おまじないコブラはじめました。 -147ページ目

おまじないコブラはじめました。

河内美雪さんの『借金王キャッシュ』好きが昂じてこのようなタイトルをつけましたが、中身は数学オタク中年乙女のボヤキです。悪しからず御了承くださいませm(_ _)m

科学的考証とかできてないため、ウンチクは話半分で読んでください。

いつでも大好きなコロンビアですが、胃腸の弱っている夏には、この優しさがまたうれしいのです。
季節によって入荷している生産者や品種が違っていて、この夏はカフェオズワルドのティピカでした(客歴短いのですが、去年もこれやった気がします)。

お店で見たときは

「ハッ、コロンビアのティピカや!」

と色めき立ったものです。

繊細な香り、きめ細かい優しい酸、派手さはないけれど飲み飽きない味でした。人によっては「物足りない」と言う人もありましたけどね。

ワタクシはいつでもマイルド珈琲をストレートで飲むのが好きなのです。


そんなわけで、2、3回続けてこの豆を買いました。


そのコロンビアも、一旦店頭から引っ込められ、次の豆を選びあぐねていたところ、新入荷のエルサルバドルを勧められました。

※パッケージがシメシメしているのは、冷凍庫から出して撮影しているためです。

ラベルが手書きで直してありますね。

たぶん、これ、ブレンド用に焙煎されたものなのですよ。

以前から

「今年のペルーはシティなんスか…」

と不満を漏らしたり

「エチオピアのナチュラル以外でハイローストないんですか?」

と、しつこく訊いていたので出してきて下さったのだと思います。


こうして、念願のハイロースト豆を手に入れましたが、これがまた酸がハッキリしていてオモシロイ味でした。

すっぱいのが苦手な人は「うへっ!」と思われるでしょうが、ワタクシは求めていた味に出会えて大満足です。


もうしばらくはこのオモシロイ珈琲を堪能しようと思います。

相変わらず『カラマーゾフの兄弟』の方はページが進んでおりませんが、コチラはよく見ております。
統計とはどんなものか、なにがわかるのか、どんな誤解を生みうるのか、などを、キャッチーなトピックを使い分かりやすくまとめた、たいへん読みやすい本です。

ワタクシにとって、ポケットに忍ばせた地獄行きの片道切符のような『ポアンカレ予想』を提唱したポアンカレ氏が、毎日パンの重量を測ってその分布を調べ、パン屋のちょろまかしを指摘した話なども載ってます。

『単連結な3次元閉多様体は3次元球面S^3に相同である(※ワタクシ物理数学ちょっとかじった筈ですが、未だ以てなにが書いてあるのかサッパリ分かりません)』の壮大さに比べて話があまりに小さく、涙を誘います。

ともかく、悩が異常に興奮するほどエキサイティングでもなく、非常に整然としたある意味美しい世界を眺めていると、悩がとてもリラックスするらしく、心地よい眠りを誘われるのです。

ここしばらく不眠に悩んでいたのが嘘のようです。

今でもそういうフレーズあるのかな?昔なつかし8ビットRPG風にいえば

『フユヒコはねむれるまほうのほんをてにいれた』的な感じです。


その、『ねむれるまほうのほん』の中に、このようなグラフがあります。

著作権に抵触するのであまりハッキリ写しませんが、人口10万人あたりの男性の死亡者数の分布を年齢別に線グラフにしたものです。

最も古いのが1947年、最も新しいのが2010年で、近年に近付くほど若年層、中年層の死亡者数が減り、また、最も死亡者の多い年代がより高齢になり、ピークも鋭いことから、日本という国が、60数年の間により多くの人が長生きする社会になったのだと目で見てわかります。

ですが、ワタクシがこのグラフで気になるのは、どうしても1947年の曲線なのです。

昭和でいえば22年、終戦から2年ほどだからでしょうか、20代に小さいピークがあります。

戦地へ駆り出されていた若者が、それにかかわる何らかの理由(ケガの後遺症や精神的なもの)で命を落としたのでは?と想像させます。或いは、遺族(または国家)が捜索を諦めた若者の数が反映されているのかもしれません。
 
