日露戦争前の話、駐露公使の栗野慎一郎はロシアの前蔵相ウイッテから情報を得ようと

面会しましたが、ウイッテから次のように言われてしまいました。

「貴国の暗号を暗号と思っているのは貴国だけで、他国から見ると平文ですぞ、

 私の意見が貴国の暗号でお国に伝われば、たちどころに私の首が飛ぶでしょう。

 一切ノーコメントです。」

 

 また、ニコライ2世の侍従武官ペゾブラゾフとよく面会していたのですが、ある時

「最近私の名前が変わりましたね」と皮肉られて公使は驚きました。

外務省の報告でペゾブラゾフの名前はそのままの綴りを使っていたのですが、頻繁に

その名が現れるので、暗号に変えたところだったのです。

 

 明治37年2月に国交が断絶されますが、2月4日に国交断絶の電報が届き、6日にロシア

政府に通告せよとの命令でした。2月5日には皇帝から観劇の招待を受けていた栗野公使は

何食わぬ顔で出席しましたが、皇帝はいつになく馴れ馴れしく、あたかも長い別れを

ほのめかすようでした。皇帝のみならず外交団の人達まで栗野公使への態度がいつもと

違っているようでした。フランス公使が近づいてきて「いよいよですな」とささやかれ

さすがの栗野公使もギクリとしたそうです。

 

 前蔵相ウイッテが指摘したように当時の日本の暗号はすべて筒抜けだったのです。

その後改善されますが、太平洋戦争勃発の頃になると米国に筒抜けになっていました。

 当時の日本には外務省、海軍、陸軍の3系統の暗号があったと言われ、暗号解読の

難易度の易しい順に外務省、海軍、陸軍の順だったと言われています。

米国は日本の外務省の暗号を、真珠湾攻撃の半年ぐらい前(昭和16年の夏頃)から解読

していたようです。

 外務省がスウェーデンの会社が開発した「暗号機械」で作成していることを突き止め、

同じタイプの「暗号機械」を入手して暗号の原理を突き止めたのです。暗号機械のことが

何処から漏れたのか?機密情報に関して脇の甘さは今も昔も変わらないようです。

 米国は、日本の外務省の電文から12月8日に日本軍が開戦することを掴みましたが、

外務省の電文には開戦地の記載が無く真珠湾が目標とは掴めませんでした。

海軍の暗号は、暗号書で作文したのち乱数表を使って強化していたため解読できず

海軍の電文からどこで開戦するかは掴めませんでした。

 

 真珠湾攻撃は成功だったと言う人もいますが、目標が達成できず明らかな失敗でした。

主力空母のヨークタウンを撃沈し、米太平洋艦隊殲滅が目標でしたが、ヨークタウンは

12月8日の開戦情報をもとに万全を期し意図的に母港を離れていたのです。

米国の危機管理能力の高さが伺えます。

 

 その後、日本海軍の潜水艦が撃沈され、暗号書、乱数表が米国の手に渡りました。

暗号解読に拍車がかかり、ミッドウェー海戦の頃にはかなり解読できるようになります。

米国は、日本海軍が大規模な軍事作戦を計画していることを掴みますが場所が掴めない。

日本海軍が「AF」と呼ぶ地域がどこなのかまったく分かりませんでした。

そこで、偽情報を流し、日本海軍がそれに反応して交わす暗号通信を隈なく解読し

「AF」がミッドウェーとの確証を得てミッドウェー待ち伏せ作戦が始まりました。

 

 不思議なのは、暗号書や乱数表が敵の手に渡ったのを察知していた筈なのに、

暗号書や乱数表をそのまま使い続けたこと、脇が甘いで片づけられる話ではありません。

暗号は敵に解読されないから暗号たり得るのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

酒が好きな人のことを「左利き」や「左党」などと呼ぶことがあります。

 

 江戸時代、大工や鉱夫が右手に槌、左手にノミを持つことから

右手のことを「槌手」、左手のことを「ノミ手」と言いました。

 

