なかにし礼さんの「兄弟」を読んだ後、元妻清水秀子さんの書いた「それからのわたし」を読みました。


「兄弟」でなかにしさんの幼少~少年時代、歯をくいしばって必死に生きてきた姿に母心を感じてしまいましたが、なるべく先入観や思い込み、偏見を取り払うよう努力して読みました。しかし、多少の主観も入るかもしれません。


なかにしさんの大学時代の学費を含め、生活費のほとんどをモデルとして収入のある彼女が担っています。

この部分をクローズアップして、「下積み生活を支えた妻を捨てた」という批判が集まりますが、男女に関係なく生活力のある人が支えればいいことです。その後の展開にその部分はそんなに関係ない気がします。


この本には、なかにしさんに裏切られた悔しさや悲しさが溢れていて、「それからのわたし」ではなく、「あの頃のわたし」にどうしても注目してしまいます。


心変わりは誰にもあることで、それを責められないけれど、要はその別れ方に相手を思いやる気持ちがあるかどうかだと思います。


私が調べた範囲では、なかにしさんが何の反論をしていないので、片方の意見を聞いて判断をするのはフェアーではないですが、書いてあることが事実ならちょっと彼のやり方は酷かったと思います。


人間として、女性としての尊厳を踏みにじって、相手から別れを言わせるやり方は心底切ないです。


3回目の妊娠の際、ぜひ産みたいと願う妻に、中絶を迫る夫。

すでに夫の心は冷え切ってしまっています。


無事産まれても、家に帰らない夫。


「今日でお別れ」は彼の愛が冷めた中で作られた、わたしと娘にとってとても残酷な唄だった、と書いています。


やっぱりそうだったのか、いかにも男性側に都合よく書かれていて違和感がぬぐえなかった、そのくせやけにリアリティに溢れていたこの唄。

昭和の男が好む理想的な男目線の別れ方に、ここしばらく気になって仕方ありませんでした。

そのナゾが、こんなに早く解けるとは思ってもいませんでした。



離婚調停中に、二人で会った時に彼は「抱いてやろうか」と言うんです。


「この男が女をどう見ているか、わたしをどう見ているか、これではっきりした」と書かれています。


でも顔を見るだけで心臓が苦しくなるほど嫌いになった女性に対してそう思うわけもなく、まだ自分に心がある女性に最後の一撃を与えて「もうこれで嫌いになってくれ」と言っているように思えました。


心筋梗塞をわずらう夫が妻に「顔を見るのも苦しい、帰ってくれ」と言うんです。

「人形の家」を聞くと烈しい痛みが体を貫き、その痛みの奥で殺意をおぼえた、と書かれています。


菅原洋一さんのヒット曲「知りたくないの」

あなたの過去などしりたくないの・・は彼女の口癖だったとか。

女性遍歴や、育った環境のことを話したがる夫に「過去を知れば知るほど、今の生活が壊れる気がする」と聞こうとしなかった妻。


ただ聞いて欲しいだけなんだから、それで気が晴れるなら黙って聞いてあげればよかったのに・・と思いました。


このことも含めて、「兄弟」によると、妻の強情さ、生真面目さに息苦しさを感じている夫と、それに全く気が付いていない妻が見て取れます、ひと言で言えば二人は「相性が悪い」と感じました。



自分との生活が息づく彼のつくった歌が聞こえてこない世界に行きたいと、娘を実家に託して単身で渡米します。

日本にいたら「なかにし礼に捨てられた哀れな女」というレッテルが貼られて耐えられなかったのです。


数年たって日本に一時帰国しました。米国に戻る時に娘がバスケットいっぱいに大切なものを詰め込んで「わたしも!」と叫ぶのですが、振り切ってタクシーに乗って行ってしまいます。


自分の娘であっても今負担になるものを切り離さなければ、女ひとりで生きていけなかったと。


読者レビューに「この場面だけは賛成できない」と書いていた人がいましたが、わたしは彼女が心のバランスを保つには、ここまで割り切らないと本当に生きていけなかったんじゃないかと思います。とても責められません。


その後、悔しさを原動力にアメリカの美容業界で彼女は大成します。


養育費が滞ったなかにしさんに日本で会います。


ニューヨークという大都会のエステティックの最前線で独立した女として働く成長した自分を見せびらかして、屈服させたかった。あなたが捨てた女は、こんないい女になって、日本で一番有名な作詞家になっているあなたの前にも堂々と出られるのよ。


