こんにちは。
今月のワイヤー調整に行ってきました。
右下7番の近心移動は順調みたいです。
ただ、右下6番に
想定外のハプニングがあって
少し後戻りしてしまっていたので、
右下6番にもゴムが再びつきました。
そして今回はようやく、
こちらの記事(→セカオピ計画② 改め 直接対話計画)で
計画した先生との話し合いをすることができました。
話し合いに点数をつけるとしたら…
70点ぐらいかなあ。
まあ、合格点です。
念入りに事前準備(予行演習を含む)をした成果が
出ました。
とりあえず「へたれなりに、よくがんばりました」
と、自分で自分を褒めておきます。
良かった点は、次の三つ。
★ 今後の治療ステップと、それにかかる期間を教えてもらえたこと。あくまでも何の保証もない予測にすぎませんが、とりあえずあと2年![]()
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だそうです。
★ 突発事故が起きるのは、いつも右下6番周りなので、
その辺りで異変を感じたら、例え結紮線のはじっこが飛び出てきただけであっても、すぐに来院してほしいと言われたこと。
←「結紮線のはじっこが飛び出しただけだ」と思って様子見をしている間に、思わぬ方向に歯が大きく動いてしまうことがあるからだそうです。
★ セットアップモデルを見せてもらえたこと。これは先生の頭の中にある「矯正ゴールの姿」が見える化されたものなので、安心感とモチベーションの維持につながりました。
←欲を言えば、矯正前検査後、矯正を始める前に見せてもらいたかったです。でも、その時は、モデル自体がまだ存在していなかったのかなあ?
そして、あまり嬉しくなかった点は、
★ 「終了が見通せないまま、ずるずると毎月の診療費が積み重なっていくことに対して感じている不安・不信感」を
先生にはまったく理解してもらえなかったことです。
先生のスタンスは、
「自分は一生懸命やっている。子どもとは違って、大人なので、思うようにはいかないものだ。当初予定より長引いているのは事実だが、自分にはどうしようもない。」
ということらしいです。
おっしゃることは、
事実としてたぶん「正しい」んだと思います。
でもね、
「当初予定=3年半」について、
コミットメントする(発言に責任をもつ)気持ちが
ここまで皆無なら、
いっそのこと最初から、
「期間は大人だから無期・未定」
とでも言ってほしかったです。
最初にそう言われていれば、
こちらも、
「大人にはどんな難しさがあるのか?」
「予定3年半で始めた人が、結局何年ぐらいで終えているのか」
「今まで、最長だったのは何年か」
などといろいろ先生に質問したり、
ネットで調べたりできたのにな。
そして、
「言われた予定期間の2倍はかかる(←実際はもっとかかりますが…)」
と想定して治療費を算出した上で、
矯正を始めるかどうかを考えたかったです。
私が感じているモヤモヤは、
ドタキャンを平気でする人に対して感じるような
モヤモヤに近い気がします。
私って心がせまいのでしょうか?
←もちろん、心の中の声です。先生には言っていません。
それで、治療計画書に書いてある期間にすら、
コミットメントするお気持ちがないのだから、
今日うかがった「あと2年」について、
「達成できなさそうなときには、
自発的に開示してほしい」
なんてことをお願いするのも
まぬけな気がして、
結局、お願いしませんでした。
それから、
今回も名前を間違ってよばれました。
(前回の名前間違えはこの時でした。)
先生はお忙しすぎて、患者の名前なんて
気にしている余裕はないのでしょうかね???
患者も人間なので、
もう少し、気持ちに寄り添ったご対応をして頂けると
嬉しいのですが…。
今回の話し合いでは
モヤモヤは解消されず、
気持ちを理解してもらえず、
「患者ってどうしようもなく孤独なものなんだなあ」
としみじみ感じたわけですが、
その一方で、
一つだけ、今後の助けとなるようなことも学びました。
それは、前回のブログ記事に書いた通りのことなのですが、
ご担当頂いている先生が
「自分を否定された」「ダメ医者だと迫られている」
ように感じないように、
細心の注意を払って言葉を選ぶことが大切である
ということです。
面倒くさいし、口で言うほど簡単なことではないです。
聞きたいことは山ほどあるのに
(←話を聞けば聞くほど疑問点が増える、とも言える)
話し合いの時間は限られています。
それに、「あと何年?」という質問が
「せかされている」と言う風に
先生の脳内で変換されるというのですから、
何をどこまで気を遣えばよいのか…
「後出しジャンケン」につきあわされているような、
疲労感がものすごいです。
←この疲労感には、毒親育ち特有の思考回路も関係している自覚はあります。
でも、矯正治療では、
いろいろなハプニングにも耐えて
長期に渡って先生との良好な関係を保ち続けることも
大事だと思われます。
こういう場合は、
★患者として不利益を被らないために★
プライドの高い繊細な先生を
「傷つけない」ように気遣ってみる価値は
十分にありそうです。
今回の話し合いで、そんな実感を得ました。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。