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オレンジネコのブログ

 
 
すみません開始から1年以上たっても何がなんやら(笑)
ここのコメントもようやく少しお手入れ。
内容は統一感なく色々?やってます。
こんな感じですがたまに役に立つかもしれないことも書いたりなので、
もしよろしければお暇なときにでもご覧ください。

先ほどの記事、

実はお風呂の掃除をしながらふと思っていたことからのお話です。

 

どうでもいいレベルのことで気持ちがまけかかっていた中でお風呂を掃除していたのもあるのですが、

くじけるでしょ、また次はって思うじゃん、

同じことの繰り返しなのかなぁ・・でも今回はぎりぎりそうじゃなくなったよねぇ

 

とか、考えていて、

そういえば、自分が諦めてくじけて後悔したことって、こういう小さな次に繋がったりしてるのかなぁと。

 

まぁ今回のはそんなたいそうなレベルの話ではなかったんですが、諦めたことをまたすぐ諦めずに始める・・みたいなことは実際普段からあって、

よく何かの修理をするときにどうしてもうまくいかないとこをずっとやってて、もうどうしようもないと、一度諦めて、それからまたもう一回だけと思ってやるとうまくいったりなんてことが・・。

 

またそれとは別に負けて勝つって話も前にもしたかもなのですが、それも考えていたことがあって、

さらに、成功した人たちがなんで転落していくのかって疑問もすごい昔からあって・・。

 

この話も前にブログで書いたかもですが、よくプロにまでのぼりつめたスポーツ選手が、その後悪いことに手を染めてしまって・・みたいな事件を耳にしたりすると思うのですが、

体を鍛えさらには自分なんかより数倍諦めず負けずくじけないで続けてプロになったはずの人が、

なんでそんなに気持ちが弱く負けてしまうんだろう・・とすごく疑問だったことがあります。

 

学校生活や部活やなんかでも、気持の話をされたりしてると思うんですが、ほんとにそうやって強くなったのなら、何故弱くなるのかってホント不思議だったんです。

 

別にスポーツ選手に限らず、社長さんになる人や、夢をかなえて芸能人になる人なんかもそうですが、誰よりも努力して秀でた結果がそれなのだとすると、その先の結果がおかしいなって。

 

そんなこんなのいろいろな疑問や自分の経験や悩みを総合して考えると、もしかしたら背伸びをしすぎて勝ち続けようとする中で自分を大きく見せるための方法にすり替わってしまったところがあるのかなぁと。

 

普段の生活の中でもそうなのですが、負けられない人っていうのはいます。

できなくても、無理があっても、自分でやるからいいですと抱えてしまう人、

自分の負けを認められず、相手を罵倒して勝ち続けようとする人、

 

負けることを恐れる弱さがそんな人達にはどこかあるのかなって気がしたのです。

そういう人たちに、ちょっと真実を突きつけると、実はすごくもろかったりします。

それは自分の作り上げた勝ちの世界で生きているからなのか、的確に間違いを指摘すると急激に怒ったり不安定になったりします。

 

他人を努力してないダメだと言ってしまうのはその通りでもあればそうやって自分の優位性を認めさせたいこともあります。

自分の頑張った経験を他人はしていないと決めつけてしまって、やってない、まだまだだ、と言えてしまう。

 

けど実際にはそれぞれその人なりに頑張っていることがあって、かならずしも何もしていないわけじゃない。

 

まぁなかには実際の実力から見下ろす人もいますが、いずれにせよ、それだけでがんばり続けなきゃいけない世の中が正しいのかなぁ・・という気持ちがあったので先ほどの話に・・

 

 

これは自分の経験の範囲の話でしかないのかもですが、負けずに常に打ち勝とうとしていた人と一緒に時間を過ごしたとき、どう考えても正反対な自分とはうまくかみ合わないだろうなぁという中で、その人が少し変わってきたと感じることがありました。

 

自分はその人ががんばっていることはよくわかっていましたし、自分なんかより努力もできることも上ですが、肩に力が入りすぎているなぁと感じていました。

それがなんとなく優しくなり、そこからぐんといい感じに接しやすい人になった覚えがあります。

 

本人の中で何があったのかはわかりませんが、周りを受け入れ他人の力を受け入れたその人は最初よりずっと安定した感じがしました。

 

 

と、なんか取り留めもない話になってきましたが、なんとなぁくそういう話です。(笑)

 

 


