高校生受験の第一志望の合格発表日、あんなに頑張ってのだけれど、不器用な彼の切実な想いは届かなかった……

 

残酷にもその日、つまり合格発表日の午後には、既に獲得していた私立の入学手続きを済まさねばならず、どんよりした空気の電車で、もう中3でデカくなったナリで、恥ずかしげもなくワンワン泣いたとさ……(奥様談)

 

「大学入試で絶対に見返してるやる」って負け犬の遠吠えは虚しく、私達にはかける言葉も少なく、嫌な体験でした。

 

私は田舎育ちの無教養ですから、移り住んだ大阪の高校受験事情なぞ知らずに生きてきました。

 

自分がしてこなかった事を子に強要する事はできませんから、たいしたアドバイスなんかできません。

 

ただ、仕事の進捗を詰めるのと同じ感覚で、テストの結果を眺めてあーだこーだー言うのが精々。勉強の中身なんて知ったこっちゃありません。

 

なんでも試金石として投げ込まれる長男の宿命でして、バカ正直なところもある彼なので、良いも悪いも、こちらの言葉を素直に聞いて、遅い足でも走った走った。

 

中学生活での彼は、以前書きましたがよく頑張ってました。

 

中学生の学習塾事情 | オメラスより歩み去れない人へ (ameblo.jp)

 

 

 

でも、高校受験は第一志望であった、大阪府公立高トップ10校の「文理学科」ってやつに落ちました。ちょっとした憧れと思入れもあり、本人はややリスクを承知のトライでしたが、仕方ないのですが、それでも大変ショックを受けてました。

 

まあ、本人の力不足もあったのですが、ここに告白しますが、半分は親の力量不足でした。

この受験に必要はのは、事前に練られた戦略……これが我々夫婦は全くなってないダメ監督でした。

 

そして、気合と努力ではなく、関西では知名度ナンバーワン、馬のマークの某大手塾に代表される、対文理系のノウハウといった戦術も欠けていました。

 

悪かったな、長男。

 

もうね、レ・ミゼラブルの I Dreamed a Dream ですね

 

私は夢見ていた 人生は変わるって
こんな地獄じゃなくて こんな惨めな日々じゃなくて
もう終わってしまったの 私が夢見た夢は

 

そして、現在、高校3年生

 

入学したのは大阪の私立男子校で、清?らかっ言うよりちょっとヤバい風?の高校。

 

キツイ校則(髪型指定、般若心境)、そしてJKが存在しない空間……本人、囚役3年と自虐的に言ってる学校です。しかも、なまじ入試時のテストの出来が良かったのか、なにやらしんどそうなクラスに編成されました為、阿保みたいなカリキュラムを組まれて、ヒーヒーやってました。

 

ただ、この学校の進学実績はガチでして、周りの天才たちにもまれて、置いていかれない様に頑張ってついていってました。

 

 

さて、中学時代と同じ過ちは犯すまいと、我々学のない夫婦は助っ人監督に頼るという選択を早々にします。 

 

一つは塾。私学ってのは土曜日もあるので、そして半ドンって死後なのね。

たまに日曜日に校外模試をぶち込まれて、休みなしの日々なんかもありましたね。

 

授業の進度が半端なく、学習量は学校だけで多分十分とのこと(学校曰く塾なぞいらぬ)。

ただ、我々には情報が必要だった。きちんとした戦略に基づく、正しい進捗管理お大切さを身をもって思い知らされたからね。

 

そんで、頼ったのは塾。それも欲しいのはノウハウ。あとモチベーションの維持。

塾選びは長男と一緒にいくつか回りましました。で、最終、ビリギャルで有名なあの塾で現在お世話になっています。

 

次は、私学の担任の先生から卒業生を紹介してもらいました。(すごいね私立)一人目は京大生!残念ながら彼は忙しくなってしまい、交代。

で、二人目の医学生!が週1でみてくれてます。直依頼なので少しは相場よりお安くなってるかな?

