GWという事と、症状にも一定の落ち着きがあり、一時退院が認められた。

2週間のACTH治療の効果は、目に見えるレベルでとなると、、、残念ながら無かった。脳波は変らずヒプスアリスミア……執拗で刺々しく、醜悪。なかなか手強い。

点頭てんかん発作の対処として、ACTH治療は期待度が高い。脳障害持ちだけれど、ひょっとしたら……等と思ったりしていた。

娘は様々な縁もあって、専門性の高い医療機関で受診できた。生後2か月に発症してから、その3ヶ月後に治療を開始したタイミングも、手遅れという程もたついた訳ではない。僕らはベストを尽くした。と思う。

けれど、彼女の場合、アイカルディ症候群の合併症状である、脳室の構造異常や異所性脳灰白質から「てんかん波」が出ているのだと推測されている。

……ACTHでは、やはり届かなかった。

今後、投薬治療を中心に、少しでも、てんかん症状を抑えることを目標とするのだけれど、一日でも早く、何かしらの効果を拾い集めて、生活の質を上げる為の成長を獲得していきたい。

次イーケプラという比較的新しい薬を試してみるらしい。期待する。何度でも。


……………………


定期的にやって来る点頭てんかんを見守りつつ、退院の手続をする。思えば、彼女は大阪に引っ越と同時に入院となったのだから、一度も引っ越し先で過ごしていない。

新しい環境を気に入ってくれると良いのだけど。

そんな娘を連れてのGWで僕らがやりたかった事は、とてもささやかな事ばかり。

5人家族(+ワンも)になった為、手狭になった食卓を新調する事。チョット目をひく美少女になった長男の幼なじみに久しぶりに会う事。映画を一つ観る事。お弁当にビールとワインも詰め込んで、近所の淀川の畔でピクニックする事。

なかなか楽しかった。

それから、もう一つ、やりたかったのは、娘の髪をカットする事。

産まれて半年の所で、彼女の髪は目にかかり、クシャクシャの襟足の毛をならしてみると、その長さは肩まで届く。

産まれた時からやたらと髪が多かったし、更によく伸びてきている。

そんな訳で、まだバブーの癖に、ぱっと見は幼児のように見えたりする。

「この子の毛が多いのは、きっと頭を守る為なんじゃないのかな?」妻が言う。乳幼児にしては長くて多い髪を撫でながら、僕らは自己防衛本能みたいなモノを感じていた。


退院して最初のお風呂タイムは父の特権で僕が貰い受け、少しグズる娘を抱えてる隙に、妻が彼女の前髪に小さなハサミを入れる。

最初に切ったのは前髪。コレは記念に取っておく。ソレから眉の上に切りそろえる。絡まった襟足の毛も少し整える。

僅か数分で終わった夫婦の共同作業なんだけど、効果は絶大だった。なかなか良いぞ♪

切り揃えた髪を洗い流す。まだ薬の副作用もあり、てんかんも続く彼女は、時々、気だるそうで、およそ赤ちゃんらしくない大人びた目をしている。

それでも濡れた髪を綺麗に拭い、乾かしてやると、前髪をパッツンとして可愛らしい。

ん!?、何処かでみた顔だなと思っていたら、「なんか、私に似てるかも」と妻が言う。

なる程、そういえば、まだ出会って間もない大学時代の妻の顔が、少し気だるそうに僕らを眺めていた。

思わぬ再会に際して、娘を持つ父の喜びというモノが、今、少しだけわかった気がする。
随分と久しぶりに新入社員がやって来た。半日程の営業同行の機会に感じた感触は、一言で言えば「爽やか」だった。

いやいや、なかなか頑張って気配りしてる姿は健気だし、優秀さも垣間見られる。気の毒な程厳しい競争から勝ち抜いて来たんだからね。そりゃそうだ。

ゆとり世代とか悟り世代とか……僕らはどうもカテゴライズしてモノを理解しようとする。

玉と石がごちゃまぜの世の中だから、解かり易い箱が無いと困るからね。しかも最近は、玉石だけでなく、飴ちゃんとかガジェットとか、もしかすると宝珠とか、UMAとかまで混ざってそうで、僕らの理解を超えてくる。

だから、カテゴリーにハメないと怖くてかなわない。「そう、車とか興味無いのか……」とどっかのやさしいメディアが用意してくれた箱が見つかって安心する。

僕らの時は「ロストジェネレーション」とか言われた(後付だった?)けれど、すっかり、シットリ世間に混じってしまって、大きな箱の隅っこでヌクヌクしてる。

箱の外は、想定外って怖い。 


ガンバレ新人!どうか僕らのちっぽけな箱なんか突き破っておくれ。(他力本願)


