ヴァレンニコフ閣下「原爆の地・広島」に心を痛める | あおぽ ~青いポスト21~ オフィシャルブログ

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ロシア連邦国会議員、ソ連邦英雄・上級大将、ロシア英雄協会会長
ロシアゆかりの地 静岡県戸田村を視察


 11月2日にヴァレンニコフ閣下御一行はロシアゆかりの地、西伊豆の戸田村を視察された。
 戸田村は美しい海、山の自然に囲まれた小さな港町で、安政元年(1854年)にプチャーチン率いる軍艦ディアナ号が沈没した村でもある。村長(荒川邦夫氏)の出迎えを受けた一行が最初に向かったのは出逢い岬。眼下に村の全貌が広がり、正面には雄大な駿河湾、右手に長い裾野をたなびかせる霊峰・富士山。その全てが一望できる最高のポイントだった。ヴァレンニコフ閣下はこのロシア軍艦ディアナ号が沈没した村沖の絶景を感慨深く眺めていた。
 次に向かったのは、プチャーチン提督の宿所となった宝泉寺。この寺にはロシア軍艦ディアナ号乗組員達のお墓があり、ヴァレンニコフ閣下は献花をし、ロシアの軍艦を快く迎え入れてくれた日本人に感謝の言葉を述べるとともに、ロシア軍人の英霊に労いの言葉を述べられた。
 そして、宝泉寺をあとにしたヴァレンニコフ閣下が道端で出会った年配の女性と握手をし、会話を楽しんでいる姿にとても感動した。
 最後にプチャーチン提督の遺品や代船建造(ヘダ号)の記録が保存展示されている村立造船郷土資料博物館を訪問した。当時の状況等の説明を受けたヴァレンニコフ閣下は日露間の歴史に非常に興味を持たれ、いろいろと館長に質問され、見学後、博物館へのメッセージを書き残し、村長をはじめ一行の前で高々と読み上げた。その内容は、隣国同士の日本とロシアが真の隣国となりうるために、友好国としてお互いに協力することの必要性を強調されていたものだった。威風堂々としたヴァレンニコフ閣下の重みのある言葉は非常に説得力があり、聞く者の心を魅了するものがあった。


あおぽオフィシャルブログ-岬にて
■静岡県戸田村 出会い岬にて。

長野県大町市にある「ゴッホ夢美術館」を訪問


 11月3日、4日とヴァレンニコフ閣下御一行は信州を訪れた。
 地元選出の篠原孝(民主党)国会議員をはじめとする有職者との交流会や小布施町の北斎(葛飾北斎)館見学の後、大町市にある「ゴッホ夢美術館」を訪問した。
 「ゴッホ夢美術館」ではヴァレンニコフ閣下御一行の歓迎パーティーが夕刻より催され、地元の文化人、経済人や文化団体の歌川派門人会の会員等約30人~40人が出席した。
 「ゴッホ夢美術館」は世界的に有名な画家、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホがコレクションしていたものと同一絵柄の江戸時代の浮世絵を、当時不完全だった絵を完成された状態で見る事ができる、世界で唯一の美術館。
 浮世絵は1枚でひとつの絵を成すものの他、2枚または3枚をつなげてひとつの絵を成すもの、あるいは5枚、6枚をつなげてひとつの絵になっているものがある。また、シリーズで作られたものなどがあるが、ゴッホが収集していた浮世絵は必ずしもそろって収集されず、1枚あるいは2枚が欠けているものがある。それを「ゴッホ夢美術館」では完成された絵の状態で見る事ができる。
 また、ゴッホは自分の絵の中に日本文字を描いているが、今までその意味は不明のままでした。その謎の日本文字の解読を世界で初めて行うと共に、それを創作絵画として表わした、画家でゴッホの研究家でもある歌川正国(本名・五井野正)画伯の作品を展覧している。
 ヴァレンニコフ閣下は、歌川正国画伯の絵を見るため、今回の美術館訪問となった。歌川正国画伯から直接、日本文字の謎解きの説明を受け、その内容のすごさにとても感動すると共に、江戸時代の浮世絵のすばらしさに感激されていた。
 翌日は、美術館のすぐ近くにある、日本一のアーチ式ダム、黒部ダムを見学。その技術力のすばらしさに感心し興味を示され、自国でのダム建設や観光開発の参考にしたいと語っていた。


あおぽオフィシャルブログ-パーティ
■ゴッホ夢美術館で開催された歓迎パーティー。 (中央がヴァレンニコフ閣下。)

原爆の地 広島の一瞬(ひととき)

 広島行きはヴァレンニコフ閣下のたっての希望によるものである。広島は全国でも有数の路面電車が走る街という以外はごく普通の地方都市との印象が、元安川の河岸に原爆ドームを観た時、京の雅の旅の余韻が一瞬にして緊張感へと変わる。
 車は玄関口に滑り込み、館長、畑口實氏の出迎えを受け、修学旅行とおぼしき中高生でゴッタ返す中、館長の説明を受けながら館内を巡る。
 原爆で変わり果てた広島のパネル写真を見てヴァレンニコフ閣下は端切な口調で、「広島は米軍に軍事的脅威を与えたのか?」という質問を発しました。当時の広島は近傍に呉軍港を擁してはいたものの、既に日本海軍は、戦艦「大和」の沖縄への片道燃料による海上特攻作戦即ち「菊水作戦」をもって壊滅していたし、米軍の本土上陸作戦も広島とはほど遠い南九州と相模湾、九十九里浜に予定されていたのです。つまりヴァレンニコフ閣下の質問の意図は、反語的に「軍事的脅威を喪失した広島に原爆を落とす理由はなかったのではないか?」ということと解されるのではないでしょうか。
 また、展示されているボロボロに焼け焦がれた女の子の子供服を見たとき、ヴァレンニコフ閣下は、一瞬立ち止まり沈痛な面持ちを見せたこともありました。お孫さんの姿がオーバーラップしたのでしょうか。京都でも至る所で子供を抱きかかえ、あやす微笑ましい光景が周囲を和ませていました。そしてヴァレンニコフ閣下自身が、チェルノブイリ原発事故処理の現場の最高責任者だったのです。他人の痛みをわかるということは、軍人や権力者には必要なことだと思う。その様に社会的弱者の苦痛を知ることが政治家には大切なことと思う。誰もが母親から「弱い者いじめをしてはいけない。」と諭された記憶があると思う。
 日出ずる国が人工の太陽に灼かれ、その記憶が風化し人々の意識が朦朧とし始めている今日、かつて敵国とみなされたロシアの将軍が原爆に心を痛める姿を見て、何も感じない日本ならば、日没する国となり果ててしまう。
 広島でのヴァレンニコフ閣下に対する印象は次のようなものです。
 「真の軍人、真の愛国者には国境など存在しない。何故なら自分が国や国民を愛するように、他国の愛国者も国や国民を愛しているのを知っているからである。」とすれば逆説的ですが、軍人こそ平和主義者であるということも出来ます。ですから、北東アジアの安定化と経済交流の促進のためにも、今後はロシアの軍部関係者との人的交流が重要となってきます。
ヴァレンニコフ閣下は万感迫る思いを胸に広島平和記念資料館を後にした。


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■広島にて(ヴァレンニコフ閣下)。




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