 

そうですね、地獄の沙汰も、ゼニとコネですね。

 

ここまでやるには理由があります。もう、何度か書いてるかもですが、彼は医学部志望になのです。

 

古くは幼稚園、将来のなりたいのは?ってのに「びよーいんのひと」とか言ってました。ほうほうカリスマ美容師か?とおもいきや、後日、病院の人だと判明します。

 

まだガキンチョの頃に連れられてたホーブアンドウイッシュの旅先では、地元のFMにて「将来の夢は医者です」とビックマウスを炸裂して、笑いを取ってました。

 

中学の文集にも書いてましたね、「医者になる、もっと勉強せねば」と、汚い字で。

 

割りと年季がはいってますね。この夢は。

 

ただ、そこに実力が伴っていれば良いのですが、彼の能力は、誰に似たのか至ってノーマルな地頭。

 

クラスでいたでしょ?1人か2人頭のいい子、いつも成績トップクラス、スマートな天才タイプや、努力家の秀才タイプ。

 

そんな子にいつも「ぐぬぬ」ってなってるモブキャラもいるでしょ、そうですね、そんな立ち位置ですね。ウチの長男。平均は超えてるかもしれんけど、トップクラスとの壁を超えられない、そんなタイプ………

 

医学部を志す学生のレベルは、ちょっと凡人からは想像を絶する茨の道。野球少年が甲子園に行けるか?音楽好きが武道館でライブできるか?僕らがアイドルと付き合えるか?

 

もうね、無理なんです。言うのも恥ずかしいです。

 

でもね、彼はまだ諦めてないのです。判定はいつだってD判定です。志望校は妥協してもそれなりに上位私学とか狙えるかもです。地方国立なら財布も優しく親孝行です。

 

でもね、やるんだそうです。医学部受験。

 

「勉強を続けるモチベーションってのは何なん?」

 

先日、たまの帰省時、長男に聞いてみました。

高校受験を失敗したあの時から、彼を支えていたのは負けん気?不当な判定の怒り?見栄?はたまた重度障害であるへの妹の想い?そんな返答を予想して。

 

「そこに高い壁が有るからやな」

 

彼は即答しました。そんな父の穿った心持ちの質問なぞ意を返さずに。

 

「……は、はぇー登山家かいな」

 

父にはそんな半端なツッコミを入れるのがせいぜいでした。

 

嗚呼そうか、もう奴は、僕を超えて行くのだな、いや越えられたか……不覚にもそう思いました。

 

医学部受験、先生なんかは反対するでしょう、友達も諌めるかな、ウチの両親なんかも冗談と思ってるでしょう。

 

でもよ、長男殿

私が世界で唯一、君の医学部合格を信じる。

 

これは私が世に与えられた役割なのだとさえ思う。

 

 

お前さんという矢を世に放つ、医者として

娘という矢は1人では無理だ、でも世がきっと助けてくれる。

 

……昔、感銘を受けたカリール・ジブランの 子供について の詩のとおりに

 

 

とても独りよがりな考え方だけど、僕の小さな世界は完結する。強く強くそう思う。

 

 

 

………あれれ、もう一本の矢は?

 

それはまた、次のお話しで。

奈良 東大寺の大仏を初めてこの目で見上げたのは、多分、小学生の社会見学だったと思う。関西に住む小学生の嗜み、京都と奈良♪

あれからウン十年……あの頃は、東大寺をパワースポットとか言う輩も居なかったし、今みたく外国人が大挙して観光にやってくる所ではなかったし、小洒落た茶店なんて多分、無かった。

昔のお土産屋さんには木製の通行手形とか例のペナントとか、如何にもなお饅頭が並んでた。

鹿だけは今も昔も変わらない。……はずなんだけど、「oh fantastic!marvellous!」とか言われ続けてる今の威風堂々たる鹿さんと比べると、あの頃はもっと素朴な感じだった。かもね?

ただ、それでもやっぱり、ウン十年前と少しも変わらないの東大寺の大仏の存在感に、幼い心をガシッと掴まれたのことを、おぼろげに覚えてる。


あれから色々あって、今、娘を乗せたバギーを押す僕らに、さっきまで一緒に食事して、雑談していたお坊さんにアテンドされながら、東大寺の大仏を、随分と久しぶりに参拝してきた。

小学生の歴史でも大きく取り上げられる国宝わんさかの東大寺。奈良県のランドマークに留まらず、世界遺産となった立派な、ちょっと敷居の高くなった東大寺。

……どうぞどうぞと先に進むバリヤフリーの道。大仏さんのおわす、一般拝観から隔てられ、ロープで封鎖してる先に招かれる。文字通りのお膝元まで階段を上がる。

何度かの火災を乗り越えたであろう奈良時代作の蓮の葉に直に触れる。冷たい銅の感触。大仏まで近い!

