松尾芭蕉に関する記事です。
辺りは綾瀬川沿いの綺麗な公園になっています。
松尾芭蕉が歩いたといわれる草加市の旧日光街道に取材に駆け付けた。
バイクで五分とかからなかったが。
芭蕉が歩いたと言われる旧日光街道は 裏の細道となっていました。
案内版を読んだら、芭蕉は草加宿に( 泊まった) とは書いていない。
芭蕉の日記から。
「草加と言う 宿に たどりつきにけり」と書いてある。
当時 旅人は健脚で一日に四十キロ~五十キロは歩いたとされる
深川の芭蕉宛(バショウ が植えられていたそうな)から歩いて来たなら
その日の泊まりは春日部宿だったのでは と言う説もあるそうです。
それはともかく、タイルの壁画を三点も設置しているので、
この道を歩いたであろう事はほぼ、間違いないでしょう。
だって、これだけ市がお金をかけてアピールしているのだから。
今日だけでは時間が足りなかったので、明日もう一度
取材に行ってみるつもり。
オレもヒマだなあ。
というわけで翌五月八日も行ってきましたが、結局 芭蕉が草加宿に泊まったかどうかは
判らずじまい。
芭蕉がこの地で、一句作っていれば、もっと もっと ゆかりの地として売り出せたのにねえ。
そこで、代わりに 小生が一句作ってみたのが タイトルの
「春なれや 蛙飛びこむ かけ廻る」の句。
えっ、全部 芭蕉の句の中にある?
ばれたか。
現在は運河とマンションに囲まれた「裏の 細道」
この道を芭蕉は 歩いて行ったのだろうか?
芭蕉の歩いた道を取材中にこの様な古い祠を見つけた。
持ち主のご主人に 話を伺った。
先祖代々伝わるこの祠は旧日光街道から二メートル程離れた屋敷の庭にあったそうだ。
最近、道路拡張で庭は無くなったが、祠はこの様にそのまま残してあるそうだ。
祀られていたものは丁重にお祓いをして、移って頂いたそうです。
残った祠は人の手で壊すのは、はばかられるので 自然に朽ち果てるまで
こうして見守っているとの事でした。
古いものを代々受け継いでいる方達の 気構え に 深く感動致しました。
ところで、この古い祠は庭の垣根の隙間から、芭蕉が奥の細道を目指して歩を進めて行くのを
目撃していたのかも知れません。
芭蕉に関する事が書かれている。
草加,越谷、この辺りを取材していると思いがけない所で芭蕉の名を目にする事が多い。
(後日談)
五月十六日 読売新聞の夕刊に連載中の「内村光良」(ウっチャン)さんの
「金メダル男」にこんな下りがありました。
新俳句大賞に応募した次の二作が落選した。
その二作とは
「柿食えば 蛙飛び込む 最上川」
「静けさや そこのけそこのけ 法隆寺」
と言うモノですが、有名な先人の句から頂いたという発想は 私の句
「春なれや 蛙飛び込む かけ廻る」と同じだと思います。
ただ、この新聞の小説より、私のブログ書き込みのほうが一週間以上速かったからね。
パクリでは有りません、念のため。
内村さんと 私の発想はよく似ているという事でしょうか。
ところで、映画好きの私、 内村監督作の映画も三作観ていますよ。
その中で 草野球を テーマにした映画は面白かった。
ただ、タイトルは失念してしまった。
も一度 了
ずーと後で思い出しました。その映画のタイトルは野球チームの名前の
「ピーナッツ」でしたね。 「僕の妻と結婚して下さい」(多分)もいいんじゃない。
上 七月に「清澄庭園」を訪れたら、芭蕉は奥の細道の際、出立は芭蕉奄では無く
此の地にあった奄から旅立ったそうです。
ああ、知らなかった。多くの本では芭蕉奄から旅だったと載っているのに・・・・。
上の碑に「 1689年此の地にあった「採 茶 奄 さいとあん」から 奧の細道に
たびだった」 と書かれています。








