暴れる力と

書いて暴力

 

思い通りに行かないと

暴れる

 

物をテレビに投げつける

破壊するぞという脅し

 

 

暴れる心には

何かの要求がある。

 

 

自分を人質にして

死ぬぞと脅すならば

 

相手が寂しいことを知っているのかもしれない。

 

 

暴力は排除されるものとして

否定的に扱われている一面もある。

 

 

命の道理として暴力を見れば

必要だから備わっているとしか言えない気もする。

 

 

そんな自分たちの暴力を

ある人間が発揮していたとして

 

その人が自己管理の出来ない人

とかその人の責任なのだろうか。

 

 

じつは暴力に迎合し

暴力を神の様に信じている人がいて

 

その人たちの暴力によって

正しさを押し付けられている

 

そんな人が耐えかねて暴力を振るっているのだとしたら

 

自分たちが行使している

正しさの攻撃は

 

実は自分自身の内側から出ている

暴れる力かもしれない

 

と自分自身の心に慈しみの目で見ることも

いいのかもしれない。

踊りにしても

ヨガにしても

 

どこからその動きが生まれてくるのか

 

それは身体の内側から発せられている

何かに感覚を澄ませて

心地よくなる方へと動くこと

 

その動きが連なって

踊りの様になったり

体操の様になったりする気がする。

 

 

とある脳科学の話で

 

魚から人にも、脳内に扁桃体という

器官が脳内にあって

 

それが興奮することで

感情が励起され、とっさの危機を避けるような

仕組みが備わっているらしい。

 

 

その扁桃体の興奮は、

身体の反応が起因してるそうで

 

つまり身体の方から何かしらの

信号が発信され、それを扁桃体が受け取り

興奮して、危険であると

感じさせるらしい。

 

言ってみれば身体が感情を司っている

そんな言い方もできるかもしれない。

 

 

そこでセラピストは

身体の緊張をほぐすイメージを

患者に与えることで

安心へと導いたりする手法もある。

 

よく分からない不安に対し

あたたかい春の草原で寝っころがるような

ほわ~っとしたイメージを持つように促すのである。

 

 

私はそれに関して

身体の動き、使い方が同じように

扁桃体の興奮を鎮めるのに効果がある気がする。

 

それは、踊りやダンスの起源のようで

自分自身の身体が発している音のようなものに

思いを寄せることで

 

それが要求する動きをする。

つまり身を委ねて

動くに任せる。

 

 

それが心地よければそれでいい。

 

世の中には正解や、こうすればいいという

枠があるけど

 

自分の中に泣いている子がいるとしたら

その子が泣き止んでくれたら

 

それが自分にとって必要なこと。

 

どうにも落ちつかない自分のことは

それらに任せて放るように

身体を動かさせてあげればいいのではないかと

思ったのです。