そんな新人達によって時代が変わるかも知れないと感じながら、真逆の古い話しを思い出す。僕が社会人一年生の時の事を……

新卒で入社したのは中小企業だけど、ソレなりの業歴でシッカリとした基盤のある会社だった。そこでの営業職として諸々の経験を積んだんだけれど、正に新人時代に実直な上司の言葉が、

「お前に 無駄な 仕事は 無い」

まあ、新人だから、デリバリーとかで一日が終わったりする様なゆる~い仕事がある。

確かに大切な仕事だけど、効率とか費用対効果とかは、無能な新人とはいえ、貧乏性の僕としては気になるところ。

そんな僕への一言だった。

浅はかな僕は「はぁ」と頷いてはみるけれど(なにを仰るウサギさん)位に捉えていたと思う。

でも、今、この言葉を噛みしめている。新人に無駄打ちなんて無い。

お局様の落っことしたボールペンを膝付いて拾ったらいい。エライさんとランチを一緒して、愛想笑いでクタクタになったらいい。得意先を怒らせて上司と謝りに行けばいい。

海岸で肩並べ明日に向かって石投げ♪って、そんなお馬鹿な事もやってみたらいいと思う。

何が、どんな所にキイてくるか解らない。結果、全て徒労になるかも知れない。

けれど、バタフライ・エフェクトみたいに、小さな蝶の羽ばたきが嵐を巻き起こすかも……無駄だと思う事が、実は後キイてくるかも知れない。

このブログだって、蚊の羽ばたき位のささやかさでも、ひょっとしたら、世界の裏側のセクシーな美女のスカートをハラリとめくるかもしれない。

そう思うと少しモチベーションがあがる。


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万能薬と期待してた2週間のACTH治療の効果は、残念ながら見られ無かった。

でも、娘と僕らの頑張りが、いつか、何処かで、何かにキイていてくるかも知れない。娘は、まだ障害の新入社員みたいなもんだからね。

「お前に 無駄な 仕事は 無い」とあの時言われた言葉を噛み締め、すがりついてみようと思う。






娘の病室からは外を眺めてみると、大阪城の姿がビルのすき間からポツリと浮かび出ていて、新旧のコントラストがなんだか妙な趣きなんだけど、まあ、悪くない景色だ。

春真っ盛りの今日この頃、ここは桜の名所が近くにあってか、外はなんだか華やかなんだけど、週末は生憎の天気だったから、せっかくのお花見シーズンがこのまま雨で流れてしまうかもね。


今回は定期の異動にしては早すぎるタイミングだったけど、会社からの辞令で四国の街には僅か1年で去ることとなり、昔馴染みの関西に移り住む事になった。


それは、娘の障害とか、個人的な要望とかがダイレクトに招いての今回の沙汰な訳ではなく、実際は色々な要因による結果なんだけど、

それでも、日頃話さない役員なんかと面談があったのだから、ウチの娘が引き寄せた状況であるとも言える。

不思議な事に、彼女は産まれて間もないのに、周りの人や状況をちょっとビックリする位に巻き込んでゆく。良くも悪くも。所謂、引きの強さを見せてくれる。

悪いのなんか、うっちゃっておけばイイのに、そうもイカないみたいだね。良くも悪くも。

その辺の話しは長くなるから、またの機会に書くとして、


とにかく、僕ら家族は今、大阪市立総合医療センターというデッカイ病院の、ちっさい子供達ばかりが集う小児病棟にいる。


バタバタの引っ越しの最中、最初の仕事となったのはこの病院への転院と、即入院だとかの段取りだったのだけれど、ひとまず、ヤレヤレだ。

まあ、先は永くて、まだようやくスタートラインに立った言った所だろうけどね。



ここ迄来るのに、僕は膨大な期末の仕事量の捌きと引き継ぎに集中していた。

とても良くしてくれた香川大学医学部付属病院の先生も、紹介状をキッチリ書いてくれた。

僕ら夫婦の親も総動員で引っ越しの準備に駆けつけてくれ、手伝ってくれた。

ただ、その間にも娘のてんかんは悪化が進み、もうお馴染みになってきた点頭てんかんだけでなく、もっと強い奴が出てきていた。

顔がピクピクとなり、悲鳴の様な泣き声を発する。とても辛そうな癲癇。

頼みのお薬セレニカRも限界まで量を増やすのだけれど、イマイチ効果がなく、ビタミン剤も駄目だった。

やれることは、娘のてんかんの度に抱きかかえてやるのと、ミルクをシッカリやる事だけ……僕が一足先に大阪でホテル住いとなっていた際に


「ハユルのてんかんが酷いの、帰って来れない?」と電話口から泣き言の妻には少し驚いた。更に、ぎっくり腰気味ので動けないと言う!

