きのう、また行って来ました、御射鹿池(みしゃかいけ)♪


あれから二週間、紅葉も深まったかな?

夕方の、この物寂しげな景色が好きです。


観光客を入れずに撮っていますが、狭い駐車場に観光バスがひっきりなし。


東山海夷の「緑響く」は、長野市の東山海夷美術館で見られますが、1年のうち展示されるのは数週間、未だ見れていません。私の住んでいる場所からは長野市は東京に行く位遠いです。


行かれる方、ここはナビにはいっていないかも。明治温泉の少し手前にあるので、それを目指して。

途中の尖石縄文考古館には国宝になった縄文のビーナス、仮面の女神が見られますよ。





帰りの車の中で、気になっていたことを娘に聞いてみました。


子供たちが小さかった時、出張で家を空けることが多かったです。

さすがに、子供が生まれてからは海外の仕事は受けていませんが、国内の1~2泊はざらでした。


早朝、そ~っと起きて支度をしていると、いつもは寝坊の娘が気配を察したのか起き出して泣きついて来ました。

母が娘を押さえて、その間に家を飛び出したものです。


私「お母さん、小さい頃仕事で家にいなかった時のこと、覚えている?」

娘「私、きっと泣いたでしょう?」

私「何でわかるの?」

娘「だって、今だってお母さんが旅行でいないと寂しいもの。きっと泣いたと思うわ」


そう来るか!「覚えていないよ」と言われると思ってた。・・というか、そう言われる事を期待していた・・。


今は私がいない間は、1階の自分の部屋から2階の私の部屋に行って、私の布団で寝ているらしい。

隣はお兄ちゃんの部屋なので安心なんだと。


いつか、私に代わって守ってくれる人が現れると良いね☆


アップル@信州

 相互読者になっているスコティッシュ75さんが、「ひとりごと」をオークションで入手した事をブログで書いていました。




Wikipedeaでは「みだれ髪」とあるのが、「ひとりごと」ではないか、また写真や声を聞いただけでは、森本氏とはたぶん分からないだとう、と。




非常に状態が良く、ノイズも少なく満足しているとの事で、ちょっと興奮気味でしたよ☆




森本英世さん、なかにし礼さんのお作りになった歌を唄っていたんですね♪


何だか色々ところで繋がってきますね。




YouTebeでは「恋祭り」(森本英世名義)は聞けますが、この時の森本さんと年代的に1歳位しか変わらないので、お声は想像が出来ます。




21歳にしては、雰囲気が歌にあわせて大人に演出されていますね。




歌詞のサビを教えて頂きました。










『ひとりごと』の1番サビ部分の歌詞 なかにし礼作詞




 あなたの心に住んでいる

 可愛い人ってどんな人

 その胸で何を思ってるの

 その手で何をつかむの


『ひとりごと』は1番は女性、2番は男性視点で描かれている





『許してほしい』(B面)の1番サビ部分の歌詞 永田貴子作詞





 夢を見るのよすねてた夢を

 許して欲しいわがままを

 愛することの苦しみを

 いやと云うほど知りました







なかにし節炸裂ですね、なかにしさん33歳の時の歌詞です。元妻と離婚後、数年経った時のもので、今の妻とはまだ出会っていないです。






森本英世さんはいくつかの芸名を経て今に至っています。

略歴をWikipediaや知誕Wikiほかで整理しておきます。





1965(昭和40)年 16歳 渡辺プロダクションの新人オーディションに合格


1968(昭和43)年 19歳 タイガーマスク主題歌「行け!タイガーマスク/みなしごのバラード」(新田洋&スクールメイツ名義)


1969(昭和44)年 20歳 「花街ブルース」(大竜二名義)


1970(昭和45)年 21歳 「ひとりごと(みだれ髪)」(大竜二名義)


1971(昭和46)年 22歳 「恋祭り」(森本英世名義)久世光彦プロデュース


1973(昭和48)年 24歳 渡辺プロダクションを退社、敏いとうとハッピー&ブルーにリードボーカルで参加


1974(昭和49)年 25歳 「わたし祈ってます」ミリオンヒット(敏いとう&ハッピー&ブルー)


1977(昭和52年) 28歳 「星降る街角」ミリオンヒット(敏いとう&ハッピー&ブルー)


1979(昭和54)年 30歳 「よせばいいのに」ミリオンヒット(敏いとう&ハッピー&ブルー)


1983(昭和58)年 34歳 敏いとうとハッピー&ブルーを脱退、森本英世としてソロで活動


1983(昭和58)年 34歳 「幸せになりなよ/ミッドナイトイン東京」ソロアルバム


1984(昭和59)年 35歳 シングル「どじ」 


1985(昭和60)年 36歳 シングル「ホテル」 シングル「それなりに・・・MAMBO!


