【思う事】多様性と差別と区別と平等と | 人生50年あとはおまけです

人生50年あとはおまけです

成人病オールスターズのおっさんが
書き残す終活日記。
2014年8月以降も生き残っていたら
なるべく続けます

世の中は平等社会?

多様性を認めて、

すべからく平等に

生きていこう。

 

とてもいいことだと思うし

そうであるべきだとも

思う。

 

その一方、

「差別感」は根深く、

表面上の平等意識だけ

では、無くならない事を

多くの人が知っている。

 

そうした「差別感」をなくそうと

多くの団体や個人の方が

活動しているが、

そういった声に押されて

「差別」と「区別」を明確に

認識しないまま

迎合してしまうと

悲劇が起きる。

 

例えば、

・女性専用列車

・公衆トイレの性別分け

・運動会の順位付け

・障がい者労働

・男女雇用機会均等法

 

グローバルには

・ジェンダー

・民族、人種

・病気(HIVなど)

 

身近では

・学閥、出身校

・住所、出身地

・身内(親ガチャ)

・同調圧力(派閥やママ友)

・生活様式

 

などなど

枚挙にいとまがない。

 

私が「やだなぁ」と

感じるのは

「無自覚な差別」

厳密には差別ではないの

かもしれないけど、

こんな感じの表現。

「〇〇さんは〇〇だから~」

「〇〇と思うでしょ」

「○○さんもそう感じるよね?」

 

敏感すぎるかも知れんけど

こういった表現をされると

私は「こいつ、なんで同意を

求めたり、自分の主張を

押し付けるんだ?」と

思ってしまう。

 

多様性の否定じゃね?

 

「私はこう思うけど〇〇さんは

どう思う」

これならOK。

 

配慮っつーんですかね。

 

これが数人集まると

同調圧力になる。

 

昼飯に行く。

Aさん :俺A定食

Bさん :俺も同じので

Cさん :俺もA定で大盛ね。

     Dも同じでいい?

Dさん :天ぷら定食・・・。

 

差別ではないか。

大人の付き合いか。

 

だけどこれはどうだろう。

Aさん :俺は〇〇さんに投票する

Bさん :俺も同じだ。

Cさん :俺も同じだ。Dもそうだよな?

Dさん :・・・。

 

ここで意見が違うと

「差別」が発生する要素となる。

もちろん、A、B、Cが

多様性を認識していれば

差別が起こらない可能性は高いが

現実にはどうなんだろうね。

 

日本の場合は特にそういった

「多様性」という行動様式の

文化が成熟してないから。

 

こういった考え方が無自覚に

現れて、それを「差別」と

短絡的に認めると

悲劇が起きる。

 

・運動会の順位付け

これって「差別」なのだろうか?

多様性の否定じゃないのかな?

悔しい思いをする、というのは

とても大事な重要な経験だ。

 

・女性専用車両

これは「差別」ではなく「区別」だと

いう意見があるが

そうだろうか?

「女性を痴漢から保護」するのが

目的なら

「男性を痴漢冤罪から保護」する

のも目的化しないと

男女平等、という観点から

「差別」になるんじゃないの?

こうして議論が深まっていくと

「じゃぁ、全部、男女別車両にしよう」

と、結論が先鋭化する。

論点が激しくずれる好例だ。

 

万引き議論も似ている。

対象療法で議論するのではなく

発生原因をなくす努力をすべき

なのに、そこには目を背ける。

不思議だな、と私は思う。

 

視点は変わるが

・運動会の順位付け

これってすんごい重要な問題だと

私は思う。

多様性を否定することにより

没個性な性格に

なってしまわないだろうか?

 

競争力のない人格。

そういった熱量のない性格に

なっちゃう。といえば

おおげさなのかな?

 

そういった順位づけに

慣れないまま成長して

やがて受験期を迎える。

 

受験は強烈な競争力を

求められる。

 

これに耐えられるのだろうか?

耐えられなかった時にありがちな

うわべだけの優しさや

悪意なき慰めなどに

競争力の経験に乏しい人は

どう受け止めるのだろう?

 

徒競走で1位になれば

成功体験。

ビリになれば

失敗体験。

どちらも良い経験だ。

 

そうして自分の力を知り、

努力する事を知り、

頑張る力が養われる。

 

大人(親)の身勝手の論理で

子どもの大きな可能性を

自ら奪っていることに

気づかない親は「差別」を

どう認識しているのだろう?

 

似たような大人たち

は増えている。

・除夜の鐘に文句いう人。

・公園で遊ぶ子供に文句言う人。

・店員さんに暴言吐く人。

・人込みの中を人にぶつかっていく人。

・身障者用駐車場に止める健康な人。

あ、これらは単なる

身勝手な人、か。

 

なんとも世知辛い世の中

だなぁ、と感じる。