妻は割りとバランス感覚のある人だから、新天地の引き継ぎ中、仕事を置いて戻って来いなんて言うはずがない。普通の状況なら……まして、今は実の両親も一緒に付いている。

「なんとか、凌げない?」と少し話してもピリッとしない。一人じゃないだろ?

「シッカリしろ」と叱責したら妻は「だって、抱っこも満足に出来ないのよ」と泣いた……


間の悪い事で、妻の腰はだいぶ良くない。義理のお母さんも参っているようだし、娘は、四六時中てんかんを起こしている。

けれど、僕は大阪から動けず、家族は香川で起こってるトラブルに右往左往している。立派な橋があるけれど、それでも海の向こうは遠い遠い。

……皆が限界に近かったのだと思う。


リングの上でグロッキー気味の妻はボロボロだろうが戦線残ってもらうけど、少し線の細いベビーフェイスな義理両親にはタッチ交代で一旦インターバル。で、登場願ったのは、僕の母と妹のヒールなコンビ。


個々は弱い僕らだから、一族総出のチームでなら長州にだって、蝶野にだって立ち向かえるはず!

勝敗は別にして、まあまあの出来だったんじゃないかな?

そして、引っ越しのその日、3月20日に、娘は即入院となった。娘の異常に気づき、初動から二ヶ月たっていた。

入院については、病院の都合で本当はもう少し先の、転入の届けとかが済んだ後の予定だったのだけれど、妻が病院に直談判して、この引っ越し当日に予定をねじ込んだ。

腰も回復して、いつもの図々しい妻が戻ってきたので、良い仕事をしてくれた。


これでとりあえず、最初の山は超えたかな?と思った瞬間だった。


そんなグラグラ、ヘロヘロの僕ら家族がなんとか正気を取り戻し出したら、何故だか娘のてんかんも少しマシになった様に感じる。

あの、キツイてんかんが余り見られない!?

小さい娘ながらも、ピリピリの空気とか、家族のピンチとか、感じるのかもしれないね。

そして、4月3日。僕の誕生日の次の日、娘のACTH治療が開始された。



3
「はい、大きく息を吸って♪」体操のお姉さんが会心の笑顔で僕に言う。

「吐いて~更に大きく息を吸うよ」

「もっと、もっと吸って♪」

「そう、もっともっと……」

「まだまだイケるでしょ!?」


……いやいや、無理ですって。

ここ最近に起こった出来事を思い返すだけで目が回りそうだけど……兎に角、事は運び出し、新しい春を迎える。

僕は自身をザルの様であるけれど、器としてはソレなりのキャパを備えていると思ってた。平凡な器だけど、長年使い込んでるからね、側面のヒビやシミも承知してるし、底に溜まったオリだって解ってる。

それ程悪くない器なんだけど、思ったりも小さいみたいだ……縮んだんかな?