1986(昭和61)年 37歳 シングル「酔恋」


1987(昭和62)年 38歳 シングル「赤坂おんな街」


1988(昭和63)年 39歳 シングル「あなたにサ・ヨ・ナ・ラ」 シングル「信じておくれ」


1992(平成4)年  43歳 シングル「パッション」


1997(平成9)年  48歳 シングル「一秒の結晶」


1999(平成11)年 50歳 シングル「ふたつの背中」


2002(平成14)年 53歳 ハッピー・サザン・アローを結成(森本英世・菅野ゆたか(元サザンクロス リードボーカル・木下あきら(元アローナイツ リードボーカル) シングル「三つの恋の物語」


2005(平成17)年 56歳 シングル「春待草」


2007(平成19年)58歳 アルバム「森本英世 マヒナスターズをうたう」


2012(平成24)年63歳 シングル「雪化粧/こんな俺でも」


2014(平成26)年 65歳 アルバム「森本英世 昭和ロマンをうたう」


2015(平成27)年 66歳 シングル「涙にぬれる大阪の女(ひと)/愛をさがして」




間違っていたら、どなたかご指摘下さいね。




個人的にパッションが情熱的に歌われていて好きです。少し前まではTouTubeで見られました。




アップル@信州









コペンハーゲンのハロウィン 2015.9撮影

仕事で一般家庭の家に行った際、玄関に飾ってあった言葉です。


妙に心に響くこの短い言葉・・・・・・・・


一枚めくると別の言葉が・・


「かげぐちをいわれるとしりながら ほめられれば すぐ のぼせるわたし」


もう一枚


「あんなにしてやったのに 「のに」がつくと ぐちがでる」


表紙に「トイレ毎日めくり」とあったので相田みつをさんの30個の言葉があるんでしょう。


トイレより玄関が合うね。



アップル@信州 



アメブロで読者になっている方が同県人だと知りました。


「信濃の国を歌える人だったんですか?」

と聞いてみたら、「信濃~の国は~~♪」と返って来ました☆


そうなんです、長野県人なら誰でも歌えるのが県歌「信濃の国」なんです。


最初は小学校の音楽の時間に習いますが、小学校から高校まで、学校行事に幾度となく歌われ、自然と覚えてしまいます。


娘に知っているか尋ねると「学校で習ったから知ってるよ、でも1番しか歌えない」。


惜しいなぁ~、2番からが面白いのに。しかも4番だけがメロディーが全く他と違うんです。

珍しいでしょう?


郷土教育を目的に作られたとあって、川の名前を思い出すのに信濃の国を思い出したものです。

北に犀川、千曲川、南に木曽川、天竜川~♪「あっ、木曽川だった!」。


あの山なんだっけ?御嶽、乗鞍、駒ケ岳、浅間は殊に活火山~♪「そうだ、御嶽山だ」ってね。


Wikipedeaによると、「日本の都道府県歌は住民にとってあまりなじみがないが、長野県歌は日本で最も有名な県歌」とか。


信濃の国

作詞 浅井 洌(れつ/きよし)
作曲 北村 季晴(すえはる)

1.
信濃の国は十州
じっしゅうに境さかいつらぬる国にして
そびゆる山は いや高く 流るる川は いや遠し
松本 伊那 佐久 善光寺 四つの平
たいらは肥沃ひよくの地
海こそなけれ 物さわに 万
よろず足らわぬ事ぞなき

2.
四方
よもに聳そびゆる山々は 御嶽おんたけ 乗鞍のりくら 駒ヶ岳
浅間
あさまは殊ことに活火山 いずれも国の鎮しずめなり
流れ淀まず ゆく水は 北に犀川
さいがわ 千曲川ちくまがわ
南に木曽川 天竜川 これまた国の固かためなり

