ナンバー117 昔話のあれやこれや その5(清流での漁法) | 堀切光男のエッセイ畑

堀切光男のエッセイ畑

主にエッセイ。

アユ

 

 

ハヤビンを作る

 

昔セルロイド製のハヤビンが出回る前は一升瓶で自作したものでした。

ただ、ビンを綺麗に二つに切り分けるのは(ガラス切がなかったから)

非常に難しく、名人と呼ばれていた同級生をおだてて、切って貰ったものでした。

もっともハヤを捕るには昔からの方法も有り、木桶と布巾が有れば簡単に仕掛けられました。

この時仕掛けの中に生きたハゼ等を一匹入れて置くと後から、後から

「オレも、オレも」と安心して魚が入って行ったものでした。

 

 

モリとヤスを作る

川の三十、四十センチの浅瀬で石をそっと起こすとハゼやボッカイと呼んでいた

(アユ カケ) 。手長エビ、モズクガニ等が潜んでいます。

それをこのモリで撃つのです。

二メートル程のヤスは潜って川底にいる、アユ、ウグイ、コイ、時にはウナギも突いたものです。

 

イサリ

東北の方では夏の夜に小川で、箱メガネとモリを使い カジカ突きをしているとか。

和歌山ではカジカと言えば川に住むカエルの事で 我が校歌にも

「カジカ 鳴く里」と歌われています。

東北のカジカとは多分ハゼの仲間かな。漫画の絵で見ると、アユカケの小型の魚みたいです。

和歌山のアユカケはでかくて、ボッカイと呼んでいますが中でも深い川底に住む

淵 ボッカイは三十センチも有りました。大きいのでアンコウにそっくりです。

ところで 夜に漁をする事をイサリと言いました。

夜の水中ではアユなども 石の陰で寝ています。

水中電灯で照らしてもすぐには逃げませんので、後ろからそっとエビ網という

柄が一メートル余もある網ですくい捕ります。

余りにも簡単に沢山捕れたので、この漁は禁止されました。

といっても、こっそり続けていた人も沢山いた様ですが

不思議にこうして網で捕まえたアユは直ぐに死んでしまいました。

 

 

下、大物を仕留めた

 

 

イサリは月の出ない夜を選びます。といっても新月の夜だけでは、幾夜も有りませんが、

良くしたもので四方を山に囲まれた村は月が山に隠れる夜も多いのです。

月が出ていると何故だめなのか?ウナギなどの夜行性の魚は月が出て 明るいと昼間と勘違いして巣穴から出てきません。

明るい? 夜なのに?都会の現在人は不思議に思うかも知れません。

街灯一つない,田舎の夜は本当に真っ暗 その中で、用水路に無数に光っているのは、

ホタルの幼虫、そして毛虫の目です。

ホタルの幼虫は光る事で毛虫に擬態していると思われます。

そんな真っ暗な村内が、山並みから月が顔を出すと様相は一変します。

 

アスワルトでは無く、土の道路は白く浮き上がり歩くのも苦になりません。

実際 子供の頃は、月明かりで影踏みの遊びをしていました。

それほど明るく感じたのは 空気が澄んでいたからでしょう。

田舎に住んでいる魚も人間も、みんな 月夜は明るかったのでした。

 

話を戻して、月明かりも無い真っ暗な水中にヤスと水中電灯を手に潜ると

電灯の灯り以外は全て闇の中。

泳いでいると後ろから何か憑いて来ている様な錯覚に陥りとても怖い。

水中電灯の輪の中で光っているのは手長エビの目。

時折、ウナギがクネクネと泳いで行きます。

息継ぎで水面に顔を出すと、川原で流木を勢大に燃やしていたので、

その灯りを目にして ホッとする。

やはり人間は真の闇は怖いと思う動物なんだと、思い知らされました。

 

水中電灯も無く、懐中電灯の電池も高価だった頃は、松明(たいまつ)か

カーバイトを使ってイサリをしていました。

カーバイトは今では   とんと見かけませんが三十年程前までは縁日の

屋台で良く見かけました。

炭化カルシウムを水と科学反応させてアセチレンを燃焼させるという、

簡単、シンプルな照明器具でした。

他に、故郷の家にはブリキ製で六十センチ程の長い筒の先に石綿が

取り付けてある、石油を使うタイマツが有りました。

筒の中に石油を入れ火の勢いが弱まると筒を傾けて火元の石綿に

石油を送るという単純な構造でしたが,雨にも風にも強かった事を覚えています。

 

