皇国少年の話を聞く。 | おまじないコブラはじめました。

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河内美雪さんの『借金王キャッシュ』好きが昂じてこのようなタイトルをつけましたが、中身は数学オタク中年乙女のボヤキです。悪しからず御了承くださいませm(_ _)m

科学的考証とかできてないため、ウンチクは話半分で読んでください。

ひょんなことから、父から終戦時の話を聞いた。

ワタクシの住まうような地方ではラジオのある家自体が少なく、所謂玉音放送を聞いたのはごく一部の人間で、ほとんどの人は終戦をすぐに知ることはなかったようだ。

父は、たまたまラジオを置いていた親戚の商店に兄弟や疎開していた従姉妹らとおり、そこでリアルタイムで放送を聞き、敗戦を知ったとのこと。

当時の父は今でいうと小学校中学年程度、ちょうど自主性と自負心が育っていく年頃で、はじめて聞いたのだがバリバリの皇国少年だったらしい。そんな父には「敗けた」というのは相当なショックだったようだ。その場にいた誰もが同じような気持ちだったらしく、従姉妹たちもうつむいてすすり泣いていた、と父は言った。

ワタクシからすれば、父が皇国少年だったというのは意外だった。自分が物心ついた頃には、すでに父は戦争に批判的な人物だったからだ。

不思議がるワタクシに「そういう教育を受けてたからな」と言った父の表情はなんともいえぬ皮肉っぽいものだった。



ちょうど、春先からこんな本をチビチビ読んでいて、父の話はよく腑に落ちた。
この本自体は、戦中を通じて『日本スゴイ』という自画自賛のイデオロギーが隆盛していくさまを、参考文献とその解説、著者の淡々としたツッコミで辿っていくというスタイルのもので、教育の専門書というわけではないが、児童図書が変質していく課程や、掃除だ挨拶だとなんでもないところから統制が侵入していくさまなども窺い知ることができる。

トンデモはいつでも突然現れるのではなく、いつの間にか少しずつ何かを越えてくるのだと改めて思った。



全く余談だけど、N国党の台頭なんかを見てると、在りし日のオウム真理教のバラエティ出演からの地下鉄サリン事件への流れを思い出して、なんだかいい予感はしない。

四半世紀ほど前のことさえ(まだ苦しんでいる人も決して少なくないのに)風化しつつある現実の前で、戦争の無為さや悲惨さその他の教訓を伝えていく難しさを少し思う。



国が戦争に向かうときは、同調圧力と選択肢の狭窄があるように感じる。それは、ちょうどブラック企業の労働者やDV夫に暴力で制圧されている妻子が、ブラック企業やDV夫から逃れることを考えられなくなり、そこに留まって耐えるか命を捨てるかの二択しか見えなくなるのに似ている気がする。

そこに、本来子供の選択肢を広げるための教育が大きく関わってくるのは、なんとも恐ろしい。今の時代も、道徳の教科化(この教科書の内容が、また余計なお世話満載なんだよね)、評価(成績)の対象化が実施されていて、教員(というか教科書)の意に沿うことを、より強く子供に要求する危険な事態は既に進んでいる。

むむう、どうしたらいいんだぁ!




というような2019年のお盆休みでした。

休みが明けても、まだまだ考察は続けるけどね。




(余談 1)
戦争が終わって父が一番「なんやねん」と思ったのは、夏休み明け、手のひらを返したように教育方針を転換した先生達の態度だったそうです。それをきっかけに教師や大人を信用する気持ちがなくなるのを感じたとのこと。

やっぱり、大人がちゃんと芯を持ってることが大事なんだね。と襟を正す次第です。


(余談 2)
個人のとっても偏った意見なんだけど、敗戦を知って涙した人の感情の何割かは「今は苦労をさせてるけどいつか必ず君と結婚する」という言葉を信じてお金を注ぎ込んだ男が結婚詐欺師だったことを知ったときの絶望感に似ている気がします。

なんかやりきれんとです…日本がそんなクズ男のように再びならないことを切に願います。