先日、スタジオジブリの“かぐや姫の物語”が放送されてたので録画して鑑賞した。僕の妻が冒頭のシーンを観るのが辛かったと話した。

本題のかぐや姫の葛藤とかで無く、スルッと流してる冒頭部分、赤子から幼児期の微笑ましいシーンが辛いと言うのだ。

観てみると、嗚呼、なる程と納得した。

「這えば立て、立てば歩めの親心」
物語りのかぐや姫は驚く程の早さで成長する。竹の子みたいに。

手書き風の綺麗なアニメで世界はデフォルメされているけど、かぐや姫の幼い頃とか、動きとか、所々の描写がリアルすぎるのよ……

ウチの娘の点頭てんかんは日毎に増えている。お薬も一緒に増えている。

身体の成長はいい調子。身長、体重、頭囲も成長曲線の真ん中にいる。

でも最近、表情が無くなり出して元気が無い。座りだしてた首が柔かくなった。


お話し巻き巻きでグングン成長するかぐや姫のアニメ的な描写を観ただけで「辛いと」か言ってたら、キリがないんだけどね。

……例えば、街中で小さな女の子を見かける。ママと手を繋ぎヨチヨチ歩いてる。キャッキャッとお歌を歌ってる。そしてコロコロと笑ってる。

そんな微笑ましい姿に出くわした僕は、三つ位の感情が波状攻撃でやって来る。釣られて口角がニッとあがる。胃がキリッとする。それからサッと目を背ける。

妬み嫉みの感情ってのは、可成り厄介な代物だね。なかなか強い輩で、周りの優しいお友達を蹴散らしてしまう。

でも、長い付き合いになるお友達をなんだし、シカトなんて出来ない。仕方が無いので「端っこに寄ってろ」と言ってやるのが精一杯。

だから僕は、妻の言った“かぐや姫の物語”の感想に、そんなじゃダメダメといい子ぶらず「そうやね」とニッとしながら同調した。




















事を先延ばしにしていると、突然やって来る事態に、慌てふためいて、そんでもってのっぴきならない状況にハマってしまう…。まあ、よくある話しだね。

年明けからバタバタとイッテしまう1月も過ぎ、2月がニゲたそうという今日この頃、

日頃の不摂生と、チョットばかり重たいストレスのせいかな?かつて経験した、あの魔女の一撃をまたもや受けてしまった。

そう、ぎっくり腰だ。

ウチの中でちょっと布団を跨いだだけで腰が“ピキッ”って言った。

「あれ?」と思いつつ、ソロリと動いて暫く安静にしていたら、収まったのでヤレヤレだったのたけれど、、、

僕には一つ心掛けている事が有って、ソレは“休み明け”とか“飲み会の翌日”とかは休まない事。そして絶対に遅刻しない事。割りと神経質に気をつけてる。

だから、月曜日はいつもより早く起きる。でも、その日は起き上がれない!

腰が動かない。

仕方が無いので会社に連絡。お休みを取つけ、奥様が産後の骨盤矯正に通う接骨院へ、要介護状態で向かう。

で、診てもらうと、なんかいろいろ歪んでるやん。早速、応急処置して頂き、なんとかソロソロと歩ける様にまで持っていってくれた。


ここ最近、身も心もクタクタになってたから、今日のとこは安めって事かな?……とか考えてると、大嫌いな“自分へのご褒美”という言葉が頭に浮かんくる。

なぜか“自分へのご褒美”ってのは嫌らしい響きと、生臭い匂いがする。

でも、ご褒美は大好物だから、甘んじて受けるけどね。


そんな訳で、痛みも和らいで、堂々サボれるして、ルンルンな平日のしかも、週明けのお休みだっんだけど、何か頭痛が残ってる。

嗚呼、僕はメンタル弱いんかな……なんて思ったりして、もう少しご褒美が足らんかな等と思っていると、痛みが降りて来てるようだ。

いや、最初からわかっていたけどね。歯がいたいのねん……

最後の親知らずがむし歯となって、「治療は難しいから、そのうち抜歯して下さいね」と先生も匙を投げてた、奴さんか暴れだしてる。そういや、年末年始も自己主張してたな、親不知。

嫌々ながら、歯医者へ予約を取り覚悟を決めた夕飯時、ビールが身にしみる。

あれ、何かシミすぎる。オヤシラズ

子供等にも寝かして、歯を磨くけど、痛みが増してくる。ヤバイかも……

ウンウン唸ってる僕に、ウチの良妻賢母さまがネットを調べて言ってくれる。

「夜間急患用の歯医者があるみたいやけど、行った方がよくない?」

でも、だってしてる僕に、

「そんなんで、寝れるの?」

そして、僕は夜間にホッペを擦り、腰を庇いながらソロソロと歩き、車に乗せられる。本日2度目の要介護状態。

同行した小さな娘が、眠そうにチラリとコッチを見たけれど、彼女は優しいからか、何もいわなかった。












「先生、この娘はアイカルディですか?」 僕の妻はいつだってストレートにモノを言う。

「……よく勉強してるんですね。……そうですね。その可能性がありますね。」入院中の娘を回診にやって来た先生もいきなりの質問に不意をつかれただろう。


そんなやり取りがあったんだよと、仕事中に電話してくる妻は、何だかテレビで観た事のあるモンスターペイシェントみたいで
困った人だと思った。素人判断でモノを言っちゃいけない。ネットて見知った事なんてあくまで、参考に止めとかないと……

