娘が1歳半を目前に外でも手を離して、ポテポテと歩くようになりました。
一番身体面の成長発達はおっとりでゆっくり♡
でも、3人目は「いつかね~」という感じでのんびり母。
まったく 『 ふつう 』の発達って概念ないですね。
一人目育児と大違いのテキトー加減..(笑)
ただただ、「 いっちょまえに~♡ 」と愛おしいポテポテ歩き。
今でも、病院でお会いしたおばあちゃんの言葉がくっきりはっきり頭に刻まれている
いっぱいいっぱい必死の一人目育児。
それは、「いつかは歩くねんから~のんびり構えとき~」と10か月検診の時に会計の待合で出会ったおばあちゃんにかけてもらった言葉。
すごい、救われた~
検診の運動発達のところが問診票すべて「 いいえ 」つまり 「 できない 」になってて、
「 ふつうより遅い 」
発達が遅い。
って、今思えばどうでもいい「 ふつう 」に辛くなってたときにかけてもらった言葉。
それは、なんとも表現しにくいのだけど、根拠のない「 だいじょうぶ 」
とはまた違う安心感をあのときの私にくれた。
兄弟や子育てモデルのない一人目育児ってほんとに「だいじょうぶ」なことも心配
なにと比べ、なにを信じていいのか?ってときに孤独を感じるもの。
わたしは、気さくに横のつながり(ママ友)を作ることができなかったので
ひとり悶々としていたときもあったのかな?
当時は、パパもすごい今以上に激務だったしね~。
乗り越えたよね。
そこで、今日は「初歩」について考えてみました!
子どもが立てるようになったとき、親の手につかまり自分を支えようとすることがあります。
このことは、より明確に分離した・独立した生活への一歩を踏み出そうとしているときに身近な特定の大人との安全感をもう一度確かめることとも関係があるのでしょうか?
歩くことを学び、そういった新しい一歩を踏み出すのに十分な自信を感じるプロセスは、身体的なものであると同時に、心理的なものでもあります。大きな情緒的飛躍であり、赤ちゃんに大いなる葛藤をもたらします。(タビストック☆子どもの心と発達シリーズより)
ある発達心理学の本にはこうあります。
んー。そう見ると
つかまり立ち、伝い歩き、大人の手やカタカタなどの乗用玩具を押して歩くことから手を離して自分自身で歩き出すことの精神的な一歩の大きさに改めて感動します!
身体的に歩けるようになることと、また違う情緒面の「 一歩 」を思うと感動です!
娘との今日のお出かけでは、手を離し歩く距離がとても増えました。
と同時に、娘の表情がとても自信に満ち溢れ、キラキラしているように見えたのです。
これらの一歩を踏み出すことを始めるとき、抱きしめられて安心させてもらうために、何度も何度もあなたのところに戻ってくる必要があるかもしれません。
実際、赤ちゃんが自信をもって独力で歩き始める時期は、一方で、そういった気持ちとは反対の、よりしがみつこうとする時期でもあるのです。
本の中ではこう〆られています。
自分自身の意思が芽生え始める時期でもあるこの初歩の時期
あんなに小さな小さな体で
とてもとても大きな葛藤を宿して生きているんだと考えると
小さな育ちに感服します。
ハイハイをしたり、歩くこと、移動を可能にすることは赤ちゃんの探索活動を盛んにします。
このところ娘とのお出かけが楽しくて♪
近所を歩いたり、ウロウロしながら、彼女は行きたいところに手を引いたり、
興味関心を持つものを指さしたり、声を出したりしながら探索を楽しんでいます。
その中での会話が楽しくて、同じものに気づいたり、転んだ痛みを共感したり、
とても幸せな気分をもらえます。
ただ、「イヤイヤ期」ですので..
「イヤイヤ」スイッチとの格闘の日々ですよ。
無駄にウロウロ徘徊する親子を見つけたらお声かけください~
「今日も寒いね~」と♪