地震が起きるたびに思い出す東日本大震災。 | カブーの閉塞した空気をぶち破れ(30代おやじの奮闘記)

カブーの閉塞した空気をぶち破れ(30代おやじの奮闘記)

一日一歩、少しずつでもいいから前へ進もう。そこから、この閉塞した空気をぶち破る何かが見えてくるはずだ。
子育て・趣味・政治などの持論も展開。

栃木で震度5強の地震。

都心でも揺れたが、地震が起きるたびに、揺れの最中は自然と東日本大震災の大きさと比べている自分がいる。


あのときはすごかった。


小刻みにゆれ、それがどんどん大きくなっていった。


たまたま私用で会社を休み、家にいた私は、棚を抑えているなかで本や冷蔵後の上の食糧が落ちていくのを、何もできないまま、見るしかなかったのである。

本当に鳥肌が立ったのを覚えている。

何が起こったのかという感じで呆然としてしまった。


その直後のニュース。

東北の橋の映像が流れ、車が行き来している様子だった。


地震があったのが本当かというくらい、自然な車の流れ。


でも・・・。


次にその橋の映像が流れた時には、橋は水没し、車や家が流されていた。


また鳥肌が立った。

震えが止まらなかった。


大変なことが起きていることが実感できた。


その映像で死者が多数出ていることもすぐわかった。


そんなことを今も思い出す。


もう、起きてまもなく2年が経つ。


時が経つのは早いが、この記憶だけは流してはいけない。


そう思わずにはいられないのだ。