3月18日(金)、この日は気温が10度以上に。

暖かくて被災者の皆さんも少しだけ過ごしやすかったかも。

区役所を後にして、被災地の避難所を合計で3ヶ所訪問(すべて小学校)。

東京から個人で少しばかりの支援に来たことを伝えると、基本的に皆さん、
好意的に受け止めて下さる。

2缶買ってきた粉ミルクのうち、1缶を若林区の蒲町小学校の講堂にお届け。

「ここはまだ人数が少ない方です」

とおっしゃるも、300名ほどいらっしゃるとのこと。

そこからさらに海に近い荒浜方面の七郷小学校には、1,200名もの
被災者がいらっしゃるらしい。

そして、その七郷小学校に徒歩で向かう。

正門を入って校舎に入ると、またまた赤ちゃんをおんぶした若いご夫婦と
そのお父さん(赤ちゃんのお爺ちゃん)ファミリーを発見。

東京から来たことを伝え、粉ミルクを差し出した。

「わぁ、助かる~」

と若いお母さん。

「こんな人がいっぱいいたら、日本も良くなるのに」と若いお父さん。


う~ん照れくさい。。。

お爺さん(若いお爺さんでした)には、水やお茶よりも利用作用が少ない
スポーツドリンクの粉末をお渡しした。

「この前は東京から中学生が、ヒッチハイクしてここまで来てくれた。」

とても感じのいいファミリーでした。

今はもう、避難所暮らしから抜け出されたことを願います。
3月18日(金)、若林区役所でのお役所対応に業を煮やし、
窓口を去った後、区役所の1階で赤ん坊をだっこした若いお母さんを発見。

私:「粉ミルクお持ちですか?」

若いお母さん:「はい、大丈夫です。」

私:一礼してその場を去った。


今度は同じく1階で、赤ん坊をおんぶした若いお母さんを発見。またまた

私:「粉ミルクお持ちですか?」

若いお母さんその2:「はい、私は運よくもらうことができました。」

私:「はい、わかりました。」


その区役所を去ろうとしたその時、窓口で対応した役人とは別の、
若い役人が私の下に小走りでやってきた。


若い役人:「今、個人で窓口に相談に来られている方が、お困りなんです。」

私:「あ、そうですか。行きましょう。」

エレベーターで窓口まで戻り、その方とご対面。
聞けば、知人宅に家族4人が身を寄せていて、食べ物も十分にないとのこと。

いくら知人宅は被害を被っていなくても、スーパーで食料品は手に入らないし、
ガスも水道も通っていないとしたら、肩身が狭くなって当然だろう。

17日(木)の夕方に、会社から自宅への乗り継ぎ駅である東急東横線多摩川駅の
売店で買った、おにぎり4パックといなり4パックをお渡しした。

あと、拠点としている仙台市内の幼稚園を出発する時に、バスの中で出会った
Michaelが持たせてくれた、カップラーメン4つがあることを確認いただくと、

「それも頂きたい」とのお申し出が。

少なくとも、ご家族4人の1食はご提供できたと思うと同時に、

「仙台に来たのがこのためだけだったとしても、来た甲斐があった。」

という気持ちになった。


あっ、そうそう。

タイトルにあるExileとは、その若い役人が色黒、ちょっと長髪、ギョロ目で
Exileのメンバーという雰囲気バリバリ。

きっと、趣味でサーフィンでもやってるんやろな。
けっこういいサーフスポットあるらしいし。

3月18日(金)、東京の蒲田で買い込んだ支援物資を持って、
拠点としていた仙台市内の幼稚園を出発。

タクシー → 地下鉄 → バス を乗り継いで、被害が大きかったと
聞いていた若林区を管轄する区役所に到着。

窓口で、

「東京から支援物資を少々持ってきました。
どこの避難所にお持ちすれば、一番いいでしょうか?」

と尋ねたときのやり取り。


役人:「こちらでは、他の自治体や団体からの支援物資を受け取っていますが、
個人の方からはお受けしておりません。」

私:唖然としながら+ふくれっ面半分で

「私が持参したものを受け取ってくれと言ってるのではない。
どこに行けば一番いいかを教えてくれって言ってるんです。」

役人:「こちらでは、どこに行けばいいかと言うことも、言えません。」

私: 。。。

この期に及んでそんな対応かよ!

災害時の対応マニュアルにはそんなふうに書かれているのか?

と、心の中で思いました。

よ~しそれなら、自分の目と耳と足で確認するぞと思い、その場を後にした。

この写真は、拠点としていた幼稚園で飼育されている白馬。
吉本芸人の間寛平の「かい~の」って感じかも。
kohのブログ-拠点の幼稚園にいた白馬