何者になりたいか | なんとかなるもんだ

なんとかなるもんだ

2013年:膀胱癌再発
2016年:ブルガダ症候群、身体障害者手帳取得。
2017年:てんかん、右目緑内障
2018年:腎盂、右腎嚢胞
2019年:右目白内障、右多房性腎嚢胞
2021年12月膀胱がん完治
2022年左目緑内障
2023年膀胱内に変異箇所あり経過観察

妻2019:乳癌

「あなたは何者になりたいの?」と質問を受ける。

はて。何者なんでしょうか。

教える立場にはあるので。『教師』ですね。

その先生の質問は続きます。

「その『教師』になったのになぜ勉強しているのか?」

逆に質問してみました。

「先生は勉強しないんですか?」

答えは、

「している」でした。

じゃこの質問はあまり意味の無い質問ですね。

教師が、自分の技術力をあげるのは当然のことでしょう。

大学に通うことや、高い金払って研修を受けることの意味が理解できなかったみたいです。

確かに。

補助でないしね。予算削減は細かいところまで一生懸命やってますけどね。

ただ、

『何者』になりたいのかという質問は、とても大切なことで。

この先生には話をしても理解されないので言ってませんが、

自分の中には、その『何者』が何かということは形としてあります。

ちなみに、オールマイティな教員にはなれませんし、それは無理です。

でも、専門性の高い教員にはなれるかなと。

面倒を見るのが仕事ではないんでね。

よく、「私が見ているときは、言うことよく聞くのにね」

言われる先生いますよね。

ちゃんちゃらおかしい。

それは、指導したと言えますかね?

理論があってはじめて特別支援教育は成立するはずなんです。

人相手に冷たいこというなとよく言われます。

そうでしょうか?

よっぽど行き当たりばったりでやるほうが、支援を必要とする子どもの成長の機会を逃しますし。

無理論のほうが、人間味が無いと思いますがね。自分は。

ブログ読み返していて、『なんでここまでこんなことやりとりしとるんやろか。』笑えてしまいました。

言い合いにはならんです。なるとこまでは発展しないので。操作します。

周りは不思議な人と思っているのかもしれませんがね。だから、いろいろ疑問をぶつけてくるのでしょう。

それは、目指すものの違いでもあるのかなとも思えます。

『何者』になるか?が同じ教員でも方向性が違うということです。

同じ方向性をもつ教員はおりますので、その方達とは意見交換しながら知識や技能を深めています。

それで今はいいかな・・・。