積極的に推し進めたい感覚学習 | 「衣食住育学」石川幸夫のブログ

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教育畑40数年、猫好き、子ども好き、音楽好き!幼児、小学生の算数指導用に、水道方式のタイルを独自開発。教育評論家・教育研究家・子育て評論家としても活躍中です。

 

 TODAY'S
 
狭まる子どもの感覚

■視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚、そして…

 今日もご訪問頂きありがとうございます。

 

 今日は、昼食に奥さんを誘い、車で移動したのですが、これが大変、エアコンが故障し車内はサウナ状態、食事は美味しくいただけたのですが、外気温36度を示していましたが、窓を開けた方が涼しく、危うく車内で熱中症になる所でした。社内のラジオは、昭和を代表するような「傷だらけの人生」が流れ始めると、思わず聞き入ってしまいました。「何から何まで 真っ暗闇よ

すじの通らぬ ことばかり 右を向いても 左を見ても ばかと阿呆の からみあい…」今の時代でも言える歌詞に、沖縄で起きたアメリカ海兵隊員による、沖縄の女性に対する性的暴行事件、とうとう、この国の政治家は、この国の国民を守らず、犯罪者やその組織をかばう側に回っている。それに、警察までも。憤りを超えた怒りを覚えます。我々の非日常が今の沖縄、これでいいわけがありません。政府も、本気になって信用を回復すべき時なのに、やはり、政権交代は必然なのでしょうか。

 

 今日は、午前中、これから簿教育について、若き教育者とオンラインで話し合っていました。その中で出てきたのが「感覚教育」です。なかなかなじみの薄い言葉かもしれません。視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚の五感があることは既にご承知のことと思います。ただ、子どもの幼少期からの成長に欠かせない五感を使った生活や体験が、現代社会では次第に無理が生じ始めています。

 

 今、私たちは、子どもの合宿活動についても、その在り方などで論議を交わしているのですが、ぎゅうぎゅうのスケジュールを組むような合宿、ここでは「自然合宿」と称していますが、そんなスケジュールは必要ないと考えています。子どもを広大な原っぱに連れていくだけで、ごくごく自然に走り始めます。それも満面の笑顔で。ある程度走り終えると、その中で気になったところで足を止め、無視やら草花やらに興味を示し、石ころまでも興味の対象になって行きます。

 

 この走り回る感覚は、子ども自ら感じ取る「風を切る」速さ感覚です。また、目に飛び込んでくるのは自然の作る曲線や直線、空間の広がりです。また地面には、固い所、柔らかいところなど、一定でない感触が伝わってきます。ある程度遠くまで走ると、親の姿が小さくなって見える、家の中で喉が渇く感覚とは違う、身体が水を欲している感覚、そして、水を飲むと、その美味しさは喉が表現してくれる。空気の匂いや、爽やかささえ感じる。

 

 「現代社会に生きる子どもたちは、人工の中に閉じ込められ、ほぼ同じ味の食事を与えられている。」と、今の子どもを包む環境に警鐘を鳴らす方も増えてきました。アスファルトの道を歩き、コンクリートの家で過ごす子も増えてきています。都心の高層マンションでは、外に出ない子どもが増え、親も安心感を得るため、室内で遊ぶことを進めています。開発という名目で、せっかく成長してきた神宮外苑の樹木を伐採するという、愚かともいえる行為を都知事選の間だけ止める政治家。こうした環境下で育つ子どもに変化はないのでしょうか。

 

 子どもは環境の中で育つ、なのに、その環境は、大切な自然を開発という名目の破壊行為で人工的なものに置き換えていく。自然は時に我々に向かい牙を見せてきます。それも当然なのでしょう。だからこそ、少しでも人工物から離れ、自然が織りなす空間に子どもたちを誘いたいと思います。流れる川の色、臭い、温度、水辺の空気、足から伝わる凹凸や感触の代わる土から伝わる感触、子どもの肌で感じる自然空間は、皮膚感覚、嗅覚を研ぎ澄まし、もぎたての野菜から、大地の恵みを「いただく」という感覚、教室では味わえない「生きている」「生きる」という学習ができます。

 

 夏休みも間近です。親子で自然を満喫してみませんか。アスファルトの道路から、土の道を歩くだけでも良いのです。どこでも同じような味の食事ではなく、親子で炊き立てのご飯で作る素朴な塩むすびの味、子ども以上に親もリフレッシュできるのではないでしょうか。田舎に行くと開放的な気分になるというのは、余りにも人工物に囲まれた環境、大量生産の食事環境などがないからです。それは、お風呂に入った時の解放感と同じです。来ているものを脱ぎ、裸になるだけで、衣服や肌着から受ける、皮膚へのストレスから解放されるからです。

 

 今の社会環境・住環境は、子どもも大人も、自然から受けるものを遮られた環境の中にあり、誰もが疲弊しているのではないでしょうか。もっと、自分にある感覚を大切にしたいですね。特に成長期ある子どもには。