3.
木曽の谷には真木
まきしげり 諏訪すわの湖うみには魚うお多し
たみのかせぎも豊かにて 五穀の実らぬ里やある
しかのみならず桑とりて 蚕飼
こがいの業わざの打ちひらけ
細きよすがも軽
かろからぬ 国の命を繋つなぐなり

4.
たずねまほしき園原そのはらや 旅のやどりの寝覚ねざめの床とこ
木曽の棧かけはし かけし世も 心してゆけ久米路橋くめじばし
くる人多き筑摩つかまの湯 月の名に立つ姨捨山おばすてやま
しるき名所と風雅士みやびおが 詩歌しいかに詠よみてぞ伝えたる

5.
旭将軍義仲
よしなかも 仁科にしなの五郎信盛のぶもり
春台
しゅんだい太宰だざい>先生も 象山ぞうざん佐久間先生も
みなこの国の人にして 文武の誉ほまれ たぐいなく
山と聳
そびえて世に仰あおぎ 川と流れて名は尽つき

6.
吾妻
あずまはやとし 日本武やまとたけ  なげき給たまいし碓氷山うすいやま
穿うがつ隧道トンネル二十六 夢にもこゆる汽車の道
みち一筋に学びなば 昔の人にや劣
おとるべき
古来山河の秀
ひいでたる国は偉人のある習い


歌声はこちら

http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E4%BF%A1%E6%BF%83%E3%81%AE%E5%9B%BD&tid=9ac5c1664953020bd2928a9ed3efc9b1&ei=UTF-8&rkf=2&dd=1


アップル@信州



航空会社から来年のカレンダーが届き始めました。

来年も森本英世さんのコンサート、旅予定でいっぱいになりますように♪

会社の同期会がありました。

同期といっても、同時期に入社した東京支社の女性と二人だけです。


彼女が長野県の本社に用事で来る時に開催します。


入社年数が彼女との付き合いで13年になります。

彼女の方が10歳若いのですが、気が合うので何でも話してきたつもりです。


私は今年夏あたりから自分の中で解決しないといけない事があります。


あまり弱みを見せるのは好きではないですが、話のはずみでその事に触れてしまいました。

すると、彼女もポツリポツリと自分の事も話し始めます。


そんな話初めて聞いたよ、という話ばかり。

いかに今までの付き合いが表面的だったか。


本音を言ったり、弱みを見せると、相手も気を許してくるのね。

弱い女も悪くないかも。


そういえば、父親が生きていた時は一歩引いて付き合っていた10歳年上の従兄弟や叔父、義兄など、とても親切に温かくしてくれます。


世の男性陣は「かわいそうな女」が好きなのかもしれません。


どんどん「かわいそオーラ」を出していこうかな。



ハッピー&ブルー時代に「かわいそうな女」というタイトルの唄がありましたね。


「電話を待って、体中耳になりそう 待って疲れて今夜もひとりで眠るのね」・・・かわいそうだね。


アップル@信州



今日は桜吹雪ならぬ枯葉吹雪が吹き荒れました。


木から落ちる葉に加えて、地面に落ちた葉が強風で渦巻き、再び地上に舞い上がります。

あぁ、何と美しい枯葉の乱舞でしょう。



なかにし礼さんの「兄弟」を読んだ後、元妻清水秀子さんの書いた「それからのわたし」を読みました。


「兄弟」でなかにしさんの幼少~少年時代、歯をくいしばって必死に生きてきた姿に母心を感じてしまいましたが、なるべく先入観や思い込み、偏見を取り払うよう努力して読みました。しかし、多少の主観も入るかもしれません。


なかにしさんの大学時代の学費を含め、生活費のほとんどをモデルとして収入のある彼女が担っています。

この部分をクローズアップして、「下積み生活を支えた妻を捨てた」という批判が集まりますが、男女に関係なく生活力のある人が支えればいいことです。その後の展開にその部分はそんなに関係ない気がします。


