流行り病の請求書 | S46Bの部屋

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昭和46年(S46)生まれ、B型のヲッサンS46Bです。クルマ、特撮を中心に昭和なネタを、マイペースで書き綴って行きます。

 オラ、2023年元旦に発熱し、1月2日に流行り病「陽性」となったまでは話していましたが・・・・・。実は、その1月2日の深夜、というか1月3日の早朝に、生死をさまよう事態になっていた事実があったんです。1月3日の真夜中0時8分。発熱、悪寒、喉の痛み、そして呼吸困難・・・・・。オラ「このままじゃ死ぬかも・・・・・」、ホントそう思いました。かみさん&娘は実家に帰省していて、寝床にオラ独り。その時のかみさんとのLINEです。真夜中ということもあり、トーク送ってもなかなか既読にならず、電話してもつながらず、上手く連絡が取れません・・・・・。ちなみに、一階には両親がいましたが、両親を呼んだら、間違いなく「流行り病」がうつると思い、両親を呼ぶことはしませんでした。両親は基礎疾患があり、70歳を過ぎていますから。

 

 

 そんな、こんなのLINEのやり取りの後、体調は更に酷くなり、兎に角「苦しい、息が出来ない・・・・・」、意識は朦朧とし、も~ヤバイ、死ぬかもと思い、手元の携帯電話で、かすれた声でやっとの思いで救急車を呼びました。そして、直ぐに救急車が来てくれて、寝床で応急処置をしてくれるも、なかなか受け入れ病院が見つかりません・・・・・。でも、幸運にも、受け入れ病院が見つかり、一命を取り留めました。その病院は、宇都宮は中戸祭にある「国立病院機構 栃木医療センター」でした。その「国立病院機構 栃木医療センター」から請求書が届きました。

 

 

 正月の休日&夜間診療、持っていた財布の中に「健康保険証」が入っていたので、健康保険適用の請求となっていましたが、結構高いですね(;^_^A でも、今こうして生きていられるんだからありがたいですm(__)m その支払いのため、本日「国立病院機構 栃木医療センター」へ行って来ました(`・ω・´)ゞ

 

 

 救急隊の皆さま、「国立病院機構 栃木医療センター」の先生、看護師の皆さま、本当にありがとうございました。それにしても、この流行り病、甘く見てはイカンです。オラは、何とか今まで通りの体調に戻りましたが、それまでに2週間以上掛かりました。かみさんは、未だ咳の後遺症が酷く、味覚がやっと戻った感じです。両親は、症状が軽かったので、元気ではありますが、やっぱ咳をしています。ホント、ウチの家族、「流行り病」で正月気分も無し、体調不良に苦しみました。所で、「流行り病」を広めないためにも、発熱等の自覚症状が出て、自己の抗原検査で陰性となっても、ちゃんと医療機関に行かなければダメですよ。素人判断が出来る位なら、お医者様いらないでしょ。ましてや「研究用」抗原検査キットで陰性と主張されても周りが迷惑を被るだけ。国が承認していない「研究用」何て、あてにならんです。国に承認された「体外診断用」抗原検査キットを使わなければいけません。実際、「研究用」で陽性になっても、自治体(フォローアップセンター)の「陽性認定」は受けられませんから。

 

 最後に、正月の真夜中に診て頂いたオラ、ホント夜勤の先生や看護師さんには、感謝の思いしかありません。私の長女も医療機関に勤務しており、夜勤も多く、今夜も夜勤です。大変そうですが、患者さんのためにと、日々頑張っています。そんな医療機関の皆々様があって、私たちは安心して生きていられます。本当に感謝しかありませんm(__)m