それから大仏のお膝元で説法とお経を聞く。アテンドしてくれる彼はまだ若いのに、結構偉いお坊さんだったのね……

そこでお焼香している自分と家族の姿を、重度障害の娘が何故か大仏に見上げてニコニコ笑ってる姿を、小学生の僕に想像出来たろうか?


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7/20土曜日は子供らの一学期終業式の翌日、つまりは夏休みの初日、僕ら家族は東大寺福祉医療病院主催の「奈良親子レスパイトハウス」にお招き頂いた。


「流しそうめんとか、美味しいごはん食べにおいで〜」っと軽い感じでお誘い頂いたので、ホイホイ乗っかって行きました。ご馳走を前に抵抗できる程の慎ましさは無いです、はい。

で、舌なめずりしながら向かった先は、東大寺にほど近い、かつて僧侶が暮らしていた庵をリフォームした、素敵な場所だった。

古い建物は、ほぼそのままで、決して広くはないけれど、中庭から日差しと風がぬけて、庭木には蝉の抜け殻があり、小さな菜園にはお野菜が実ってた。

嗚呼、しまった、まただ……と思った。

僕らを含む3家族を迎えてくれたのは、今回の会の主催者、医院長。娘の通う病院のドクターとナース。福祉関連のお世話人さん。地域のボランティアさん、学生さん。東大寺の僧侶……様々な所からとても沢山参加されてる。しかも後から知る事になるのだけれど、凄い面子。

やっぱりコレはガチの奴ですやん。

ちょっとお昼を呼ばれてきまっさ♪って、ホイホイついていったらアカン所やった……


流しそうめんに美味しい食事、有名所の柿の葉すし、老舗の奈良漬けもご協賛。なんだコレ?ってくらい美味しいお肉は地場の有名店から、これまた協賛。手の混んだお惣菜の数々は百戦錬磨のボランティアとなったお母さん達の腕の為せる技……東大寺のお坊さんと雑談しながら舌鼓。お上品な料理で本当に美味しい♪

子供らはスイカ割でキャッキャとはしゃいでる。幸せを絵に描いたような時間がゆったりと過ぎてゆく。

そう、僕ら家族はこの手の素敵なボランティア活動をいくつか享受している。ホントに有り難くて、もう言葉にならないくらいの感謝しながら、お返しをと思えど、僕の余生を全て費やしても足りないや……と半ば諦めてたりする。


「ホープアンドウィッシュ」という団体との出合いで、人生観を変えてしまう程衝撃を受けた。ボランティアってのが何なのか?理事長とのお話しで自分なりに考えの種をもらった。



その他にも、ユニバーサルスタジオジャパンにもご招待頂いた。入院中の病院ではJリーガーが慰安にやってきた。クリスマスには、医療機器メーカーなんかの協賛で、ゴージャスなプレゼントを頂いた……

そして、今回の「奈良親子レスパイト」で、かつて、「hope and wish」で感じた本物のボランティア……そこで芽吹いた答えが、少しだけ姿を見せて形を作りだしたと思う。

今回、医院長とのお話し出来たのも、幸運だった。

因みに、このお方は、娘の通う大阪市総合医療センターの小児神経内科の生みの親だった!今の主治医、部長先生とは……ああ、部下だったねって……レジェンド級の経歴やんか!

「ボランティアってのは、人それぞれに想いがあるからね、難しい面もあるのです」と楽しい会の中休みで、個人的にお話し出来る場を持てた際にお話し下さった。

「けれど、ボランティア側の我々が貰うモノがあるんですよ。……だからね、ウチのボランティアは会員登録頂いた方のみで運営してるんですよ、有償の会員ね♪」

……正直、驚きだった。お招き頂いた僕らは無償でレスパイトに招かれてる。休日返上の先生や、スタッフさん達、学生さんもいる……有償で会員登録してまでボランティアで汗をかく!?そんなんあり得る???