この本には、なかにしさんに裏切られた悔しさや悲しさが溢れていて、「それからのわたし」ではなく、「あの頃のわたし」にどうしても注目してしまいます。


心変わりは誰にもあることで、それを責められないけれど、要はその別れ方に相手を思いやる気持ちがあるかどうかだと思います。


私が調べた範囲では、なかにしさんが何の反論をしていないので、片方の意見を聞いて判断をするのはフェアーではないですが、書いてあることが事実ならちょっと彼のやり方は酷かったと思います。


人間として、女性としての尊厳を踏みにじって、相手から別れを言わせるやり方は心底切ないです。


3回目の妊娠の際、ぜひ産みたいと願う妻に、中絶を迫る夫。

すでに夫の心は冷え切ってしまっています。


無事産まれても、家に帰らない夫。


「今日でお別れ」は彼の愛が冷めた中で作られた、わたしと娘にとってとても残酷な唄だった、と書いています。


やっぱりそうだったのか、いかにも男性側に都合よく書かれていて違和感がぬぐえなかった、そのくせやけにリアリティに溢れていたこの唄。

昭和の男が好む理想的な男目線の別れ方に、ここしばらく気になって仕方ありませんでした。

そのナゾが、こんなに早く解けるとは思ってもいませんでした。



離婚調停中に、二人で会った時に彼は「抱いてやろうか」と言うんです。


「この男が女をどう見ているか、わたしをどう見ているか、これではっきりした」と書かれています。


でも顔を見るだけで心臓が苦しくなるほど嫌いになった女性に対してそう思うわけもなく、まだ自分に心がある女性に最後の一撃を与えて「もうこれで嫌いになってくれ」と言っているように思えました。


心筋梗塞をわずらう夫が妻に「顔を見るのも苦しい、帰ってくれ」と言うんです。

「人形の家」を聞くと烈しい痛みが体を貫き、その痛みの奥で殺意をおぼえた、と書かれています。


菅原洋一さんのヒット曲「知りたくないの」

あなたの過去などしりたくないの・・は彼女の口癖だったとか。

女性遍歴や、育った環境のことを話したがる夫に「過去を知れば知るほど、今の生活が壊れる気がする」と聞こうとしなかった妻。


ただ聞いて欲しいだけなんだから、それで気が晴れるなら黙って聞いてあげればよかったのに・・と思いました。


このことも含めて、「兄弟」によると、妻の強情さ、生真面目さに息苦しさを感じている夫と、それに全く気が付いていない妻が見て取れます、ひと言で言えば二人は「相性が悪い」と感じました。



自分との生活が息づく彼のつくった歌が聞こえてこない世界に行きたいと、娘を実家に託して単身で渡米します。

日本にいたら「なかにし礼に捨てられた哀れな女」というレッテルが貼られて耐えられなかったのです。


数年たって日本に一時帰国しました。米国に戻る時に娘がバスケットいっぱいに大切なものを詰め込んで「わたしも!」と叫ぶのですが、振り切ってタクシーに乗って行ってしまいます。


自分の娘であっても今負担になるものを切り離さなければ、女ひとりで生きていけなかったと。


読者レビューに「この場面だけは賛成できない」と書いていた人がいましたが、わたしは彼女が心のバランスを保つには、ここまで割り切らないと本当に生きていけなかったんじゃないかと思います。とても責められません。


その後、悔しさを原動力にアメリカの美容業界で彼女は大成します。


養育費が滞ったなかにしさんに日本で会います。


ニューヨークという大都会のエステティックの最前線で独立した女として働く成長した自分を見せびらかして、屈服させたかった。あなたが捨てた女は、こんないい女になって、日本で一番有名な作詞家になっているあなたの前にも堂々と出られるのよ。


そう記述していましたが、なかにしさんにとってそんな事は取るに足らないことの様に思いました。

何の未練もない女性が大成しようが、興味はなかったでしょう。


仕事も軌道に乗り、彼女は娘をアメリカに呼び一緒に生活を始めます。

近い将来娘が父親に会いたいという日が来ると感じていました。


「ねぇ、マミー、わたしお父さんに会いたい」。その日が来ました。


娘が15歳になった時、なかにしさんに会わせるために日本で3人で会います。

その時、なかにしさんは今の妻と結婚しています。


引き合わせの場所は彼女がモデル時代行きつけの六本木のお寿司屋さん、娘を挟んで食事をします。

親子3人で食事をするのは、娘が生まれて以来はじめてのことで、嬉しくて舞い上がっていたと書かれていました。


恋愛時代のように彼は私にも優しく、

「上がりをください」と言うと、彼は「あがりってのはね、最後に飲むから上がりっていうんだよ」と、茶かす言葉さえも嬉しかったようです。


食事を終えて外に出たときに、ハンドバッグが手から滑り落ちて中のものが全部路上に飛び散りました。それを拾いながら、自分が動揺していることを初めて知ったと書かれています。