まあ、とはいえ、別に行義の良い患者にならなくても別にいいか!と思い直した。

で、先生から今日にでも面談の時間を設けたいとの申し入れがあった。多少、遅い、時間になっても構わないとのこと。

なるべく仕事をなるべく早く片付け、病院へ向かう。


2回目の担当医との面談。前回と同じ部屋へ通される。つい先日の事だけど、嫌な空気が近づいてくる気配まで同じ空間だ。

それでも、今回は身構える事が出来る。一度もらったパンチの痛みはよく覚えてる。次は耐れる。・・・・・・と思う。


診断の結果は、“アイカルディ症候群”

代表的な症例である左右の脳を繋ぐ橋である脳梁がない。“今回の受診のきっかけとなった例のてんかんが確認された。

そして目のトラブルについては、もう少し検査が必要だけど、網膜の萎縮とかが見られ、視力はあるがおそらく弱視と事。

その他、
脳の真ん中にデッカイ水たまりがある。MRI画像からみて右側の脳に不規則な突出があり左右のが綺麗に分かれてない。シワも奇形がある。

娘に表れてるてんかんは、沢山の要因のどれかが悪さして、来てるようだ。

しかしまあ、よくこの状態で普通の赤ちゃんと同じく、おっぱい飲んで、ねんねして、抱っこして、おんぶして、りっぱなウンチもする。身体は強いかもね。


担当の先生の話しでは、(年齢的にもそろそろベテランの粋?)自身も初めて見る症例だとの事。さらに脳外科の先生とも連携をとっていただいたおり、他の大学病院で経験のある先生と情報交換中であるとの経過報告も頂いた。


「世界でも500例ほど、国内では100例にも満たない症例の様です。」
先生の言葉に、僕ら夫婦はどう受け止めていいのか解らなかった。打つ手がないって事?


相変わらず、何の解決もない今回の面談だったけど、僕は割と冷静に話を聞けた。
それは、付け焼刃の予習の結果もあるけれど、沢山検査をして、ロクでもない結果ばかりのなか、ひとつだけクリアしたものがあったからかも。

「聴力は問題ないですね」

つまり、僕らの声は、聞こえているって事!

それに、弱視いかも知れないけど、ひょっとしたら光を感じる程度かもしれないけど、見えているはず。


まずは、それだけでも感謝した。それから、これからの事を少し考えることが出来た。

だから、今回は質問と要望したことは、これからの事について。


「僕ら夫婦には二人の息子がいます。同じく子供をもった姉妹もいます。・・・・・遺伝的な疾病なら次の世代とかで影響はないのですか?」
先生はその可能性は低いと答えながら、まだ解明されていないとの説明。

ついでに、染色体と遺伝子の違いも理解していない僕に“染色体は本棚、遺伝子は本”の例えで解りやすく説明したくれた。


そして今日の本題
「妻が正直参ってます。義理両親が来てるので、上の子供達も含め当面の心配はないけれど、出来れば退院し、通院で診てもらえないでしょうか?」
これについても先生は前向きに検討していただける様で、残りいくつかの検査を急ピッチで進め、週末には退院出来る様約束してくれた。

この数日で、妻は体重を4kg落としていた。出産の大分前からチョイとばかり体重オーバー気味だったから、ココが人生最後のボーナスステージとばかりに「産後はダイエットするぞ」と意気込んでいたのだけれど……

こんな形での体重減は不本意だろうな。

でもね、正直に告白すると、妻は女っぷりはあがった。不謹慎かも知れないけれど、そう思う。





だれでも理由を知りたがる。なぜ?どうして?ってのは気持ち悪い状況で、それをスッキリさせたいのだと思う。たとえ算数が嫌いでも方程式の答えが正しく整うと、うれしいものだ。

娘に起こった障害について、僕は驚き、悲しみ、落胆した。そして立ち止まってしまった。

何か問題にぶち当たると、改善策を探ってみて、それからとりあえず動いてみて、するとどうにか成ったり、或いは何とも成らなかったり。……結局、もう一回一からやり直す事もあれば、もういいやと諦めると言った具合だ。誰に教わるでなく、PDCAサイクルみたいな事は、そのアプローチ方法は様々だとしても、誰だってやってるのだと思う。

でも、今回はプランの段階で頭の中が行ったり来たりでしたままだ。大きな絶望と少しばかりの希望で目の前がチカチカする。辻褄の合わない原因と不条理な運命論がガチャガチャと鳴る。それから、散々行ったり来たりした後は、やたらと疲れる。

休み明けの会社の仕事は山積みなんだけど、一旦切り上げての帰宅途中に書店へ寄った。そこで、先日の担当医との面談後にネットで調べたある可能性について調べてみようと思ったからだ。