そしてなにより(ページをまたいでいるので画像では見にくいのですが)全世代で最も死亡者が多いのが新生児で、グラフ表示の上限を越えています。

医療も物資もたぶん不足していて、満一歳を迎えるのも難しかったのだろうな。

このグラフは男性のみの統計ですが、もし女性のデータがあれば、出産にともなう母親の死亡数も少なくはなかったのでは(なので、女性も20代に小さなピークがあったかも)、とも思います。

少子化で新生児のn数が小さくなっていることを差し引いても、現代は、医療の進歩と治療体制の充実で助かる命が増えているのだろうと推測できます。

そして、それを支えている土台は、やっぱり平和なのだと、グラフを眺めているだけでも多少実感できます。

世界中には、まだまだ情勢が不安定で、日本でなら普通に育つような新生児も安全に育てない場所もあるんですよねぇ。そこ、なんとかできんやろか…

なんて思う、終戦の日でした。
お金というのは価値を貯め置くことのできる物々交換の中間ツールであり、手許にあるうちは、いずれなにかに替えられる『可能性』であるとも言えます。

そんなわけで、本来は『使ってなんぼ』なのでは、と個人的には思います。

可能性を使ってなにかを形にすると、そこで使った『可能性』を別のものに替えることはできなくなります(厳密に言えばそんなこともないけれど)。

それを惜しむ気持ちもわからなくはないのですが、いつ頃からか『たくさん持っていること』それ自体が値打ちのような錯視が広がっているような気がします。

万一に備えることを悪とは思いませんが、お金を 持ちすぎてなにも買わない、または、お金を増やすためにしかお金を突っ込まない人を見ていると

「本気さえ出せば俺だって」と口癖のように言うわりには本気を出したことがないが如き、中二病的な気配を感じることもままあります。



ハハッ、いかん。貧乏人のひがみがストレートに出ちゃったよ。


かように、僅かなお金を着物と珈琲とお酒、その他嗜好品、日々の細々と老後にどのように振り分けるかに窮々としております昨今、現実逃避にtentoさんへ行ってまいりました。

今の店舗での営業が今日までということもあり、たくさんのお客さんで賑わっているなか、試着し倒して来ました。

あ~楽しかった。

ほとんど画像に記録してないのですが
この組み合わせは本当に欲しかった。

こっちのが柄が良くわかるかな。
白地に鉄線でしょうか、図案化され過ぎて良くわからない植物の唐草の絽着物と、菖蒲と百合の絽の名古屋帯は、両方ともコンディションも良く、ワタクシの甲斐性では身請けできない高嶺の花でした。

で、結局
浴衣の反物を買いました。

お花見の頃から手に取って見ていたものの

「君みたいにステキなヒトにはボクよりもっといい人が現れるよ」

と、何度となく別れを告げていたのですが、夏も終わりに近づくまで待っていてくれたので、これは連れて帰らねばなるまい、と勘違い男のケジメのように決心いたしました。

自分で縫うにしても、仕立てに出すにしても、着るのは来シーズン以降のお楽しみです。

まあ、そんな感じで長居したあげくに、接客で忙しいtentoさんに、今日の私服の撮影までお願いしてしまいました。厚かましい。

しかもね、画像で見ると極めて地味。

浴衣がメンズ反だからね。明度、彩度、コントラストとも低いこと。

よく見ると、こんなモダンな柄なのですが。
紫織庵のミュージックホールという柄の浴衣に、ミントグリーンと紺、白のチェック柄の帯、帯留はNyaro Worksさんのイシダイ様で、全体的にメンズカジュアルな感じにまとめました。

なので、帯結びも貝の口をきゅっと結びました。

帯地が柔らか目なんで、あまりビシッとしませんでしたが。

次からはもうちょっとふわっとした結びにしようと思いますが、ワタクシにとってチェックは攻略が難しい柄なので、次の出番は未定です。

と、写真を並べて

「…どんだけ緑好きやねん」

と思ったというわけで、本日のタイトルとなりました。

おしまい。