あんな仕打ちをされても、まだなかにしさんを愛していたんですね。


娘が母親になり育児に疲れる時、アメリカ流の楽な子育ての仕方を教えたら、「干渉しないでよ、私はスキンシップを充分にとって、愛情たっぷりこの子に注いで育てようとおもっているのに」と娘はひどく怒りました。


しまいには「ねぇ、マミー、私は本当に望まれて生まれてきた子なの?両親に心から望まれて生まれてきた?」と、育児で気が立っていたにしてもそこまで言い出します。


「母親になった娘が生まれて初めて、私に母親失格を突きつけてきたのです」と。

娘を置いてアメリカに渡った8年を批判されたような気がしたでしょう。


でも、その時はそうしなければ生きていけなかったから仕方なかったと思います。

完璧な人間なんているはずもなく、人生なんて後悔と反省ばかりです。



読む前は、暴路本なのかと思っていましたが、そうではありませんでした。

彼女が心の整理をつけるために書かれた本でした。


彼女の本意でないにしても、結果として批判がなかにしさんに向けられますが・・。


この言葉で、清水秀子さんが幸せな生活を送っていることが伺えます。今、ホノルルで生活をしているそうです。

「いまのわたしは胸を張って言える。なかにし礼ー中西禮三との出会いに、こころからありがとうと」



以下は余談です。


以前、「兄弟」のなかで菅原洋一さんの名前を見つけたと書きましたが、その後その部分を読みました。


唄は上手いが売れない菅原洋一さんの最後のチャンスの訳詞をまだ作詞家として売れていないなかにし礼さんが頼まれます。、これで売れなかったら菅原さんは田舎に帰ってオルガンでも弾いて幼稚園の先生になると言っているらしい。


それが「しりたくないの」です。


あなたの過去など知りたくないの

この「過去」と言う言葉が新鮮に響いて、これだと感じたと。


しかし、レコーディングの日、どうも菅原さん自身が今ひとつ乗ってこない。

「この過去って言葉がどうも歌いにくくて気持ちが入らない」と言う。

わざとヘタに歌っているのじゃないかと思うほどギクシャクした感じに過去という言葉を歌う。


「カ行が二つならんでいるせいかな、過去を他の言葉に代えてくれ」という菅原さん。

「そんなの変だ、カ行が二つ並ぶ日本語ならいくらでもある。基本的な問題は何もないんだから歌えるはず」と言うなかにしさん。


「でも歌いにくいものはしょうがないよ。歌うの、ぼくだから」と。

菅原洋一はひとの良さそうな笑顔を見せながらも、言葉だけはきつかった、と。


反発するなかにしさんに「そこを考えるのが作詞家じゃないか」

「歌手なら多少歌いにくくても上手く歌ってみせてよ」


どちらも譲らない。


ディレクターに「洋一さんは最後のチャンスにかけているの、その気持ちを分かってあげて一晩他の言葉を考えてみて」と言われる。


翌日、「他の言葉を徹夜で考えてみたけれどこの言葉しかなかった」と言うけれど、考えるつもりなどなかったでしょう。


菅原さんも吹っ切れたようにスムーズに歌った、いい感じだったと。


その後の売れ行きは言うまでもありません。


読んでいる途中で、菅原さんの方が年上なんだ・・と思いました。


昭和8年生まれなので今年で82歳なんですね。

実年齢より10歳は若く見えるのは、姿勢の良さもあるのでしょうか。



しかし、ネット上でなかにしさんは、ひどい言われよう(叩かれ方)ですね。

粋なつくりのホームページにも「自己顕示欲の表れ」とか、オシャレで悪いですか?(笑)