 この「ノミ手」を「飲み手」と当て字して、杯を持つのは左手なので

酒飲みのことを「左利き」と呼ぶようになったと言われています。

「左党」もその流れをくむ言葉で、酒を飲めない人のことを「右党」と言います。

 

 酒を飲めない人のことを「下戸」とも言いますがその由来は

秦の時代、万里の長城に人の往来の激しい「下戸」と呼ばれる門と

吹きさらしで凍えあがるほど寒い「上戸」と言う門があったそうです。

上戸の門番には寒さを凌ぐために酒が、「下戸」には饅頭が振舞われたと言います。

「下戸」は役職で饅頭が喰えても酒は飲めませんでした。

「下戸では、酒が飲めない」ことから「下戸は、酒の飲めない人」になったようです。

 

 話は戻って「左利き」ですが、別説があります。

普通、杯は右手に持ち、酒の相手から酌をしてもらい、酌をするのは右手になります。

手酌酒の場合は、右手に徳利、左手に杯を持つのが普通です。

酒の好きな人は相手に注いだついでについつい手酌酒をやりがちです。

また、一人で深酒も珍しくありません。

そんな酒の好きな人が杯を左手で持つ姿から、「左利き」が定着したと言う説です。

 

 大黒天と言うと大国主命を思い浮かべる人が多いと思います。大国主命は神道の神で、

古事記で大活躍した神様です。

大黒天は仏教系の神で、ヒンドゥー教の神様として有名な「シヴァ神」とされています。

日本には「天部(てんぶ)」という守護神の1人として伝わりました。

 

 江戸時代の昔、大黒天を守り本尊として信仰している男がいました。

常日頃、新しい供え物を絶やさず篤く信仰を続けていましたが、身代が傾き破産し

流浪する羽目に陥ってしまいました。

 男が当てなく街から街へ彷徨っていると、ある街で

「貴賤を選ばず、望に成る者を婿にとるべし」との高札が掲げられていました。

男は一も二もなくそれに飛びつき、その高札の主の家を訪れます。

その家は在所の名家で大変なお金持ちの家でした。男が高札を示して名乗りを上げると

家の主人は喜んで男を迎え入れ、直ちに婿になることが決まります。

 その娘は美しく男は夢を見ているような気分になりました。

祝言がさっそく執り行われ、初夜を迎えるべく奥の間に入り新郎新婦は床入りします。

男は、「初物は先ず大黒天に捧げねば」と新婦の女陰へ大黒天の尊像をあてがいます。

この尊像、大黒天の頭巾の部分が丁度男根の亀頭に似ていました。

 新婦は、それをてっきり男の一物と思いこみ、我慢しきれず腰を持ち上げると

尊像が陰の中へ入ってしまいましたが、新婦はすぐに異物と気づいて慌てて取り出し

尊像を逗子の中へ入れておきました。

 男は、大黒天へ初物も供えたのでおもむろに夫婦の契りを結びました。

そして翌朝、男は大黒天を清めようとして新婦が置いてくれた逗子の中を見るのですが

見当たりません。介添えの女に尋ねると

「その大黒様には細い蛇が絡まっていて気味悪いので、そこの墓に捨てた」と言うのです。

行ってみると大黒様の首のあたりに蛇が巻き付いていました。

 あまりにも不思議な出来事だったので周りに聞いてみると、

新婦は幾度となく婿を迎えたものの、二日もいないで皆逃げ帰ってしまったそうです。

いつしか、娘と一晩添い寝をすると恐ろしいことが起きると評判が立つようになり、

婿のなり手が無くなったと言うのです。

 その恐ろしいことと言うのが、娘の陰部に住みついていた蛇の悪さだったようで、

その蛇は大黒天の頭を男根と思い巻き付いたところで厨子に入れられてしまったのです。

男の信仰心が窮地を救ったことになり、男は益々大黒天への信仰を篤くしたと言います。