なんばー 522 いい加減な話その2(ヤタガラス) | 堀切光男のエッセイ畑

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主にエッセイ。

 

和歌山県でもっとも有名な事と言ったら 熊野神社に祀られている

 

「八咫烏(ヤタガラス)」

言わずと知れた日本サッカーの守り神です

 

 

 

 

 

 

 

前回からの続きです ある日突然我が家に届いた1通の通知書が

 

小生の心の中にあった モヤモヤをまるで雲が引く様に日本晴れの空にしてくれました

 

(1)堀切光次と言うのが小生の父なのですが 生まれが明治35年

 

  亡くなったのが平成元年3月 丁度昭和天皇と同じ年に生まれ

 

 天皇と同じ年に66歳で亡くなっています。まるで後を追うようでした。

 

平成元年と言うと今の店舗兼住宅を立て直している頃で 3月と言えば

 

工事が始まったばかり あわただしい日々を送っており 故郷から

 

父死亡の電話が届いたが 日にちを書き留めるのをすっかり忘れてしまった

 

結局葬式も遠方のために 欠席 親不孝なことをしてしまいました。

 

これでやっと正確な命日がわかりました。

 

(2)母はシゲノというのですが父より一つ年下の明治35年に生まれています

 

二人が結婚したのが昭和18年 母が亡くなったのが昭和33年4月3日

 

実は小生 4月1日が母の命日だとばかり思っていました。

 

今まで毎年1日に西の空に合掌していたのは 何だったのだろう。

 

(3) 一番驚いたのは 小生は5人兄弟の5番目だとばかり思っていたのが

 

6人兄弟の末っ子でした。

 

昭和7年に長男として操という男性が生まれていました しかし生まれて ひと月もしないで亡く

 

なっていました 全く知らなかった話で、この事は誰も教えてくれなかったので 仕方のない事

 

でもあります

 

つぎの次男規男は昭和2年生まれで昭和20年9月28日死亡と書かれていました。

 

日本海軍の軍艦に乗っていた次兄は敵機の機銃掃射を腹に受け1年後に亡くなったそうです

 

若干18歳だった訳で本当に戦争の悲しさ 虚しさを感んじます。

 

今現在もウクライナやイスラエルで何人もの人が亡くなっています

 

この無益な戦争が終わることは 無いのでしょうか。

 

その5年後に小生が生まれてきています 父母が48歳の時の子供として生を受けた訳で

 

当時は「恥かっき子」と言われたそうだ

 

末っ子として生まれてきたので随分甘やかされたらしく今でも

 

小生の性格にそれは色濃く残っているようだ。

 

(4) 最後に小生と妻の結婚記念日が1日づれていた事も判明する

 

どういう事かというと 当時駆け落ち同然の、ごたごたの中で

 

婚姻届けが遅れてしまった 3か月程経ってようやく届けを出そうとしたところ

 

小生の本籍地が故郷の和歌山県古座村に有り村役場から取り寄せる事となった

 

そして婚姻が受理された書状が届いたのが9月1日 だから9月1日が結婚記念日だと

 

勘違いしていた次第。 よく確かめなかったのも 驚きだが 50年もそのままで

 

今回の事がなかったら死ぬまで ずーと9月1日が結婚記念日だと信じていた事になります

 

本当は1日前の8月31日が結婚記念日でした わずか1日違いで大した違いはないにしても

 

その事でこれからもずーと妻にいじられ続けるのかと思うと嫌になります