大河ドラマだったか・・・

 下関の茶屋に何者かに追われる若い男が逃げ込んでくる、茶屋で働く梅子はそれを

匿ったうえ、追手を気丈にあしらい若い男は追手から逃れることができました。

その男こそ後の初代内閣総理大臣伊藤博文だったのです。

そのとき伊藤博文は既婚でしたが、後に離婚しこの梅子を妻に迎えています。

 

あるとき明治天皇が伊藤博文を呼び寄せ

「(女遊びを)少し慎んではどうか」と声をかけたそうです。それに対して伊藤博文は、

「恐れながら申し上げます、余人が素性の知れぬ夫人を隠し置く場合に、博文は公認の

 芸者を近づけるだけであります。余人は偽善、博文は偽悪、罪はこの方が軽いのでは

 ありますまいか。」と返答したそうです。

明治天皇も女官に子を産ませていたこともあり、それ以上言えなかったようです。

 

 梅子は冒頭の事件以後、実家の都合で芸者にされることになり置屋に引き取られます。

離れてしまった伊藤と手紙のやり取りをするために、文盲だった梅子は文字を習います。

そして、彼らの仲は文通で深まってゆきました。

その後、伊藤博文は離婚し梅子を置屋から身請けし再婚します。

 

 当時、伊藤は長州藩士として職務に追われ家を空けることも多く、仕事で関係のある

外国人を突然連れてくるようなこともありました。

梅子は伊藤のために英語の習得を決意し、眼病を患うほどに勉強したと言います。

 

 また、梅子は多才な人だったようで、鹿鳴館時代に国内外の貴賓を接待した経験や、

裁縫技術の高さを買われ、宮中の女官のための洋風な制服づくりや、皇后のドレス製作に

協力したこともあったようです。

 

 伊藤博文は「若い女性と遊ぶことが唯一の趣味」と豪語するほど女性関係が派手で、

伊藤が芸者を自宅に連れ込んで遊ぶこともあったようです。

 そんな時、梅子は平然と芸者たちに土産物を持たせたと言われています。

見ようによっては「当てつけ」に見えないこともありませんがスケールが違うようです。

また、梅子が伊藤との間に授かった子は何人かいましたが、成人したのは一人だけです。

梅子は伊藤が別の女性に生ませた子どもたちを引き取り、立派に育てあげています。

すべてにポジティブな梅子の行動力には目を見張るものがあります。

その原動力は梅子の伊藤博文に対する強い愛だったと言われています。

 

 政治家として、伊藤博文のように他人の顔色を気にしない姿勢は賞賛に値します。

今の日本の政治家に伊藤の爪の垢を煎じて飲ませてあげたいくらいです。

その伊藤博文を支えたのが梅子であったのも納得できます。

ある意味理想的カップルだったのではないでしょうか。

 

 

 

フランスの小噺を一つ

 

 ノルマンジーは第二次世界大戦の連合軍反攻の上陸地点として有名ですが、

この地方は出生率が高いことでも有名でした。

 

 ある時避妊具を売る行商人がノルマンジーを訪れ、巧みな弁舌で売り歩いていました。

「もし、これを使って子供が出来たら、半年後にまた来るからお金を10倍にして返すよ」

とまで言い切り売り上げを伸ばしていました。

 

 子沢山で困っていたジロは奮発して1ダース入りを12箱も購入しましたが、

2,3か月するとまたもやジロの細君が妊娠してしまいました、ジロは怒り心頭です。

半年たって行商人がやって来ると

「インチキ野郎、カネを10倍にして返せ」とくってかかりました。

行商人はビックリして尋ねます

「めったなことでは破れないんですが、使っていて破れでもしましたか?」

ジロが答えて曰く

「破れたりはしなかったけど、先っぽにクビレた小袋があってじゃまだから

 それをちょん切って使った」

「世界三大悪妻」とは、

ソクラテスの妻クサンティッペ(ザンティッペ)

モーツァルトの妻コンスタンツェ

トルストイの妻のソフィア・アンドレエヴナと言われています。

 

 西洋ではソクラテスの妻が悪妻の典型とされています。

「お宅のザンティッペがやかましいので」と日常的に用いられているようです。

 

 クサンティッペの悪妻ぶりはソクラテスの貧しさと関係があったようです。

当時は奴隷制で貴族や公民は奴隷を酷使していました。ソクラテスは公民なので

奴隷を使えたのですが貧しさゆえにそれどころではありませんでした。

 

 ソクラテスが弟子たちに抗議をしていると、クサンティッペは

「金にもならない講義などやめっちまえ」と言って

台所の水瓶を持ってきてソクラテスの頭に水をぶっかけたようです。

 

 水をかけられたソクラテスは、

「さっきから雷が鳴ると思ったら、夕立になってしまった」と頭を拭うと講義を再開。

 

 ソクラテスの弟子・クセノフォンにこう言わせています。

「人前で夫を罵倒し頭から水を浴びせたり、

                現在過去未来、

                    これほど耐え難い女はいないだろう」

 

 ソクラテスは、この悪妻ぶりを彼独自のプラス思考で受け止めていたようです。

「よい妻を持てれば幸せになれるが、悪い妻を持てば私のように哲学者になれる」

「クサンティッペとうまくやれれば、誰とでもうまくやれる」

 

 ソクラテスは、誰に何を言われてもクサンティッペと添い遂げています。

根底にはクサンティッペに対する深い愛情があったのかも知れません。