そんな調子のドタのことで、母は私を強く責め立てる。
この子がこんな風になったのは私のせいだ、と。
彼女が過酷な環境にいたのは母も解っている。
ひねくれて育ってしまったのも仕方ないとは思っている。
母が言っているのは過去のことではなく、今、現在、のことだった。
ドタがコチラに来て間もなく、例によって私と母は喧嘩になった。
原因は暖房。
ドタが与えられた部屋には暖房がなかった。
それで、朝、暖房がないから寒くて起きられない、と、ドタが噛みついたのが発端だった。
母が朝の支度が遅いだのなんの、うるさく言ったことに対して反論したのだ。
母は
「そーんなのっ!!寒いのなんのって言っている間に、ささっと着替えればいいじゃないっ!!」
と発狂する。
それに対し
《ファンヒーターを置いてやれば良いじゃない…。》
と私が言ったのが気に入らなかったようで
「そんなのっ!!甘やかしすぎよっ!!」
と激怒。
北国とは全く比べ物にはならないが、長年住み慣れた筈の私でさえ、朝は震えが止まらなくなるほど寒かったのだが、そんな言い分が通るわけもなく。
母自身は、ずっとその環境で慣れてしまっていたうえに、老齢者特有の体温感覚の鈍化があったので、コチラの感覚を理解しようともしなかった。
更に。
私がドタの【味方】をした為に、あの子が増長してしまった、と。
「ドタからウチに連絡があった時っ!あんたになんて連絡しなきゃよかったっ!!あの子はねっ!あんたがいなかったら、もっと素直に私の言うことも聞くのよっ!!そりゃ最初は多少言うこと聞かないかもしれないけどっ!!あんたが甘いことを言うからっ!あの子は調子に乗ってっ!あんなに逆らったりするのよっ!!」
母は怒りをぶちまけるうちに、その自分のわめき声でより興奮し、どんどん怒りは増していった。
確かに。
私の心の中には可哀想なドタがいた。
今までろくに言いたいことも言えず、肩身の狭い思いをしてきた、小さく、弱々しく震えるドタが。
自分が置き去りにしてしまったような負い目が【可哀想なドタ像】に拍車をかける。
でもそこまで甘くしているつもりは私にはなかった。
それより何より。
もしあのまま母が母だけであの子を育てようとしても、良くなるどころかますますひねくれ、どうにも収拾がつかなくなるのは火を見るより明らかだった。
ドタが来た早々に起きた、あの騒動を忘れたとは言わせない。
(母自身はすっかりめっきり忘れ去っていたが)
いや、寒い云々というのは確かにある意味甘えかもしれないが、ファンヒーターひとつ置くだけでその屁理屈も言えなくなるのだから、それぐらい置いてやったら良いじゃないか…
そう思って置いてやれ、と言ったのだ。
しかし今の母にはそんな冷静な分析などどうでも良かったようで。
とにかく私を責めることにご執心だった(苦笑;)。
私は自分が責められることで、逆に、余計にドタのことが心配になった。
((こんな調子の母と毎日一緒にいて、あの子は大丈夫なのかッ?))
私自身、母には散々な目に遭ってきた。
ドタは私と似た部分があったし、私同様、母の標的になることが沢山あった。
私はそれこそ生まれたときからこの環境だったので慣れてしまっていたが、ドタは始めの頃は私が育てたのでそれとは違うわけで。
特に今はガミガミ言われることが逆効果になりかねなかった。
ところが、私のそんな心配は徒労に終わる。
何故なら。
ドタは、私以上に強靱な反逆精神の持ち主だった。
あの母に負けちゃいなかった。
あの最初の大喧嘩の時…
落ち着くまで私達と暮らすという話しになった時も、あの、上から押さえつける強烈なパワーの母に一歩も譲らず。
「やっぱりっ!!あたしなんかどぉでも良いんでしょっ!!あたしはいらない子なんでしょっ!!」
ドタの頭の中は常に、どうすれば相手を怒らせることが出来るか、あるいは、黙らせることが出来るか、ということしかなかった。
もちろんこの場合、後者の効果を狙ってわざと吐き捨てるように言った言葉だ。
迫力を出す為に、軽くではあるが床をコブシでガンッガン殴りつけながら。
そのの思惑は見事的中する。
「そんなことないっ!!そんなことっ!!あるわけがないでしょっ!!」
そうは言い返したが、母はそれ以上何も言えなくなってしまった。
ドタは心の中で
{{ふんっ。やっぱりね。ビビって何も言えなくなったよっ。勝ったねっ!!}}
と、笑いそうになるのをこらえていた。
ただ、この時の様子は母にかかれば
「あの子はもぉ訳が解らなくなったんだろねっ!!暴れて大変だったのよっ!!」
となる。
見事に孫の策略に嵌められたのにも気付かず、自分は誰よりも孫のことを解っているような顔で興奮した顔で吠える。
まあそれはある意味良いことだったが、それ故に、母の私への口撃が益々激しくなった。
結局私は母の口撃から逃れられないようになっているらしい。
そんな小競り合いが日常茶飯事になり、母はドタの批判を毎日のように私へ電話することが日課となった。