夢とはなにかについて | なんとかなるもんだ

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2013年:膀胱癌再発
2016年:ブルガダ症候群、身体障害者手帳取得。
2017年:てんかん、右目緑内障
2018年:腎盂、右腎嚢胞
2019年:右目白内障、右多房性腎嚢胞
2021年12月膀胱がん完治
2022年左目緑内障
2023年膀胱内に変異箇所あり経過観察

妻2019:乳癌

以前、こういった学校があるということを書きました。

注目している学校

この学校は、いわゆる学校の一斉指導を含めた根本を見直していこうと取り組む学校です。

 

ちょっと前に報道特集だったと思うのですが、知的障害者の施設問題と強迫性障害について出てました。

 

報道特集は定期的に強度行動障害については特集をしているのですが理由は不明です。ですが、昔から言われている社会問題。頭をガンガン壁に打ち付けて変形するまでになっても打ち付けをやめない。そんな子を受け入れる施設の負担、親の高齢化。

 

それと札幌の高等特別支援学校から出てきた特集

 

夢を叶えている方や生徒の目の輝きが違いますよね。動画を見たらわかるのですが、障害者の仕事の斡旋を頑張っているのは『教員』ですね。今、流行りの『働き方改革』に逆行するのですが、そこについてテレビ局はあまり突っ込んでいません。なんせ教師冥利に尽きる働き方をしているからですね。教員として楽しくてしょうがないだろうなと。自分も支援学校時代は走り回りましたが、就労先を開拓するために駆け回るというのは、思っている以上に結構大変なんですね。ほんと。

 

夢を叶える障害者とその日を暮らすのも困難な障害者。障害等級で分ける問題ではないというのは当たり前の話です。

誰もが夢を持ち自分がやりたい仕事ができる。それが本来の姿ですが、そもそも我々を含め今の日本人で自分がやりたい仕事に着いている人はどれくらいいるのでしょうか。政治の問題もそうですが、学歴の問題であったりそういったことの不透明さは今の日本が抱えている大きな問題に見えます。そしてそれを解決できる政治家は日本にはいないと思います。

 

キャリア教育と言われていますが、現実的に近々で必要なのは支援学級・支援学校の子たちです。卒業したら就労という現実があります。しかし、『学習』に重きがある学級・学校ですと就労がどうしても教員の一存で生徒がやりたい仕事ではない事も多々出てくるわけです。そして根本的な問題は障害の重い軽い関係なく自分探しが本当にできているかということです。本質的な問題なんですよね。人的資本・社会資本・金融資本でも労働は長い人生の中で重要な位置を占めます。

 

それを前提としてこの学校ですね

さやか星小学校は障害者・非障害者分けがそもそも必要ない実践を発展的に行う画期的な学校です。行動の問題は結局のところ関係性の中から強化されていく要素が強いのでそこにアプローチできている学校は日本ではココだけです。

 

そもそも、支援学校までに至るルートが3歳〜6歳までの療育も月に多くて数回と必要量がありません。そしてそのまま保護者の関わりの問題にされそのまま小学校へ上がってきます。障害が軽度であれば問題が見えにくく対応できますが、中〜重度になると行動の問題が増え始め支援学級や支援学校からは保護者へ『病院は?』とか『家庭での療育は?』とか『服薬は?』そんな流れができているのが現状です。

 

6歳までの時期はかなり重要であることは、お国はわかっているはずなんですけどね、、、。なぜなら日本以外の国は障害を持つ子の6歳までの療育にかなり重きをおいているからです。たしかに、保護者の精神的な負担やお金を考えれば、結構なものになりますがそれをどんどん民間へおろしていって切っていった感じを受けます。

 

『障害者』という言葉で片付ける問題ではないというのは当たり前なのですが、個別最適化が思っている以上にすごいんだろうなということです。そして、教員を含めた裏方はやばい量の情報量と知識を持って教育活動を行っていく。働き方改革とは逆行するでしょうね。関係性にもアプローチし学んでいくということは、行動の問題にも的確にアプローチできるということです。今の大多数の支援級・支援学校のできないことです。

 

教育の本質ってなんでしょうかね。細かくしていくと人間の尊厳の話になっていくのでややこしくなりますが、本来は子どもの夢を応援する仕事ってそれだけでやりがいがありますよ。今の文科省の流れは、ここから離れすぎているように見えます。一教員ができることなんてたかが知れてます。でも、夢を追う子供の助けができるのって教員冥利に尽きるとおもうんですよね。さやか星小学校や札幌みなみの杜高等支援学校のような学校が増えていくことが日本の教育の変化につながっていくのかなと思ってなりません。