最近の暑さは尋常じゃありません、

国連の偉い人が「沸騰」と言う言葉を使っていましたがお世辞にも褒められません。

言うのはタダですが、何の具体策もない評論家の言葉は偉い人にはふさわしくありません。

 

さて、

暑い時にはクールダウンするためにもてはやされるのがクーラーならぬ氷。

かき氷は、見ただけで涼しくなってきます、もちろん食べること前提の話です。

 

この氷、一般的には摂氏零度で凍ると言われていますが、実はそうじゃないんです。

水道水なら零下3度くらいまでは凍りません、蒸留水だと零下10度くらいまで凍りません。

 

通常、液体の水の分子は自由に動き回っています、温度が高くなるとその動きは活発になります。

温度が下がると水分子の動きは緩慢になり、全く動かなくなった状態が氷です。

水が液体から固体になる時には「種結晶」というものが必要になります。

水が容器と接触する境界部分や、水の中に不純物があるとそこに「種結晶」ができます。

製氷皿の個々の氷が周りから凍っている状態を見たことがある方も多いと思います。

また、蒸留水が凍りにくいのは水道水に比べ不純物が少ないためです。

 

 あと気圧も関係してきます、気圧が高くなると凍り始める温度も低くなります。

(2000気圧だと零下20度くらいにならないと凍りません)

 

 「過冷却水」と言うのは、零度以下になっても凍っていない水のことです。

ゆっくり冷やしてやると「種結晶」ができず、凍る温度になっても凍っていない「水」です。

加冷却水に衝撃を与えるとその振動エネルギーで一気に「種結晶」でき、一瞬にして凍ります。

TV番組で、容器に垂らした水が一瞬にして凍る実験をやっているのを見かけます。

 

腎臓は、そら豆のような形をした臓器で、背中の腰の上あたりに左右に二つあります。
腎臓が二つあることに特別な意味はないと言う説もあります。
また、限られた体腔内に収まるように二つに分かれたと言う説もあります。

腎臓以外にも二つある器官があります。手、足、目、耳、肺、睾丸、卵巣(、腎臓)です。
目は二つあるおかげ立体視ができ、距離感が産まれます。
耳も二つあることで音が発する方向を知ることができます。
左右の足は効率よく直進、方向転換ができ運動能力を得ています。
手は一つでも物を掴めますが、2本あるときめ細かい作業が可能になります。
目、耳、手、足は二つあることで人の活動能力が飛躍的に高まります。

肺、腎臓、睾丸、卵巣、消化器官は外界と繋がっているため、細菌などが直接侵入する

可能性があります。
他の内臓は、外界から遮断されていて細菌などが直接侵入することはありません。

肺、腎臓、睾丸、卵巣などは外界から侵入した細菌などで病気になる危険があります。

一つしかないと病気により機能が失われる事態にも繋がり、生命、繁殖に危機を招きます。

危機を回避するため、残り一つで機能が維持できるように二つあると考えられます。
これらの臓器は生命や繁殖に直結する臓器で人体に欠くことはできません。

触れませんでしたが、鼻の孔も二つあります。
考えるに、肺に運ばれる空気は鼻腔を通過するときに細菌や異物が取り除かれます。

片方が鼻づまりになった時でもその機能を維持するために二つあるのではないかと思われます。

 

「♪土佐の~高知の~播磨屋橋で~」

 

初めてこの歌を聞いた時、随分艶っぽい話だなと思ったもんです。

この歌詞には元ネタがあって江戸時代天保年間まで遡ります。

 

四国八十八箇所第31番札所の竹林寺に宋念という若い僧がいました。

檀家に鍋、釜修理のかけ屋がいて、仏事で家族そろってよく寺を訪れていました。

そんな中、ひょんなことから、かけ屋の一人娘のお馬が宋念と恋仲になってしまいます。

 

僧侶は戒律で女性との性行為を絶たねばならず、戒律を破り女性と性行為をすることを

女犯と言い、そのような僧侶を破戒僧と呼んでいました。

 

宋念は破戒僧になるのを恐れながらも、お馬との仲が深まってゆくのを止められません。

そんなある日、宋念は住職に言いつかり城下町へ使いに行きました。

その帰り道、宋念は播磨屋橋のたもとにあった小間物屋の暖簾を潜ります。

頭にあるのはお馬の面影ばかり、装身具を眺めていた宋念は簪に手を延ばしていました。

 

宋念から簪を貰ったお馬はその真心に大いに喜びましたが、

だれ言うとなく二人の仲が噂されるようになり、高知城下に広まってしまいました。

僧侶との恋は、今で言えば芸能スキャンダルのようなものだったのでしょう。

 

竹林寺の寺男の作兵衛は宋念を可愛がり、なにかにつけて世話をしていました。

作兵衛は城下でこの噂を聞き驚くばかり、何とかしなくちゃと思案を巡らせます。

 

二人を別れさせるのは難しい、とすれば二人を駆け落ちさせるしかないと思案を決め、

作兵衛の手引きで宋念とお馬の二人は秘かに駆け落ちを果たしました。

 

その後の二人の消息は不明ですが、二人の恋は今に至るまで

「土佐の~高知の~播磨屋橋で~坊さんかんざし買うを見た~」と唄われてきました。

昭和にも「南国土佐を後にして」と言う題名で歌われヒットしていたようです。