれが責任を持ってやるようにと注意をしたのだけれど、どうもあまり変わらないようだ。
元々は男性や年上には従順に…というカルチャーなのでアルポナさえ苦にならなければ、それはそれでいいのだが。。。

さて、この新しい二人はどれだけ我が家にいてくれるだろうか。










約11ヶ月ぶりのダッカ。
飛行機を降りるなり、空港に充満するダッカの匂いで一気に色んな感覚が呼び戻された。
青白い蛍光灯が間接照明程度に照らすダッカの空港は、成田、香港の空港に比べたらずっと暗い印象だけれど、それでも数年前に比べたらずっとキレイになったし、Foreign passport の列に並ぶ外国人の数もずっと増えた。

新しいドライバーの運転する車で我が家に戻る。
車窓からの風景はほとんど変わらず、明るい日本の生活に慣れてしまった私にとっては、大通りから中に入った住宅街はよく目をこらさないとそのディテールが浮かび上がってこなかった。

アシュウィンは周りをキョロキョロと見回していたけれど、母国や外国という感覚なんてもちろんないのだから、おそらくいつもの外出の延長くらいに思っているのかもしれない。

家についたのは夜の22時半ころだっただろうか。
控えめなアンバー系の照明に、ビュンビュンと音を立ててまわる天井ファン。

日本から戻るフライトはいつも夜の便なので、何か出し惜しみするように暗闇がダッカの姿にベールをかけていて、でもそれがむしろダッカの存在感をもって押し迫ってくるような感じがする。
昼間の便で戻ったら、久しぶりのダッカでの印象はまた違うはずだ。

アシュウィンは、天井でクルクルとまわるファンを物珍しそうな目で見つめていた。

とりあえず荷物をすべて部屋に運び入れて、ダッカ初日の夜には早々に幕をおろした。
遠いダッカから悲しいニュースが入ってきた。

なんと、ダッカの我が家のコック サイフルが、今月いっぱいで田舎に帰ることになったのだ。
理由は一言で言えば家庭の事情。

頭の中で思い描いていたダッカに戻ってからの生活には、当然サイフルも名傍役として登場していただけに、かなりショックだった。

サイフルは自分の引き継ぎ役を連れてきて、ある程度はスキルを伝授してくれるらしいのだけれど、
また新たな人と信頼関係などを築いていくのも、それはそれで気疲れもするものなのだ。

雇い主と雇われ人という関係とはいえ、やはり同じ屋根の下で一緒に暮らす人は信頼できて、馬が合う方がいい。

長期一時帰国のため、実際に私がサイフルと一緒に過ごした時間は長くはないのだけれど、私的には彼には長くいてほしかった。


でも、、、、決まってしまったことは仕方がない。
これからだって、色んなことが突然に変化していく環境は続いていくわけだし。
頭を切り替えていかないと!

これは、私に立派な専業主婦になりなさいというお告げだろうか。
子育てとともに、これからは家庭のこともしっかりとやっていかねば。(日本ではそれが当たり前だけど、、、)
頑張れ、私!
なんでもやってみなければ分からないし、
やってみればなんとかなってしまうものなのかもしれない。

アシュウィンを産んで、翌朝から24時間一緒になったとき、
一瞬、大丈夫かなという不安が胸をかすめた。
やる事といえば授乳とオムツ替えくらいなのに、
何かわれ物注意のものをプチプチのラッピングも無しで渡されたような。
出産という大仕事を終えた感に浸っていて、
母親としての仕事についてはすっかり忘れていたのだった。

産後5日目で退院した日にも、
またまたちょっとした覚悟が必要だった。
これから助産士さんたちのバックアップ無しで、
全て自分でやっていかなければいけないという、心細さだったのだと思う。

でもそうやって放り出されてしまえば、
結局なんとかなってしまうものなのだ。

きっと、どんなことでもそうなのだろう。

それならば、何か新しいことの入り口に放り出されてみたいという思いがふつふつとわいてくる。
それが例え今の自分の意志とは関係のないことであっても。
インドやバングラの旅エッセイなどを読んでいてふと思った。

人は結局、自分が見たいように物事を見ているんだろうと。

「貧しい国の子供たちは、貧しさを感じさせないくらい目がキラキラしていました」

よく耳にする、ちょっとしたお決まり文句でもある。

でも実際には、日本の子供たちだって楽しいときや何かに夢中になっているときは目がキラキラしているし、
貧しい子供たちだって、お腹がすいたり、一銭も稼げずに終わった日の夜には気の抜けたような虚ろな目をしているはずだ。

きっとそのどちらも嘘ではないのだと思う。

ただ私たちは、その時の自分の感情のフィルターや、願望のフィルター、都合のいいフィルターを通して自分が見た物を語ろうとすることが多いのだと思う。

特に旅というものは、いつもの自分の日常ストーリーから抜け出して、人生の番外編のようなかたちで面白さや刺激を期待したり、自分を見つめ直す鏡のような役割を密かに期待していたりするから。

何かに落ち込んで旅に出て、ある人は貧困に負けずに生きる人たちに勇気をもらうかもしれない。
ある人は、サクセスストーリーを地でいってる人に感化されて帰ってくるかもしれない。
ある人は、結局旅に出たところで何も変わらない、向き合うべき現実は日常にあるのだと気づいて帰ってくるかもしれない。

私もそうだった。

正解も不正解もない。

ただ、どうせだったら私はどんなフィルターで物事を見たいだろうかと考えてみたのだ。

自分の好きなフィルターで自由自在に語れるのだったら、
とことんポジティブ眼鏡か、冷静かつポジティブ眼鏡をかけて見ていたいかなぁ。。。。

というのが今日の結論となった。
ついにゲット!タミル語のテキスト。

タミル語は、南インドのタミル・ナドゥ州で話されている夫の母国語。
これまで必要性も感じなかったし、まずはベンガル語をと思っていたのでまったく手をつけていなかったのだけれど、少~しずつ語彙を増やしていく夫の日本語に対抗心を抱き始め、ひそかに独学してみようという気になったのでした。

以前からヒンディ語やベンガル語のテキストはいくつかあったのだが、なぜかタミル語については、私が知る限りかた苦しい学術書みたいな本が1冊しかなかった。

それが、今日たまたま立ち寄った新宿のブックファーストでダメもとで聞いてみたところ、店員さんに連れられていった棚にこの本が面出しで陳列!

「えっ、いつの間に?」と奥付を見てみると、

なんと、発行日が明日2012年12月5日付。
まさにできたてホヤホヤ本だったのです。

しかも、このCD付きエクスプレスシリーズは、私がはじめてベンガル語を勉強したときの教本で、私も頑張ったけどこの本のおかげでベンガル語のあいうえおを学ぶことができたのでした。

ただし、このシリーズ本は後半から文章のフリガナがなくなるので、文字を覚えることが前提とされている。

Appadiyah* ~ in Dhaka ~-タミル語


気づけばベンガル語の文字もちょっとあやしくなってきているのに。
読み書きについては、タミル人ですらタミル語よりも英語のほうが簡単と言っているのに。

ん~、ここは腹を決めて本腰入れてスタートするか、軽いノリではじめて文字は後からと自分に優しく(あまく?)するべきかと悩んだすえ、わりとあっさり後者に決めました。

嫌いになっては続かない。
タミル語についてはゆっくり長~く付き合っていきます。