たとえば、童話『幸福な王子様』が、どうしても良い話だと思えませんでした。
彼は『困っている人を助けたい』と、はぐれ燕を使いっ走りに、自分を装飾する金品をばらまきますが、受け取った方はさぞかし困っただろうなあ。
貧しい庶民が貰ったものを効率よく現金化できるとは思いがたく、たとえ質屋に持ち込んだとしても足元を見られて二束三文で買い叩かれたり、妙に怪しまれて通報されたりしたんではないかしら。
サファイアの瞳を押し付けられた貧しい娘が、盗っ人扱いの果てに警察にしょっぴかれても、当の王子様は目を失ってその現実を見ず、『自分は良いことをしている』と信じて疑わない燕は、白い雲の高みを見ながら連行される彼女の頭上を飛び去って気付かない―そんな風景を勝手に想像して憂鬱になっていました。
そのあげくに、鉛の塊になって魅力レスと国民に判断され撤去されることになった王子様の美しいハート(魂)を、違いがわかる神様の使いっ走りの天使が回収に来るって、なんだそりゃ。なんの選民思想だ?
金をばらまいて周囲の人をつなぎ止めていた人が、スッカラカンになって見向きされなくなったときに、かつて必死につなぎ止めていた人たちを下衆と見下す恨み節みたいな話だな。
なんて思ってたので、ワタクシ、どうしてもこの物語のタイトルが『オメデタイ王子様』にしか思えなかったのです。
…曲がっている、我ながらあまりにも曲がっている。
そんな小学生はイヤだなぁ。
まあ、そんな曲がった小学生も、王子様が『困っている人を助けたい』と願っていたことを嘘だと思っていたわけではないのです。
ただ、良かれと思ってやったことが大きなお世話になるかもしれないことを、幼かった彼はたぶんまだ知らなかったのだろうと思います。
大人になっても知らない人、まぁまぁ見かけますからねぇ(言ってる本人もあまりわかってないし)。
大人になったら、王子様はどんな方法で貧しい人々に手を差しのべるのでしょうね。
せちがらい現実という難問にうちひしがれずにいてくれるといいのですが…