さて、それらの照明器具を使って行なう漁法に「火振り漁」が有ります。

浅瀬の川の上流に縦,一メートル。横は十メートルの網を仕掛けます。

網の上には浮き、下には鉛のおもりが沢山ついています。

網を仕掛ける際、石などに乗っかり隙間が出来ると獲物はそこから逃げて

しまうので、入念にチェックします。

三十メートル位川下からタイマツの火を左右に大きく振り,バシャ バシャと

大きな水音を立てながら魚を網に向かって追いたてます。

大きすぎて網の目に頭が入らないアユ達が、網の手前で石の陰などに

隠れていたりするので見つけては ヤスで突いて捕獲します。

仕掛けた網には頭を突っ込んだアユが沢山もがいています。

そんなアユは頭を掴んで前に引き抜きます。

 

夜に行なうイサリは昼間と違い水温もかなり低いので体も冷えます。

で、必ず川原で大きな焚き火をします。流木が沢山有るのでドンドン燃やします。

さて、和歌山の故郷の川原では、「那智黒石」が沢山採れます。

神社の白、黒の玉石の黒い方や、 囲碁の黒い碁石などに使われます。

実はこの石、火で焼かれると割れて飛び出して来る事があるのです。

裸の皮膚にくっつくと大やけどをします。

だから火床を作る際には黒石を取り除き、下に砂を敷き、周りを大きな白石で囲みます。

たき火で熱く焼けたこの白石に手長エビやアユなどを乗っけて塩を振ると

石焼き魚の出来上がりです。

小腹がすいたので夜食を取ります。  持参した弁当箱にご飯と梅干が五、六個。

先ほど捕れたばかりのアユを開きます。うっかりナイフを忘れて来ても、大丈夫。

川原の黒石を叩き割ると 薄い、鋭利な石のナイフが出来るのです。

アユを背開きにして、骨や内臓を取り 梅干しを潰して擦り付け 握った飯の上に

乗せるとアユの押し寿司の出来上がり。

 

腹もくちくなり、とって置きの 遊びに移る。

水際の川原には、直径二メートル、深さ四十センチ程の水たまりが出来ている。

これは 昼間 大勢の子供たちが堀った水風呂の跡。

夏の午後には貯まった 水の濁りがなくなる頃には、ぬるま湯程に水温が上がり、

みんなで、露天風呂ごっこをした名残なのです。

そこに焚火の周りを囲んでいた大きな石を二本の丸太で挟んだり、転がしたりしながら

運び、じゅっと水風呂の中に落とし入れます。

冷えた石は取り出し、次々と熱い石を十個も入れると露天風呂の出来上がり。

多少ススが浮いて黒いけど、気にしない 気にしない。

せせらぎの音を聞きながら、湯につかり 見上げれば満天の星空です。

「ああ、極楽 極楽」

とは、さすがに子供の頃には言わなかったけどね。

 

子供の頃の夏の遊びの一つに 川の浅瀬を堰き止め下流の石の下などに

潜んでいた小魚を捕まえる という遊びが有ります。

夏休み お昼ご飯を食べた後は夕方まで五~六時間,時間はたっぷり有ります。

四、五人集まると二十センチ程の流れを堰き止めにかかります。

本流の脇で元々流れは速く有りません。

そこに斜めに流れが変わる様に石を積み上げて行きます。

水深は二十センチ程なのですがダム状になるので、石積みは四十センチは必要です。

川の上手から大きな石を積み上げて行き、石と石の隙間には小石を挟んで、更には砂を

上からかけて行きます。

この壁を二十メートル程も作って行くのですから大変です。

三時間余りも、川床をさらっては砂をかけるので、石壁の前には深い溝が出来て

それに沿って流れが変わり、壁の向こう側は次第に干上がって行きます。

更に大量に用意した古新聞を五枚ほど重ねてそっと内側に張って行くと水漏れは

ピタッと止まりどんどん干上がって行きます。

今なら段ボールかゴミ袋を使った事でしょう。

ほとんど流れが無くなった、下流二十メートル四方では石の下からあわてて這い出した

ハゼが沢山跳ねています。

それを手づかみで捕らえるのですが、ただ其れだけの話。

ハゼを捕るなら箱メガネとエビ取り網があれば一メートル程の深さに入り、

足先で川床を引っ掻き回すと、それだけでハゼや小魚が沢山寄ってくる。

川床の砂の中にいる小さなエサを目当てに集まって来るのです。

柄の長い網で いくらでも捕れる。

では、なんでこんな大変な事をしていたのでしょう?