あの時代を生きてきた人が、その程度の批判を気にするとは思えませんが・・。








今日は、復興のお手伝いチャリティコンサート in 久慈市文化会館


嵯峨レイコ華麗なるデビュー&森本英世「45周年」でしたね。



東日本大震災から4年たちますが、まだまだ長い道のりですね。

ますますの復興をお祈りします。


岩手県久慈市は嵯峨レイコさんのご出身地なんですね。

前回の熊谷市の8月公演にケ~ロックさんと一緒に行きましたが、前列だったのでヒザの震えがはっきりわかりました。

初々しかったですよ☆


あなたのデビュー記念公演を見させていただいたのも何かのご縁、これからも頑張ってくださいね。



森本英世さん


あのステージを昼夜2回もこなされたんですね☆

本当に、お疲れ様でした♪

                      



アップル@信州




トラブル発生!仕事に間違いがあったらしい。


そもそも資料を提供にしてくれた人が間違っていたのが原因。

だが、その内容に疑問を持ったら防げたかもしれないという、多少の後ろめたさもある。


正確さをモットーとしていたので、訂正文を書くのは初めて。

とんだ汚点がついてしまった。(笑)


ボスにこれで良いかと尋ねると「最後にお詫びして訂正しますと書いておいて」と。


お詫びなんて書かないといけませんか?(こっちのミスでもないのに)


ボス「そりゃぁそうだよ、うちの責任で出しているんだから」


「う~~~ん」渋々承諾。


明日には私が書いた訂正文が出回る。

みんなは誰の仕事か知っているので、私がミスをしたと思うだろうな・・。


今回のことで気が付いた。

私が大切にしているのは、会社の信用でも、関係者の信頼でもなく、同僚の評価や目だったという事。


案外チッチャイな!まぁ、それも悪くないか・・。


アップル@信州

森本さんのことを書くと、そっちの方が長くなりそうだったので、昨日は敢て書きませんでした。


昔の澄み切った声も素敵ですが、今の森本さんが歌う今日でお別れを、まだお聴きになったことがない方は、ぜひ聴いてみて下さい。


情景が浮かんできて、本当に切なくなります。


あの甘い言葉をささやいたあなたが突然さよならを言えるなんて・・


優しく気を配る胸はずむ仕事はこれからどなたがするのかしら・・


こみあげる涙は、こみあげる涙は言葉にならないさよなら・・



この部分をそんなに甘く歌われると余計悲しくなりますよ~



激しい感情や憎しみ、悲しみを押さえて、こんな物分かりよく身を引く女性がいるのかしら。

・・いるのかもしれないですね、私の周りにいないだけで。

感情を抑えた悲しみが、なおさら涙を誘います。





だって、この状況ってヘタすればsasareますよね。


私だったら、sashiはしないけれど、殴るくらいはするでしょう。

殴らなかったら、「もらってくれる人がいて、せいせいした!」って事ですから。


アップル@信州


12月21日のホテルニューグランドの森本英世さんのディナーショー、早速申し込んじゃいました♪

行くぜっ~♪ヨコハマ!


ちょうどこの日は代休。


心配なのは、この時期の研修の日程と、帰りの公共交通機関がないから車で行くしかないけれど、雪の心配かな。


まぁ、行ける事を願って、頑張ってお仕事しましょう~☆


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さて、昨日のNHK歌謡コンサートに菅原洋一さんがご出演されていましたね。

「今日でお別れ」を歌っていました。話題にしたばかりで、ほ~んとタイムリー。


以前とお変わりなく、味のある歌い方に酔いしれましたよ。


あ、良いことを書いていなかったから、この曲は嫌いなんじゃないかと思った?

実は、「森本英世 昭和ロマンをうたう」では、「愛をさがして」に次いでこの曲が好きです。」あとは「粋な別れ」「東京カチート」が入ってきます。


まぁ、アレですね、好きな子を苛めたがる心理、・・って小学生か!しかも男の子か!ってね。笑)


今、なかにし礼さんの「兄弟」を読んでいますが、最後のほうに菅原さんのお名前を見つけました。

何が書かれているのかな。


あんな激しい歌を書く人の本質が見えるんじゃないかと期待して読み始めたのに、なかにしさんの印象が180度良い方向に変わってきています。まさかのどんでん返しか?



アップル@信州