エミーのブログ -2ページ目
毎日たべものがある。
その食べ物には
どんな気持ちがこもっているだろうか。
投げやりな気持ちで
我慢して作る
決められたことだからと
仕方なく作る
自分自身にごはんをつくるとしても
義務感で毎日3食
食べなければいけないと
お腹もすいてないのに
しっかり食べる。
それは一見ありがたい事なのだけど
その毎日の食べ物には
自然と食べたくなくなる
ような気持ちが入り込むのかもしれない
毎日頑張ってもうまく行かないのは
それがいいことと
信じて頑張っていることが
実はそうでないのかもしれない。
やめられないことを
気づくために
しがみついた心に
気づくために
うまく行かないのかもしれない。
3度の立派なめしよりも
のんびりした生活がほしいだけだったりしてさ。
あの人がなんかいや
そう思う時
自分は相手にどう思われているか
もし、その人のことが
よく分からないのに
むしろよく分からないから
なんか嫌だなって思ってるだけだとしたら
やぱり話してみることが
必要で
それは自分のために
知らない人のまま
不審に思うことを回避する
ということで
打ち明け話をすると
なぜかその人がわかったような
感覚になる。
その先入観で
とまってしまう
そういう勇気のなさは
あってもいい
きっとそれは必要なものだから
でもその感情に
圧倒されて、なにも話さぬまま
キライになっていく
そんなこともある気がする。
だとしたら
自分のために
他人を「よく分からない人」
のままにしておきたくはない。
けど自分から話すの怖い・・・
だから周りの人が話しかけてくれるとウレシイ。
子どもの時って
親が思い通りになにか買ってくれなかったり
あんたは橋の下で拾ってきたんだよ
とか言われたりして
結構根に持ったりする。
意外と大人になっても
感情的な仕組みはそのままで
依存している他人に対して
感情の渦のようなも~んとした気持ちによって
不機嫌になったりして
自分の感じている世界が正しい
つまり相手に振り回されているのは自分だ!
というような世界観を信じてしまうことがある。
そしてその世界観には
依存者との関係に不安を生じさせ
攻撃的になったりするものだと思う。
結果的に
母なる存在に、攻撃して何かよこせと
訴えるような構造になってしまう。
つきつめると
親子関係の依存のかたちで
自分の満たされない気持ちを
満たすのはお前だ!
みたいな流れになる。
あいてからしたら
なんでやねん!と思うような
他人に母を求める心であるが
本人は真剣に悩んでしまう。
つながりを求める
人の心は
扱いを間違えると
自分を間違った世界へと
渦の様に引き込んでしまう。

