ナンバー326 細く長く ちょっとしよっぱい ラーメン人生その3 | 堀切光男のエッセイ畑

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主にエッセイ。

 

 

10人部屋の面々  もう一人は年配の 大工の棟梁。集合写真には加わらなかった。

左から沖縄出身の少しオネエ系,   カメラ君,      光夫君

 

下段 僕                     満男君                       詩人さん

 

昭和 四十五年もあと二か月余り、僕も今年いっぱいでの退院が決まり、残り二か月の

 

入院生活を大いに謳歌しようと(ハッスル )するのだった。

 

如何にもそのような顔をした 詩人さん、本当に書物を書いている人。

 

僕が作詞作曲をしているのを知っていろいろ助言してくれました。

 

手帳に結構沢山 書いていたのですが、褒められた詩を紹介すると。

 

下 入院したそのころの心境が伝わってくる

 

「ハト  70,1,18 」 入院して二十日後くらい

 

1)一羽の  山バト 小雨の中で    風に震えて 鳴いている

 

街にお前も憧れ 抱いて   山をおりて 来たのかい

 

2)  独りぽっちは 淋しかないか  街の夜風は冷たかろ

 

ハトよお前も 疲れたのかい  街の暮らしに 負けたのか

 

3)  ハトよ 故郷 が 恋しくないか  母や妹に 逢いたかろ

 

ハトよお帰り 古里へ 待ってる人も いるんだろ

 

4)もしも お前の 翼があれば   僕も飛んで帰りたい

 

遠い 古里 君待つ 村へ 僕も 今すぐ 帰りたい

 

「雨  70、 4、22」

今日も 雨が降っています  私は お部屋にただ独り

貴方に お手紙 書きながら  雨の 歌を 聞いて います

 

もうすぐ 雨も 止む でしょう  そして嬉しい 夏が来る

貴方は 夜汽車で 帰るでしょう 雨よ 早く 止ん どくれ

 

早く雨が 止む ように そして貴方が帰るよに

テルテル坊主を 作ります  きっと 早く帰って きてね

 

下 素晴らしい曲と自画自賛しているのに 楽譜に書き留めて

いなかったので 今はもうすっかり忘れてしまった。

下  君が好きだから

 

下 恋を求めて

 

 

 

上 「 療養所 ブルース 」の歌も 作った。抜粋すると

 

フーテン時代は シブヤに住んで ジュクやブクロも 俺の 庭   風がそろそろ冷たくなって

今は 中野の居候  ああ、中野フーテン療養所

 

胸の痛みは 病 じゃないぜ 可愛いあの娘が  俺の身を  思う心が届いたまでさ

せめて 今夜も 夢で逢お  ああ、中野 涙の療養所

 

待っていますと 涙の声で 言った言葉はうそなのか  あんな女に未練はないが

やけに今夜は飲みたいぜ    ああ、中野切なき 療養所

 

愚痴じゃ なけれど 達者であれば 今夜あたりも はしご酒  今じゃグラスに少しの酒も

医師に隠れて飲む辛さ  ああ、中野侘しき療養所

 

にじむネオンは 新宿あたり 出るに出られぬこの胸に  バーのあの娘の 思わせぶりが

なんで今頃気にかかる  ああ、中野悲しき 療養所

 

さしつ さされつ飲み屋の 二階 可愛いあの娘の 膝枕 細いその手を 引き寄せ 抱いて

朝のチャイムで 起こされた  ああ、中野むなしき 療養所

 

オラの 話ば 聞かしゃんさいと ヨメの のろけに国自慢 いつか身の上話になって

聞くも涙の物語  ああ、  中野人生療養所

 

君は青森 私は四国  お国自慢に  花が咲く  いつか 再発  戻れたならば

此処でこうして 逢いましょう  ああ、中野楽しき療養所

 

菊に白百合 牡丹もあるよ 中野病院花盛り どれを折ろうかよりどりみどり

どうせ 折るなら  可愛い 花  ああ、中野 花さく療養所

 

許可を貰えば 先生が止める  そっと抜け出しゃ 看護婦が またかまたかと

目の色変えて いっそ飛び出しゃ 治りゃせぬ  ああ、中野侘しき療養所

 

朝寝 朝風呂  三食付きよ  ホテル並みとは 言わないが勝って気ままな病院暮らし

何が不足で 愚痴をいう  ああ、中野天国 療養所

 

(31番まであるのですが、この辺りで)

 

 

ところで 今回 引き出しにしまい込んでいた この手帳を引っ張り出し 開いて確認していたら

 

こんな書き込みが 知らない内に書かれていました  。

 

平成2年は僕が 40歳 娘は10歳の頃でしょう。

 

父親が14歳位から書き留めた 詩や 短歌 、22歳位まで作っていた歌の詩を読んで

 

何か感じるモノがあったみたいです。

 

 

ラーメン屋の後は継がなかったけどね。