最近、キャリア関係の話題がブームです。今から語ることは本当に矛盾した話になります。
私は今のキャリア教育のあり方というのには疑問を持っています。文科省の推進しているものは現場よりかけ離れた『机上の空論的』なものが多々あります。キャリア・パスポートの導入であったり、体験活動の拡充であったり、いまいち負担が増すけど使い所もなく、子どもに入っていかないものばかり。
自分が『どんな仕事に就きたいのか』と、自分が『何者になりたいのか』がごちゃごちゃで、学校は基本は達成度が見えやすい『仕事体験』関係で進めます。ただ、私個人的に大事なのは仕事の選定より自己理解のほうだと思うんです。ただ、それは本当に難しい。
子どもらが自分の将来を考え色々迷うのは当然なのですが、18歳で一旦決めるというのは結構酷な話だなだなと感じます。進んだ進路で仕事を探していく方向です。ただ、、、実は自己理解からの自分の将来を探すのはもっと大変ですし、時間がかかります。個人的な意見としてはそれそれを楽しむのが自分の人生なのではないかなと思うんですよね。
そういった点では、クラブチームに所属して『オリンピックに出たい』『野球選手になりたい』子や、中学受験をする子の中には、『医者になりたい』という思いや『東大に行き飢饉を減らす研究者になりたい』という子のほうがはっきりしているんです。
ただ、こういった子は将来に疑問を感じていません。そこはそこで怖いと思うのですけど、それでも『自分がなりたいものになる』『自分が何者になれるかを知る』点ではかなり私はすごいかなと思います。そこには失敗経験や試行錯誤の体験が付いてくると思いますが、それは絶対に必要だと思うんですよ。そこから先にしか見えない世界もあると思いますし。
今から約25年以上前の話を少ししようかなと思います。今の共通テストが大学入試センター試験と言われていた頃の話です。今も昔も変わらないと思うのですが、進学校ほど医学部か旧帝大か有名私大を選ぶ方向は強ですよね。当時も同じような感じでした。同級生には東大を出て大学の教授やってるやつもいますし、医師になっているやつもいます。
当時の私は成績は、そこそこ良かったので周りに流されるまま医学部を目指していました。受験勉強も必死にやっていたし、そのまま医師になるもんだと思ってひたすら勉強していました。当時の休日の勉強時間は大体16~18時間でした。当日の予定分が終わらず、そのまま眠らずに二日目突入ってこともありました。基本は風呂入って飯食べたら寝て勉強してを繰り返してました。当時の高校は結構な進学校で高2で部活を引退、すでに授業内容も終わっていたので高3は1日中、学校の図書館か家で勉強していたように思います。当時の彼女とはたまに美術で顔を合わせるくらい。振られましたけど、、、。平日も朝は5時起床、学校登校、勉強して、勉強のやり方について疑問に思ったら和田秀樹の『受験は要領』をよく読んで効率性の重要性を把握し直しました。また、エール出版の医学部合格体験記をバイブルとし、モチベーション維持にいつも傍に置いていました。当時は赤チャートや英語構文700選丸暗記が主流の時代でした。
結局、高校時は関東圏の国立医学部はだめで、有名Kのつく私立の大学の理工学部へ進学しました。なんですが、どうしても医学部進学を諦められず親の強烈な反対もあったものの、『親の金銭的支援を受けない』と話をし、1年半で私大を退学し再度医学部受験を開始しました。半年しかなかったこともあり、当然落ちました。センターで大コケ680点ありませんでした。当時の医学部は720点以上ないと厳しいと言われてましたし、二次もボロボロ。結局後期は医学部受験が難しいと判断し、某そこそこ国立大学へ進学しました。その後2年ほどかけて医学部進学代金を稼ごうと、家庭教師やら新聞配達やらやり300万ほどためました。大学3年〜4年は単位確保に奔走。研究室に布団を持ち込み、洗濯着替え程度でしか自分の部屋には戻らず、ひたすら共同研究と受験勉強もあわせてしてました。その後大学院を勧められたものの研究室に残る話を蹴りそのまま大学卒業しました。