実は知恵を絞って、川を干上がらせるそのプロセスが楽しかったのですね。

 

がっちん漁

どこかの田舎では、がっちん漁という大きなハンマーで小魚を捕まえる漁があるそうです。

三十センチ程のごく浅い流れに顔を出している大きな石をハンマーで思い切りぶっ叩きます。

すると石の下に潜んでいた魚が気絶して浮いて来るのです。

魚の横腹には点々点と点が入っていますが、実はそこが耳の役目をしているのですね。

いきなりすぐ近くで ここに、衝撃波を喰らったものだからたまらず気絶する訳です。

和歌山でも同じ事をしますが、ハンマーは使いません。

ネキ(脇)にある手ごろな石を頭の上まで持ち上げて、目指す石に投げつけるのです。

投げつけた石が割れる事が多いので足元は必ずサンダル等を履いて行うべし。

 

下 がっちん漁をしているところ。

 

投石漁

石を投げて魚を捕るといえば、五、六月頃の話。

海から遡上した五~六センチの子アユの群れが河原近くのごく浅い水深、

三~五センチのところに三十匹ぐらいが輪になり バシャ バシャ と群れている。

早くに遡上したアユは大きく育っているが後から来た彼らはまだ まだ群れていたいらしい。

河原を歩いて行くと五十メートル毎に、この小アユの群れに出くわす。

そっと十メートル近くまで近づくと河原の石を拾い群れている真ん中に投げつけるのです。

命中する事は中々ないのですが、たまには石が当たって子アユを捕らえられる事もあります。

 

待ち網漁

本流から少し離れた浅瀬に下流からアユを追い立てます。

瀬のアユはほとんど下流に逃げようとしますから、その逃げ道に玉網を仕掛けます。

径が四十センチ深さも四十センチもある大きな長い玉網はテグスで編んで青く染めてある。

それを三メートルもの竹竿に差し、追われたアユが通りそうな所、大きな石と石の間等に

仕掛け待ち受ける。

片方の手にはやはり長い竹竿を持ち、バシャ バシャ水音を立て網の方に追い立てる。

アユが網に入ると手ごたえがあるので直ぐに揚げなくては逃げられてしまいます。

賢いアユは網に二十センチ程入ると危険を察知して、U ターン。

網から逃げようとしますから、網に入った瞬間にすかさず揚げる というテクニックも必要です。

こうして捕らえられるアユは大きくても十五センチ位で、大漁は望めません。

主に友掛けのおとりアユを捕まえるのに行ったので二匹も獲れれば良かったのです。

 

見がけ漁

少し大きめのアユ掛け針を三本束ねイカリ型にします。

その下に鉛のビー玉大の重りをつけ、釣り糸に結びつけます。

釣り竿は十メートルの長竿、釣り糸は十一メートル。

堤防や岩の上から三~五メートル下の水中に泳ぐアユを引っ掛けます。

川床まで見える清流だからこそ出来る漁です。

アユはナワバリの中をグルグル回遊していますので、通り道を予測して

向こう側に仕掛けを落とします。

アユが近づいて来たらタイミングを計って引っ掛けます。

コツをつかむまでは中々に難しい釣りです。

小生は中一の時に左腕を骨折し、峠を二つ越す自転車通学が無理だと理由をつけ

ずる休みをつづけ、一ケ月間毎日 この釣りに熱中したお陰で村一番の名人になりました。

 

コロガシ漁

先の仕掛けの針は外し、鉛の重りの下に更に六十センチの糸を伸ばし、

イカリ針をつけた三センチの枝バリを五本程取り付けます。

川の瀬に重りがゴロゴロ転がる様に大きく流れを横切らせます。

お盆を過ぎる頃になれば「お盆隠れ」と呼び アユが群れをなす様になります。

こうなるとおとりアユを追わなくなりますので、このコロガシ漁が有効となります。

もっとも名人はおとりアユを追わなくても群れの中におとりアユを誘導し、グルグル

回遊させながら、針に掛かるのを待つという方法をとります。

小生のこれまでのアユ掛けで一番の大漁は四十八匹。

その日は小雨降る中、上流から濁り水が流れて来て、どんどん水位が増して行きます。

川の中ほどに大石が有り、石の後ろは大きな渦となっていました。

試しにその渦の中におとりアユを送り込むと入れがかり状態に。

速くなった水流に流されないように石の陰にアユが沢山ひしめき合っていたのでした。