日本でコレがダントツに多いのは、実は、他人という人格や誇りや痛みを持った存在が認識できず、目の前に“女”や“子供”といった“モノ”―もっと言えばそういうカテゴリー名が書かれた箱のようなものが転がっているようにしか思っていない人が多くいるってことなのかな、と思います。
そういう人は、その人自身も(女性もなくはないので、多くは、としておきます)所謂“男”と書かれた箱のような存在で、(当人の思う)箱書きの序列が上位の人に訳もわからずへつらうことで発生する鬱屈を受け入れ、(当人の思う)下位の箱にそれを流し入れているだけなのではー性犯罪の多くにそんな印象を持っています。
被害者やワタクシのような第三者からすれば「お前の中の序列なんか知らんがな」であり、どう考えても被害者に非はない。
にもかかわらず被害者が責められる現実が示すのは、この国の人がかなりの割合で“表書き付の箱”というタイプの存在になっているということなのでしょうか。
人間の中で暮らしていると思ったら、実は箱に囲まれて暮らしていた、なんて、なんだかSFホラーじみています。
もしかしたら、その人自身が自分に人格や尊厳があることを知らず、それゆえに自分以外に対しても人格や尊厳があることが理解できないのかもしれません。
もう、教育の敗北だよね、そうなると。テストで得点して肯定感を得る以外に、学校や親やその他周囲のあらゆる大人が、自分を見つめて大切にすることを教える機会が乏しいのかな。
というこの話には、出典が思い出せないのですがちゃんと元ネタがあることを、最後に付記しておきます。
「あ、あれかな」というのがありましたら、よろしければコメントお寄せ下さいませm(_ _)m