今日は、友人とのLINEのやり取りでキーワードに浮上した
「勉強する」ということについて考えてみる。
その友人も育児の一番忙しいとき勉強したかったけど、場所がなかったと。探したと。
ふむふむ。
なにも学生じゃなくても学びたいよね。
社会人だと毎日の仕事の中で常に学びがあり、つまり、達成感と充実感が成果として時間できる。
主婦が学びたいのは、「知識欲」と「社会においてかれたくない気持ち」かなぁ。
「知識欲」の方でいうと..
「知らないでできない育児」よりも「知っていてやらない育児」の方がどんなにか楽しいか!
しかも、「本」や「ネット」の中にあるハウツーではなく、生きた会話の中にある育児の知識ほど
活かせるものはない。
「社会においてかれたくない気持ち」の方でいうと..
一日中、子どもと向き合って、家事をこなして、誰からも評価されず過ごす孤立感ほど不安になることはない!
「学ぶ」ことが将来の自分を見据える希望なのだと思えるのだろう。
今後のキーワードにしなくちゃ!
今の子育て支援の役割は、近所や親類などでなかなか味わう機会が減ってしまった
「子育てモデル」を共有できる場所であることと言われている。
わたしが、「少子化」について少し経験上でデータはないが気にかかっていることに
「家庭保育」の家庭に2子、3子という発想が起きにくいように思う。
逆に、保育園に預けて、仕事と育児の両立をしている方の方が、2子、3子と続けて育児されているように感じる。
なぜ?と思うと
家庭で専業主婦をしながら四六時中子育てに向き合っていたら
「2人もいたら、私はどうなる?」と思ってしまう人もいるようです。
「3人いる家の想像がつきません..どうしてるの??」って質問されたりします。
家庭以外の居場所の必要性とともに、
現代の育児が「向き合いすぎ」と示唆できるものも感じちゃいます。
3人に全力で向き合っていません!って言ったら語弊がありますが
そもそも、母一人がその子たちの成長を取り巻く環境要因と思っていないので
子どもを一人の人格と思っています。
そうすると過保護、過干渉にならずにいれます。
そうすると、子どもも母のことを一人の人間と思ってくれている気がします。
絶対的な揺るがざる存在とは思っていないというか、表現が難しい。ごめんなさい。
話が飛び飛びですが、先日、母と話しているときに
「昔の人は、出産後、おばあちゃんに任せて働きに出たから、育児を全力でしたかったなぁと心残りもあるかもしれないね」と言われ
さきほどの「向き合いすぎ」がよぎりました。
「立派な大人にしなくちゃ」
「賢くしなくちゃ」
「いい会社に就職させなきゃ」
いつの時代もある子育てにおいて、母の責任と思われがちな仕事ですが..
残念ながら、結果は伴わない気がしてなりません。
昨今の残虐な事件などを見ていても
「子は宝」社会全体で育てていくを実現しないとしんどいよな..とせつなくなり、
「生きる力」「人間力」を鍛える子育てに必要なパワーはなんだろう?
とか自問自答の日々ですが。
わが子に関しては、とにかく全力で遊べーーーー!!と育てています。

ひとつのことができた、できなかったという結果にまったく興味がありません。
(本人は、発表会のセリフが言えないで怒られたとかふざけてて怒られたとk報告しますが、反省したなら前へ進めと(笑))
長い目で見て、本人が自分の意思で「やりたい」と思える気持ちを大切にしたい。
「やりたい」ことを自分で選ぶ力を身につけてほしい。
つまり、どんな分野でも学びが必要になってくることを知ってほしい。
結果はどうあれ..