・・・・・・・・


「ちょっと、このサイトをみて」
先日のMRI後に見た娘の頭の中で起こっている事態について、僕なりに必死で理解しようとグーグル先生に質問攻めにしている際にみつけたサイトのリンクを妻にLINEで送った。

「……もうみたくない。」
一読後に妻は言った。正直ここ数日での彼女の消耗は激しい。僕は少し軽率だったなと思った。

僕らは夫婦は今回の事でずいぶん話し合った。家のリビングでの会話はそれ程深刻ではなかったけど、妻の入院中にはLINEでの会話は身を切るような言葉が並んだ。

「そうやな、犯人捜しはやめよって言ったのはこっちやったな」
そういってネット検索を止めたのだけれど、そこのサイトの症状については、娘と当てはまる事が多くて頭にこびり付いていた……アイカルディ症候群……


・・・・・・

会社の近くに某大型書店の本店があり、それ程の規模ではないのだけれど、医療系の専門書コーナーがあった。そのフロアは閉店前の遅い時間という事もあるけど、客は僕一人だった。

小児、脳、てんかん……ネット検索と同じ様にゴッツイ医学書を立ち読みする。どれも高くて買えそうにない。それでも、探していた“アイカルディ症候群”の記述はごくわずかで、あまりにも情報がない。以下僕が書店とネット検索により知った事はというと、、、

~概要~
1965年にAicardiらにより初めて報告された。脳梁欠損、点頭てんかん、網脈絡膜症を三主徴とする先天性奇形症候群。様々な種類の脳奇形、難治性痙攣、重度の精神発達遅滞を呈し、本疾患の本態は神経発生異常と考えられている。稀な疾患であり、原因も不明であるため治療法も確立されていない。

→娘は脳梁欠損と点頭てんかんで該当。その他網膜、脳奇形あり。

~症状~
脳梁欠損、点頭てんかん、網脈絡膜症(Lacunae)を三主徴とする。痙攣発作は生直後から3カ月頃までに発症することが多く、全例に出現し、難治性である。

 →けいれんは2か月前から。

~治療~
アイカルディ症候群は遺伝子疾患であるため、現時点では治癒はできません。最もよく行われる治療法は、この病気によるけいれんやてんかんをコントロールすることです。アイカルディ症候群に通常伴う精神遅滞に子供と親が対処できるよう支援するプログラムもあります。子供がこの病気である場合、医師は長期的な管理のために小児神経科医を紹介してくれます。  

~今後の見通し~。
アイカルディ症候群の子供は小児期に死亡する率が高く、予後(見通し)は症状の重症度に大きく左右されます。この症候群の子供のほぼ全員が、軽度から重度のある種の精神遅滞を伴っています。アイカルディ症候群の子供では、自力で話したり歩いたりできる子も、歩くのに助けが必要な子もいます。自力では全く生きられず一生介護者が必要な人がほとんどです。

 →この項目に妻が打ちのめされた。


・・・・・・・・

帰宅が遅くなり、この日は病院へは寄れず。義理の両親には調べた病状について話す事ができなかった。

ただ、放置していたブログを書いてみようと思いたった。
今回の娘に現れた不気味な“てんかん”騒ぎで、事は転げ落ちる様に展開していった。これからどうなるのか……

将来の事は誰も何も分からないけど、ともかく週明けからの生活をなんとかしなければいけない。これからしばらく娘の付添で妻は入院生活となる。そんな僕ら家族のピンチに義理両親が駆けつけてくれた。

とても有り難く思ったのと同時に、僕ら家族は夫婦の両輪で走ってる事を再確認した。自転車で走ってるみたいなもんだ。勿論、片輪では走れない。一輪車に乗るには僕には不器用すぎるから。

やれやれ、わりと凸凹道でもなんとか順調に走ってるなって思ってたんだけど……自転車って動きが止まったら、当然コケテる。明日からの子供の学校の準備なんかをしながら、義理両親と兄弟で約束事を確認する。補助輪のお陰で、とりあえずはなんとかやれそうだ。

お爺ちゃんお婆ちゃん好きの子供らは少し興奮気味の週末だったから、早々に休ませた。
義理両親と少し話した。娘の障害についてはまだ解らない事だらけで、話せる事は限られてるけど、一つだけ僕に起こった変化を義理母も感じていた事に驚いた。

……怒りの感情が消えてしまった事。

僕は息子らの育児……いやもう教育かな?に対して結構叱る。それから自分の考えとか信条とかを叩き込んきた。良いとか、悪いとか、好きとか、嫌いとかを、しばしば感情に乗っけて叱る。多少は理不尽事があったかも知れないけど、それも含めて息子らに伝えたいという事をゴリゴリ押してきた。

だけど、今回件で僕は子供らを怒れなくなっていた。

例えば、ゲームの時間を守らなくても、弟が兄に暴言を吐いても、兄が部屋が散らかったままでも……ネグレクト?

