江戸時代、徳川家康の手で封建制度が敷かれますが、その要となったのが「家」です。
家名を重んじ、その正統性を大切にし「家」には純潔を求めました。
そのため他人の血が混じる恋愛を禁じたのです。
貝原益軒の著した貞女の道徳「女大学」で道徳的な裏付けをして恋愛を禁じたのです。
あの時代、性はおおらかで恋愛も自由な雰囲気がありましたがそれが禁じられました。
ここで恋愛とした部分はいわゆる「姦通」のことです、今風に言えば不倫ですか・・・
武士の間では「姦通の二人を重ね四つに斬る」のが当たり前になりました。
その後江戸も中期を過ぎると、人の自然の欲求は法度を跳ね返し、町人の間では
儒教的な罪悪感を持ちながら、娘も人妻も自由に恋愛に浸ってゆきました。
武士の間でも「姦通の二人を重ね四つに斬る」のは次第にすたれてゆきました。
変って、「据えられて七両二分の膳を喰い」と唄われたように、七両二分の慰謝料で
解決されるようになってゆきました。
「据えられて」の部分が神妙で、「据え膳」をするほど女性が積極的だったようです。
また、慰謝料も大抵は四、五両で話が付き、農村では米俵を慰謝料にしたようです。
当時の一両は4~6万円(米価換算)に相当し、慰謝料は16万~42万円が相場のようです。
(現代の不倫慰謝料相場は50~300万円だそうです。)
特に、人妻の恋愛相手は「間男」と呼ばれていました。こんな小噺があります。
男が「お前が間男だな」と刀の柄に手をかけて迫ると間男は大いに詫びて、4両で勘弁
してもらいます。間男は家に帰り女房に「四両出せ」と言いますが、女房が不審に思い
そのわけを尋ねると、間男は事の仔細を説明しました。
それを聞いていた女房は「それは、一度が四両づつかえ」と尋ねます。
間男が「そうさ」と答えると、女房は「んじゃ、お前さんは四両貰っておいで」・・・
なんと、間男の女房の間男が先の男だったのです、2回ほどあったようでw