諦めてしまったことがある。
どうしてもできなくて、今の自分には力が足りなくて、覚悟が足りなくて、

きっと自分を弱いと思うものもいるだろう
誰かに弱いといわれることもあるだろう
何もできない自分をそこに作り上げ打ちひしがれるだろう

だけど、今は諦めてもいつかと思う心があれば、諦めてしまった思いの前にした覚悟があれば、諦めてしまった後悔、悔しさがあれば、

諦めても、また諦めない次の願いを持ち続ければ・・。

諦めの積み重ねは、いつかの力になる。

今日できなかったことが未来にはできているかもしれない、
かつてできなかったことが今の自分にはできるかもしれない、

一度諦めてもまたそれを諦めきれず次につなげる心があれば。


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今日、ふと、自分は諦めてばかりだなぁと思う瞬間がありました。

けど、自分はよく諦めはするものの一度諦めてはまたそれを諦めないでいるおかしなところがあるなぁとも。

 

全てではないですが、今の自分のあらゆる想定が、もしくは不意の弱さで諦めてしまったことがあった時、

自動的にそれは自分の中で次どうにかしたいリストに入ります。

 

誰かに個人的にどうしようもない迷惑を、というか、嫌がることをするようなことでない限りは、何度でも挑戦は可能・・とそうは思います。

同時に、どうしようもなく行き詰ってしまって、それでも無理にあがき続けるとそれは自分も誰かも傷つけることにもなる。

だから、どうやっても無理なことを諦めることが自分は必ずしも悪いことだとは思いません。

 

ただ、一度諦めたからずっと永遠に諦め続けるのは違うとそう思える気持ちもあります。

 

人間はそんなすぐに心が大人になるわけではありません、体は成長しても年齢は上がってもいつまでもくじけることやお子様な気持ちは残り続けます。

 

世の中は、諦めたら負け、と、がんばることを求めます。

もちろんそれは間違いではありません。

けど、どうしてもできずに劣等感を抱き自信を無くし前向きになれなくなるほど、がんばり続けなければならないかというと、そんなこともないと思います。

 

お前はできない、

こんなこともできない自分はダメだ、

誰かはできているのに・・

 

諦めてしまえばそこで負け。

 

そんな呪縛から、もう二度と立ち向かわない自分ばかり増えてやしないでしょうか?

 

だったら、一度諦め、そして次にまた挑戦するしつこい自分でいたいと、そう思います。

 

スポーツで無理をしてけがをしてしまう、

人間関係で無理をして喧嘩別れしてしまう、

人生で無理をしてどん底に落ちてしまう、

 

それが回復可能なことならいいですが、無理をすることで失うものなら、一度諦めて改めて挑戦することのほうがいいように思います。

 

もちろん今だから、というもの、そう思えてしまうものもあるでしょう。

けど、それが全てではないかもしれません。

 

その時のスポーツでは大成しなかったとしても、体を壊さなければできていた何かがあるかもしれない。

また誰かに教えるときに無理を強いることなく目指す道を探れるかもしれない。

 

人間関係も人生もその一点だけですべてが決まり終わるわけではないと思います。

 

諦めない気持ちは、実は小さな諦めの積み重ねの中で、後悔する気持ちや悔しい気持ちが原動力になることもあります。

力を入れすぎて周りまで傷つけて目的だけを追求した結果たどりつく高さよりも、何を大事にするかを大切に周りも見える自分で上り詰める高さのほうが実はとても有意義なものかもしれません。

 

今の自分ができること、限界を知り、その上で挑戦をするのはいいことだと思います。

けど、それをしないままに無理に背伸びをするだけでは、得られるはずのものも失ってしまうかと思います。

 

すぐ諦めていいとは思いません。

けど、執着して諦めずにいること、人に諦めは負けだと思わされて無理に続けるのであれば一度立ち止まってまた歩き出すのもいいかと思います。

 

諦めの積み重ねの後悔や悔しさは、自分の中に残っていて、次のもうちょっとのがんばりや、力になる。

 

負け癖がつくっていう人の言葉は負けるのが怖い人の言葉かもしれません。

負けを受け入れる強さがあれば、実は怖いものが一つ減っている・・のかも、とも思います。

 

負けがほんとにすべての負けとも限りません、特に人間関係では負けて勝つということがすごくたくさんあると、そう思います。

 

 