そう記述していましたが、なかにしさんにとってそんな事は取るに足らないことの様に思いました。

何の未練もない女性が大成しようが、興味はなかったでしょう。


仕事も軌道に乗り、彼女は娘をアメリカに呼び一緒に生活を始めます。

近い将来娘が父親に会いたいという日が来ると感じていました。


「ねぇ、マミー、わたしお父さんに会いたい」。その日が来ました。


娘が15歳になった時、なかにしさんに会わせるために日本で3人で会います。

その時、なかにしさんは今の妻と結婚しています。


引き合わせの場所は彼女がモデル時代行きつけの六本木のお寿司屋さん、娘を挟んで食事をします。

親子3人で食事をするのは、娘が生まれて以来はじめてのことで、嬉しくて舞い上がっていたと書かれていました。


恋愛時代のように彼は私にも優しく、

「上がりをください」と言うと、彼は「あがりってのはね、最後に飲むから上がりっていうんだよ」と、茶かす言葉さえも嬉しかったようです。


食事を終えて外に出たときに、ハンドバッグが手から滑り落ちて中のものが全部路上に飛び散りました。それを拾いながら、自分が動揺していることを初めて知ったと書かれています。


あんな仕打ちをされても、まだなかにしさんを愛していたんですね。


娘が母親になり育児に疲れる時、アメリカ流の楽な子育ての仕方を教えたら、「干渉しないでよ、私はスキンシップを充分にとって、愛情たっぷりこの子に注いで育てようとおもっているのに」と娘はひどく怒りました。


しまいには「ねぇ、マミー、私は本当に望まれて生まれてきた子なの?両親に心から望まれて生まれてきた?」と、育児で気が立っていたにしてもそこまで言い出します。


「母親になった娘が生まれて初めて、私に母親失格を突きつけてきたのです」と。

娘を置いてアメリカに渡った8年を批判されたような気がしたでしょう。


でも、その時はそうしなければ生きていけなかったから仕方なかったと思います。

完璧な人間なんているはずもなく、人生なんて後悔と反省ばかりです。



読む前は、暴路本なのかと思っていましたが、そうではありませんでした。

彼女が心の整理をつけるために書かれた本でした。


彼女の本意でないにしても、結果として批判がなかにしさんに向けられますが・・。


この言葉で、清水秀子さんが幸せな生活を送っていることが伺えます。今、ホノルルで生活をしているそうです。

「いまのわたしは胸を張って言える。なかにし礼ー中西禮三との出会いに、こころからありがとうと」



以下は余談です。


以前、「兄弟」のなかで菅原洋一さんの名前を見つけたと書きましたが、その後その部分を読みました。


唄は上手いが売れない菅原洋一さんの最後のチャンスの訳詞をまだ作詞家として売れていないなかにし礼さんが頼まれます。、これで売れなかったら菅原さんは田舎に帰ってオルガンでも弾いて幼稚園の先生になると言っているらしい。


それが「しりたくないの」です。


あなたの過去など知りたくないの

この「過去」と言う言葉が新鮮に響いて、これだと感じたと。


しかし、レコーディングの日、どうも菅原さん自身が今ひとつ乗ってこない。

「この過去って言葉がどうも歌いにくくて気持ちが入らない」と言う。

わざとヘタに歌っているのじゃないかと思うほどギクシャクした感じに過去という言葉を歌う。


「カ行が二つならんでいるせいかな、過去を他の言葉に代えてくれ」という菅原さん。

「そんなの変だ、カ行が二つ並ぶ日本語ならいくらでもある。基本的な問題は何もないんだから歌えるはず」と言うなかにしさん。


「でも歌いにくいものはしょうがないよ。歌うの、ぼくだから」と。

菅原洋一はひとの良さそうな笑顔を見せながらも、言葉だけはきつかった、と。


反発するなかにしさんに「そこを考えるのが作詞家じゃないか」

「歌手なら多少歌いにくくても上手く歌ってみせてよ」


どちらも譲らない。


ディレクターに「洋一さんは最後のチャンスにかけているの、その気持ちを分かってあげて一晩他の言葉を考えてみて」と言われる。


翌日、「他の言葉を徹夜で考えてみたけれどこの言葉しかなかった」と言うけれど、考えるつもりなどなかったでしょう。


菅原さんも吹っ切れたようにスムーズに歌った、いい感じだったと。


その後の売れ行きは言うまでもありません。


読んでいる途中で、菅原さんの方が年上なんだ・・と思いました。


昭和8年生まれなので今年で82歳なんですね。

実年齢より10歳は若く見えるのは、姿勢の良さもあるのでしょうか。



しかし、ネット上でなかにしさんは、ひどい言われよう(叩かれ方)ですね。

粋なつくりのホームページにも「自己顕示欲の表れ」とか、オシャレで悪いですか?(笑)


あの時代を生きてきた人が、その程度の批判を気にするとは思えませんが・・。