いや、関心は消えてない。怒りだけが抜け落ちてる感じ。だから、なにをされても「そうなんか、へえ」で終わる。「じゃあ、これやっときや」でなんとかなる。

義理母は同居の実母、妻のお婆ちゃんと義理父の折り合いが悪くていつもいつも板挟みさんだけど、今回の件で同じように怒りが消えたらしい。

そんな話をしていると、なんだか少しだけマトモな明日を迎える事が出来そうな気がした。
二日酔いってのは、いつも大抵、悪酔なんだけど、今朝は前日にけっこう飲んだと思うのだけれど、二日酔いはたいした事なかった。

たぶん、体感的にはいつも通りのアルコールの血中濃度……つまり、週末に調子に乗って呑みすぎて、翌朝に気持ち悪いわ、頭痛いわと無駄な後悔するパターンと同じくらいのレベルのはず。

でも、なんだか昨晩は酔えなかったし、二日酔いにすら敬遠された。

いい事なんだけど、古くからの友人につれなくされたみたいで、二日酔とは違った意味はで、気分はすこぶる悪かった。


・・・・・・


昨日の夜、医師からの面談で叩きのめされた僕ら夫婦の最初の壁は、上の子供ら、兄弟への報告という仕事だった。その日は子供らをずっと待たせていた。

小児病棟から離れた待合スペースは飲食可能で割と広い。

けれど、小学校3年生と1年生の坊主を二人で夕餉時の3時間も放置していて良い訳はない。

二人は引っ付きもっつきでDSで遊んでた。長い時間ゲームをする姿にはいつも忌々しい感情しかわかないのだけれど、このときばかりはゲームメーカーとまんまと思惑にはまった息子らに感謝した。

僕は、そんな子供らの姿を見て直ぐに駆けつけ……られなかった。小さなゲーム機に目を向けたままでこちらに気づかない二人を置いて、「先に、何か食べるモノを調達してこようか」妻をうながした。正直に言うと、そこから逃げてしまいたかった。

病院のコンビニで子供等におにぎりを買った。妻は何も手に取らなかった。僕も同じ気分なんだけど、とりあえず、コーヒーゼリーを2つ買った。

夫婦してトボトボ歩き、妻は時々立ち止まり、また重い足を運びながら、娘の病室へ。それから彼女をベビーカーに寝かせてもう一度兄弟元へ向かった。

「遅いよ、パパ」とまだゲームをしたまま長男が言う。次男もまだゲームに夢中。

家族揃って晩ごはんを食べた。子供らのおにぎりを分けて、父はコーヒーゼリーを開ける。母は泣いている。それから父が赤ちゃん、生れたばかりの妹のピンチを話す。

「みんな心配してたハユルの病気について、先生からお話しがあったんだよ……どうも、あの子はママのお腹の中で大きな怪我をしてきたらしい。頭の奥、脳に沢山悪あい所があった。」

子供らの反応は静かだった。

「まだ、詳しい事はわからない。先生も分からないって言ってた。ただ、お怪我が大事な脳にあるから、これから心配事が出てると思う。」

長男がようやく雰囲気にやられて愚図りだす。

母が言う「はーたんは、ひょっとしたらずっと歩けないかも知れないの、話も出来ないかも知れないの……」

「お兄ちゃん二人だから、それぞれ何て呼んでもらおうかって話してたのに……できないかも……」子供らの前で妻は泣いている。

最後に父から、二人には僕ら家族で小さい妹さんを守ってやろうとお願いをし、それから兄弟にはそのせいで不自由や、不便を掛けることになるかも知れないの事を詫びた。

この日二回目の嗚咽。子ども達の前だから、って我慢したけど、駄目だった。


・・・


そんな僕らの世界がひっくり返った昨晩の事を思い出すと、身がすくみ、頭がキンキンした。それでも息子らに朝ごはんを食べさせて、病院へ行かなければ。それに土曜日は剣道の稽古がある。

