黄金のアデーレ 名画の帰還 | MamMa Mi〜A ♡アナウンサー 青柳万美のBlog  

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クリムトを中心とした世紀末ウィーンを代表する芸術家集団”ウィーン分離派”。
分離派会館にあるベートーベンフリーズの息を飲む静寂と美しさは、10代の私にとって大変印象的なものでした。
あの時は時間がたいなくてヴェルベデーレ美術館へは行けなかったのだけれど・・・そこにはクリムトの代表作が当時飾られていました。

さて、世紀末にあって新しい美術の潮流をうみだしたクリムトに、当時ウィーン名士の夫人や令嬢が肖像画を依頼しています。
彼が絶頂期に記した作品で有名な1つが「黄金のアデーレ」で知られる「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ」です。

この土曜日27日より公開されている映画『黄金のアデーレ 名画の帰還』はこの絵画にまつわるある家族の物語です。

(http://golden.gaga.ne.jpより)

分離派のパトロンでもあったブロッホ=バウアー夫妻のサロンには当時の文化人が集いました。
また、アデーレは姉のテレジアとともにブロッホ兄弟と結婚し1つのアパルトマンで生活をしました。
実業家として成功した家族であり、ウィーンで文化を愛し暮らしていた家族。
アデーレは若くして病で死亡し「肖像画をヴェルベデーレに寄贈する」という遺言をのこしました。
遺言は実行されず時が過ぎ、世界はファシズムの時代へ。
ナチによるオーストリア併合は、ウィーンでも歓喜をもって迎えられますが、それはオーストリアに暮らすユダヤ人の受難の始まりとなります。
ブロッホ=バウアー家にもナチの追求がせまり、アデーレの姪にあたるマリア・アルトマンはオペラ歌手の夫ともに、着の身着のままでアメリカに亡命します。
激動の時間を経て、1998年、マリアがオーストリア政府に訴えをおこします。
「叔母の肖像画を返して欲しい」と。
その肖像画こそ、ウィーンの宝としてヴェルベデーレ美術館に飾られている「黄金のアデーレ」。
駆け出しの弁護士ランディ・シェーンベルク(音楽家シェーンベルクの孫)とともに幾多の訴訟を乗り越え、絵の返還が認められたのは2006年のことでした。

時として絵画の価値は金銭で表されますが、個人にとっての価値はそのようなもので測ることなどできません。
マリアが、両親を"見捨てた"アパルトマンを訪ねたシーンに込められているのは、「黄金のアデーレ」が家族の絆と幸せな時間の象徴であること。
戦争により祖国を追われ失ってしまった時間がいかにかけがえのないものであったか。
クリムトの代表作の一つであったことから価値があるとされている絵画ではあれ、彼女にとっては金銭は関係なくその所有権をどうしても取り戻したいものであったことが、ヘレン・ミレンによるさりげない演技とともに描き出されます。

ナチによる蛮行と社会がどう向き合い、人々がどうかかわったのかはナチを親にもつ世代の葛藤とともに常に問われ続けるテーマの一つです。
戦後『お父さん、戦争のとき何していたの―ナチスの子どもたち』という本が出版されているのもその一つ。
この映画に登場するオーストリア人ジャーナリストのチェルニンは、そうした世代の代用と言えるでしょう。
また、マリアが訴訟を起こした199年代後半はホロコーストに起因するユダヤ人の財産の返還補償要求が世界的に広がった時代でもあります。
これらの社会的背景も含めてこの映画を観ると、また違った見方もできるのではないでしょうか。
この映画で描かれているようなナチによる美術品略奪は時に名画を行方不明にし、またその帰属や美術館が受け入れるかどうかなど様々な局面で今でもニュースとなっている問題です。
マリアが劇中のセリフとして語る「人間は忘れてしまうの」という言葉は、次の世代に語り継がねばならない子があることを教えています。

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黄金のアデーレ 名画の帰還
11月27日より全国公開中