再来夢…嫌避 | 腹回り鏡餅に浮輪ネガポジ部屋

腹回り鏡餅に浮輪ネガポジ部屋

光と闇は表裏一体。
2017年末に 脳梗塞で倒れ 糖尿病も併発、軽い右側麻痺、言葉がたどたどしい。
LDH系、特に三代目JSB、特に登坂広臣(臣ちゃ)好き♡♡♡
斎藤工(工ちゃん)好き♡♡♡
《いいね》は生存確認、内容に関わらずしてます。
(記事に無関係、無神経な※ 無言削除)


暫くして。
一旦、義母を自宅に連れて帰ることになった。

病院てこんなに迷路のような廊下があるんだ…
とビックリするほど、長い長い薄暗い廊下を歩かされる。

なんせここは病院。

まさか一般の病人と同じエレベーターで移動し、一緒に廊下を歩く訳にもいかないからだろが、なんだかあまり良い気持ちはしなかった。

自宅に戻ると布団に寝かされ、胸の上やら体の脇やらにドライアイスを乗っけられる。

((そっか…。腐敗を遅らせる為か…。))

冷静にそんな作業の様子を眺めたりしていた。

亡くなってすぐは取り乱していた皆も落ち着いて、時には笑顔で話をしたりしていた。

不思議なもので。
【母ちゃんがそこに寝ている】
という感覚に陥ったのだ。

だからあれほど半狂乱で泣いていた、義姉や姪達も、義母の体をさすりながら笑顔で会話したり出来た。
もちろんふとした拍子に涙は出るが。

一方私はというと。
ほとんど泣き通しだった。

どうしてこんなに泣けるのか、てくらい馬鹿みたいに1人だけ泣いていた。
本当に1人だけ。

皆と普通に会話もするが、とにかく泣いている時間の方が圧倒的に長かった。
他の誰よりボロボロだった。

以前
【泣けるのは自分が幸せだから】
と聞いたことがある。

なるほど、義姉とかの立場なら

病院の支払いはどうするか?
葬儀の手配は?
連絡しなきゃいけない人は?
etc.etc.…

色々やらねばならぬことがある為、悠長に泣いてなんかいられないだろうことは解る。

私は、本当の意味の当事者ではないからこんな呑気に泣いていられたのかもしれない。

実際。
葬儀の手配やら何やら、義姉が1人で仕切っていた。
義兄が助手みたいにあれこれ動かされたりしていた。

もちろん、何か手伝うことはないのか聞いたのだが、やって欲しいことはその時言うから、と断られたのだ。

その日はそのまま自宅で過ごさせてあげたい、ということで、義兄と私達はそれぞれ自宅に帰ることになった。
義姉、姪達は義母の側で寝たいから、とそのまま残った。

翌日。
お通夜や葬式の手配をしたお寺へと移動する。

ただ。
この葬儀などが、今後の私達の人生に大きな影を落とすこととなる。

実は今回。
義母が入院したことはもちろん、亡くなったことも、義父側の親戚の人達には知らせなかった。

一切。

ただ、癌であることは知っていたし、中にはどこで聞きつけたのか病院までお見舞いに来て下さった方もいた。

それを…
その方がみえた時、付き添いをしていたのがたまたま義姉で。
(きっとこれも何か意味のあることだったのだろが)

その方を追い返してしまった。

「せっかく来ていただいたのに申し訳ないけど帰って下さいっ。」

と。

相手の方はせっかくわざわざ来たというのと、少し顔を見るくらいいいだろう、とかなり粘ったようだが…
ただただ、そう言って追い返したのだ。

これは主に義姉の意志だった。

「お母さんが嫌がるから。」

と。

私は直接関わる機会がなかったのでよく解らなかったが、義父側の親戚の方々は、本当に自己中、身勝手な人達ばかりだったようだ。

義父は長男。

なのに兄弟の中で一番ないがしろにされており、法事などで集まった時など他の兄弟達から一番馬鹿にされていたらしい。
それは血の繋がった兄弟だけでなく、その婿や嫁までもが同じ態度だったらしく。

あまりに馬鹿にした発言が多く、それもかなり酷いものだったので、一度ダーリンがブチ切れたら少しおさまったようだが。

そう、その人達は、本人や義母、ダーリン達の前でも堂々とけなしたりしていたらしい(苦笑;)。

多少は仲良くしていた妹さんとかもいたらしいが、義母自身、あまりお好きではなかったようだ。

そういえば確かに…。

私も一度だけ、義父側の親戚の方々と接する機会があった。
義父の母親が亡くなった時、そのお通夜と葬儀に出た時だ。

あれは。
ちょうど義母が亡くなる1年前。
まだダーリンと入籍してはいなかったが、ダーリンの妻という位置で出席することになったのだ。

【ダーリンの嫁】というカタチで紹介された私に、皆が親切そうに声を掛けてくれた。

やや緊張していた私は、あまりジックリ観察する余裕もなく、表面だけ愛想笑いするのに精一杯だったが、それでもその親切さに胡散臭さは感じていた。

その時は自分達の母親(あるいは姑)が亡くなった場ということもあったのか、特に声高に義父の悪口などを言う人はいなかった。

しかし翌日。
この人達の【本性】を見ることとなる。

翌日の本葬。

曾孫にあたる子ども達が全員ほぼ普段着だったのにも驚いたが、大勢いた人達は誰一人悲しそうにしている人がいないのには、驚きを通り越してある意味感心した。

小さな子ども達は葬儀場を走り回り、大人達はまるで楽しい集まりの会でも催してるかのごとくゲラゲラ談笑している。
喪服の人がいなければ葬式だなんて気付かぬだろう。

義母が少し親しくしていた義父の妹さんは少し泣いていたが。

中でも、義父のすぐ下の妹である、長女には怒りすら感じた。