昔、子供のころに電気屋さんでレジに並んでいて、待ちきれないおじさんが怒り出したことがありました。
俺はこれしか買わないんだからそんなの後にして先にやれと。

そんなのとは確か部屋の照明器具か何かだった気がするのですが、子供心ながらに、

もし優先されるなら、特売の商品を少量買うおじさんより高いもの買ったお客さんを優先するのがお店だよなぁ

と、思った覚えがあります。
しかも別にその高い買い物のお客さんは我が物顔で割り込んできたわけでもなく、案内されて列にならんでいた気がします。


この話自体ははるか昔の話ですが、最近過度のクレームでやりたい放題の人が逮捕されるなんてことも増えています。
そこまでいかないまでも、販売員や接客担当者に怒りをぶつけるお客さんは山ほどいるかと思います。

お客様だから、スタッフの質が悪いから、ニーズを理解しないから、

どんな理由でもいいですが、そんな状態が進むとどうなるのか・・
当の本人達は正義感や当然の権利意識、もしくはそれで日本のおもてなしの質が上がると思っているのかもしれませんが、
個人的にはその逆、このままだと高い対価を払わない限り得られない崩壊した環境に突入してしまうのでは?と思えてしまいます。

販売員のクオリティが低いからだ、というのは簡単ですが、
昔の総正規雇用体制から、現代はせいぜい1割程度の正規に残りはパートアルバイトの非正規。

さらに正規の社員の中でプロフェッショナルと呼べる人間がごく一部、数パーセントと考えると・・

別に非正規だからと言ってプロフェッショナルと呼べる人間がいないとはいいませんが、
その為の教育をする時間を与えられてはいないとは言えると思います。
そんな中でより良いサービスを提供できるよう頑張る店員さん達は過剰な怒りや罵声を浴びせられる。

袋一つとってみても、客のニーズがわかっていないといわれる。

けど、実際には袋をわけなければ怒るお客さんもいれば、わけられると持ちにくいと思う人もいる。
袋に入れるなという人、袋ぐらいたくさんよこせという人、シールははるな、・・。

ニーズがわかっていないのではなく、会話が足りないだけのことなのだと思えるものの、その会話を嫌がるお客さんも多い。
そんな状態の中で一生懸命やる人ほど疲れ辞めていく・・。

結果残るのはそんな言葉に動じない何とも思わない人達とほんのわずかなニーズとやらをとらえられると思われているプロフェッショナルな人達・・。
求めるクオリティは当然その僅かな人達では埋めることはできず、質の向上にも客にも興味がない仕方なしにやるだけの人達が支えることになる。

そして労働人口が減る中、当然そんなブラックな現場にわざわざ行く人間も減り、より低賃金のところから人員不足に陥る。

外国からの労働者に頼ることで人員の確保はできたとしても、そんな高度な接客を求める人達が満足できるのかと言えば、
結局は、日本人じゃないから駄目だ、外人のくせにと、怒りの内容が変わるだけ・・
そんなことをしていれば、国際社会から日本は外国人労働者をしいたげる国といわれるようなことにもなりかねないと思います。

そして、今どこでもそれなりに受けられるサービスは高い対価を払った一部の人たちだけが、受けられるものになりはしないかと・・。


元々、商売は対等な関係で行われるべきものだと思います。
日々どんな人でも対価を払って品物を受け取る商取引をしている。
売るも自由、買うも自由ですが、商取引と考えた時、良質な販売者が持てはやされるのと同様に良質な購入者に売りたいと思うのが心情だと思います。
そんな中、常識の範囲内で互いの関係性を有効に保ちながら商関係を築いていく。
一方的に何かを求める関係性ではなかったはずだと思います。

支払った料金に対して品物を受け取る。
その時に付随する様々なサービスは元々よりよく買い物をしてもらおうとする気遣いから始まったこと。
だとしたら気持ちよく売ってもらうための気遣いができることが購入者側のできる礼儀ではないかと思います。

必ずしもできることではないけど、声をかけるお礼を言う、それができたらいい形で、
怒鳴る、なじるが正解だとはとても思えない。

当たり前と思っているといつかそれは無くなってしまって、なくなってしまったときに困るのは購入する側の自分達になるんじゃないかなと。
少なくとも自分はそう思いますし、やっぱり何かしてもらったときはありがとうと言える人間でありたいと思います。
常にそれができるわけではないですが、何かが足りないと怒るより、普段からプラスの良さととらえていた方が毎日悪くない買い物ができますし・・。