そっから受験勉強1日18時間勉強を開始。その次の年に医学部合格できました、、、。喜び爆発で泣けたというより、なぜかホッとしたのを覚えています。
そこで医学部に入っていれば良かったんですが、私はいま教員。。。なぜか家庭教師をしていたときの影響で『成績悪いやつを合格させるほうが面白いかも』とか思ってしまったというのもありますが、私が目指したのは『医学部合格』だったんだろうなと思います。結局あれほどこだわっていた医学部呪縛から開放された瞬間でした。医学部受験にかけた時間は膨大すぎてわかりません。おそらく10000時間程でしょうか。
人生の混乱?は続きます、障害を持った子の行動の変容のほうが面白いぞと心理学を勉強開始。特別支援をやって理科に戻り、またここまで来ました。教育関係という枠だけで、ここまでバタバタしてます。自分が本当に何をやりたいのかはやってみないとわからないというのが実際のところというのが自分の感想なんです。この状況って今も昔もそれほど変わっていないように思うんですよ。私が何をやりたかったのか、自分が何者になりたいのか。
ちなみに医学部受験について経験者として言えるのは、医学部受験はかなりハイレベルな試験内容で勉強し続けるのはかなり大変ということです。だからこそ戦略が必要です。それは地味な大変さですが、実際は慣れます。かなりの量をやるべきですが、そこまでやっていないなら、その人は受かる気はないんだろうなと。人間は弱い生き物なので、楽な方へ逃げます。それはその時だけのものであとから大きなしっぺ返しが自分に戻ってきます。それは身をもって知っています。私は実体験として勉強量でこれくらいで医学部に行けるとは言えますが、医学部での苦労は経験していないのでわかりません。でも、教員は言えます。ちなみに大学時は、教育実習で指導教諭と衝突したこともありましたし、興味のある講義ばかり聴きに行っていたので、単位なかったり関係ない単位ばっかり持ってました。逆に妻は超絶真面目かつ学校総代なので、、、真逆。彼女がなぜ俺と結婚したのかは未だに最大の謎です。
様々な受験においてその時しか受けれない『中学受験』というのは結構シビアだと思うんですよね。一発勝負で合否が決まるわけですし。ただ、受かろうが落ちようが、自分で何も選ばない進路はつまらないキャリア選択になります。中学受験後は、公立高校より少し楽な土俵に乗った程度が感覚的にはいいのかなと思います。裏を返せば入って勉強しなければ、中高一貫のアドバンテージがなくなってしまうということです。仮に中学受験に失敗したとしてもそこから這い上がっ子はかなり強いです。挫折を知っている人間はほんとうに強い。
思考は膨大な知識の上に成り立ちます。そこをすっ飛ばして机上の空論を語るキャリア教育はおそらく今後も同じ状況が続くのかなと思います。本当のキャリアは自分の人生を自分で決めていくものであり、それは試行錯誤の経験の上で話せるものだと思うのです。つまり、『個別化』の延長にあるはずです。キャリア教育というのは自分の選択を自分で決断することです。そして自分に責任を持つということです。そしてそれは、今のキャリア教育とは似て非なるものです。職場体験職業体験やったところでね、、、。また、親がお膳立てした進路決定や進学先決定で、『勉強さえしていればいい子』も挫折と同時に大きく崩れる可能性が高い。
キャリア形成を突き詰めていくと、膨大な学習は避けれず、難易度の高い資格を目指せば個別化が進みます。しかし、今の公立学校は集団での授業が基本なんです。そもそも論なんですよ。集団でやれることを探すがゆえに、中途半端すぎるんです。その点、特別支援の就労支援は個別化しているのでよいと思うのです。ただ、キャリア教育がどこまでできているかは、かなり疑問です。お上が色々やりたいのはわかるんですが、そもそもお役所にお勤めされる方々自体、キャリア形成時はがっつりやってきてるはずです。それを真逆に進むようなことを現場に求めるのも変でしょ?だからこそ、矛盾に感じているわけです。
本当に目指すなら完全にさやか星小学校のように集団のなかに個別最適化された状態を作るべきなんです。