1.17日に思うこと | MamMa Mi〜A ♡アナウンサー 青柳万美のBlog  

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映画、舞台、そして人と食!
日常のあらゆる"おいしい出会い"に感謝をこめて 

死者 : 6,434名、行方不明者 : 3名、負傷者 : 43,792名
被害総額 : 約10兆円規模

日々を大切に生きてきた人たち一人一人とその周りの人たち、その営みが、あの地震で奪われたということ。
数字になると忘れがちですがこの重みを決して忘れてはいけないと思います。

当時池田市に暮らしていた私。
遠くから迫る地鳴り、轟音、揺れ、食器の割れる音。
体感したことは今も忘れられません。
父が使う阪神高速や友人たちが多く利用している伊丹駅がテレビ画面に映ったときの衝撃。
長田の街の震災後の光景。
震災後、父が仕事から帰ってくるまでの不安な思い。
真っ暗な阪神間の光景。
毎晩聞いていたラジオの番組が流れてきた時の安堵感。
大好きな宝塚歌劇の花の道は、今も通るたびに昔の被災前の建物の姿、被災時の状況がまぶたに浮かびます。

阪神・淡路大震災から20年。
「節目」ではあります。
しかし、以前、1月17日の東遊園地に行ったとき、どんなに時が経っても「終わり」はないのだと感じました。
あの日、様々な痛みを抱えた人たちが生きてきた時間がそれだけ経ったということ。
時とともに癒されるものもあるかもしれない。
時とともに広がる傷もあるかもしれない。
節目として立ち止まり、省み、未来のために出来ることを考えることは大切です。
でも、これが50年、100年経ったとしても、一件落着、と捉えることではないのだと思います。

人生の20年の間に、2度も「大震災」という言葉に接し、その被害を見聞きするとは思いもしませんでした。

自然には抗えない。
自然の力に対し「絶対 対抗出来る」ことはない。
そして、だからこそ、平穏に無事に暮らし次の世代へとバトンタッチをするために出来る努力は最大限にすべきではないでしょうか。

自然という仕組みの中で人間はどう生きていくべきなのか、
争わず、助け合って生きていくためにどうすべきなのか、
節目だからこそ、考えていかねばならない、と「オトナ」の一人として思います。