何かしらやる事があるは良かった。しんどいけど。

妻と娘との待つ病院へ向かい、土日を家で過ごす。家に帰ってくるのに、外泊とはコレ如何に……

最初に処方薬されたお薬、テグレトールはセレニカRに変わっていた。

娘の点頭てんかんは寧ろ多く、時々強くなっている様だった。






ここんところ、仕事に身が入らず、週末ではあるけれど午後休を取得することにした。
妻と娘は入院で、上の兄弟の世話する手がない。それに、昨日のMRIの結果報告があるのだから、致し方ない。

お昼に一時帰宅した妻と合流して入院の段取りやら、家の事やらをチャッチャと済ます。
妻は昨晩入れなかったというお風呂に入る。そういえばずっとスッピンのままだ。

自慢ではないけど、家の妻は化粧が上手だ。スッピンで外出する事は見たことがない。
まあ、うちの中ではツルツルテンテンだから見慣れているけど、お昼すぎまでダラダラしていて、ようやく夕方のスーパーへ買い物に行くって日でも化粧してるお方だ。

学生の頃から14年の結婚生活でもそれは変わらない彼女のこだわりなんだと思う。

けれど、昨日の入院でメイクセットを忘れた行き、スッピンのまま病院へ向かってる。
色々と大変は事態なんだけど、正直僕にはソコが衝撃だった。


……

病院に妻を送り届け、僕は一人帰宅。それから兄弟の学校帰りを待つ。

こんな日に限って次男の帰りが遅い!
なんでも居残りで勉強させられてた?様子でヤレヤレだ。

子供らには宿題と、おやつと、たっぷり充電したDSを持たせて3人で病院へ向かう。
小児科病棟は目下インフルエンザが大流行で就学児童は立ち入り禁止なので、離れの休憩室で放牧しなければいけない。

……

病室の娘は手の甲に点滴針が刺されてる。そこは板で固定しぐるぐる巻きにされてる。
かわいそうな姿なんだけど、違和感からか?縛られた腕をブンブンと振る。

そう、その装備のせいで彼女の攻撃力は上がってる訳で、「かわいそうに」と頬ずりなんかしようものならカウンターを食らう。

妻の顔にちょっとして傷があったから間違いない。……鬼に金棒!


そんな感じで、娘には少し例の発作も出てるのだけれけど、僕ら夫婦は努めて明るく振舞っていた。

「きっと大丈夫。ここまでとてもスムーズに来れた。早く対処できた良かった」


そして、担当医から野、面談となる。

……

小さな部屋に通された。テーブルにPC一つ、椅子は4つ程。
MRIの画像と所見が記されたモニターが写し出される。
脳の映像、脳外科からの所見、やたらと項目が多い。

……先生が神妙は顔で話出す。何を言ってるのか解らない。

僕は白痴になったのか?

なんだろう、脳の真ん中に水泡がある?
どうして、梁が掛かってない?
へんだな、左右の境界線がゆがんでる?

……先生は少し早口で話続ける。

ちょっとまって先生。ついてけないよ。
妻が泣き出す。僕は手が震えてる。


一通り話を聞いいてから、白痴の僕は、一項目毎に僕の言葉で質問する。

「つまり、無くていいモノが有って、有るべきモノが無い。さらに形態にいびつな所もある。この理解でいいのですか?」

先生はその理解でいいと答える。
それから僕らが疑ってたwest症候群の話をする。
そして一貫して断定的な表現を避ける。

いや、それどころの騒ぎではないと感じつつ、まだ白痴の僕は頭の中で考えがアッチコッチと彷徨い続ける。

「この子は歩けるようになりますか?話せるようになりますか?」妻が涙をボロボロながし声を震わせながら質問する。

当然、先生は明言しない。

「そうしてこんな事になったんでしょうか?薬とかの影響でしょうか?それとも……」

妻が聞いた。いけないと思ったので僕は少しだけ話す事にした。

「犯人捜しはやめよう。意味がない。」


「先生、トラブルが多すぎてとても理解できませんが、ある程度は解りました。そこで、僕からのお願いとして……」

素人感覚での単純な思いつにすぎなかった。でも話さずにはいられなかった。

「無いものは作れないのはわかります。形状の異常もこね直す事もできないでしょう……でもいらないモノは取り除いてやりたい。脳だって成長するかの知れないでしょ?」

「だから、可能性のあることは、……なんでも…受け入れ…ますか…ら、リスク承…知でト…ライさせて…ください。お願いします。」

僕は、とうさんが死んだ時以来、嗚咽していた。