先生は笑って「それぞれに想いがあるからね、賛否あるよ。それでも良しと言う人達と楽しんでやってます」

嗚呼、また、やられたと思った。

ボランティアについて、誤解を恐れつつ、ちょっと飛躍して考えてみる。

まず、ボランティアは有志の活動であり、完全に任意。無償有償は関係無い。

クラブ活動と似てるかな……草野球やフットサル。休日や仕事上がりに皆と汗をかく〜楽しそう!

或いは趣味の活動……旅行やアウトドア。長期休暇を使って生活に潤いを〜心の糧に。

では、ボランティア活動となると……障害児の慰安、災害復旧の労働。〜無償の奉仕、崇高な精神、自己犠牲、偽善!?

なんでこうなるのか?そこにかけるエネルギーも、ひょっとしたらコスト面でもそれ程の差は無いと思う。娯楽要素が無いからか?

余暇をどうやって過ごすのは、とても個人的な趣味の範囲の話しだし、それが接待ゴルフだろうが、資格の勉強もあるだろう。ゲームやアニメにのめり込んだり、可愛い女の子とデートだっていいのだったら、自衛隊の1日体験で血反吐をはいても、それは個人的なトコロだろう。一概に、娯楽要素だけが余暇の過ごし方では無いはずだ。

ボランティアがやりたい、会費をお支払いしても参加したい……あるかもしれない。

「ボランティア側の我々が貰うモノがある……」だったら、ウチの娘は彼らの活きる糧なのか?それは恥ずべき事?哀れみの対象?

そうかも知れない。

舞台に立つ演者と観客の関係は?お笑いと俳優に貴賤の差はあるのか、観客は彼らの糧なのか?マネジメントだけが全てを巻き上げて笑うのか?モデルをキレイにメイクアップする裏方に喜びはないのか?

この考え方は違うかも知れない。


東大寺の大仏を拝観した日の夜、ふと湧いたイメージがある。ボランティアってこうゆう事なのかなって。

小さな森の中で、ちいさな女の子と、彼女の母親が遊んでる。
ちいさな女の子は、どんぐり探しに夢中だ。
大きなどんぐり、帽子をかぶったどんぐりなんかを沢山集めてる。楽しそうだ。
どんぐりを母に沢山あげるんだ、と汗だくになってる探してる。
母がどんぐりに喜んでくれるかな〜とワクワクしながら。
彼女の母親はただ、娘の遊ぶ姿を眺めてる。楽しそうに。見てるだけで満足。
「ママ〜どんぐり一杯!みて!」
母親の喜びは、両手一杯になったどんぐり自体に価値を見ない。食べたり出来ないし、虫食ってるから持って帰れない。
「ありがとう〜嬉しい!」ただ娘の遊ぶ姿に喜びを感じる。
二人共満足してお家に帰る。とても楽しそうに。

親子の日常に損得とか、善悪とか、当たり前だけど、関係ない。ただ女の子は楽しく遊んでたし、母親もそれだけで嬉しかったはずで、二人は幸せな時間を過ごして、ご機嫌だったと思う。

その空気はウチの留守番してる僕らにも伝染して、皆で今日1日をハッピーに締めくくる。めでたしめでたし♪


ボランティアには損得なく、貴賤なく、上下関係でもない。と思う。

与える側と受ける側、どっちが幸せなのか?
どんぐりの背比って事かな



次男が神妙につぶやく

「あれから……か……」

ん?何のことだか、ボソボソ言われてもわかんわい。とコチラもボヤいておりますと、

普段は、テレビ台の奥底にしまってある、籐の籠に入った愛犬メモリアルセットが取り出されているのに気付いた。

籠の中には有るのは、割と綺麗な紅白柄のリード、薄汚れたサッカーボールの玩具、水色のロープの玩具はカミカミの跡でほつれてる、

それから、小さな数珠と、白い可愛らしい柄の入ったペット様の骨壺。

そう、4月5日はうずらの命日だった……

我が家のマスコット、ウチの愛犬、うずらがお隠れになり、二年を迎えた。

享年は13才、生きてれば今頃15才。
ウチの長男がもうすぐ14才になるので、いよいよ子供がうずらの年齢を追い越してゆく。

犬猫年齢換算表なるモノがあって、みてみると、彼女の享年は71〜73才となる。

ん〜そういや、結構なおばあちゃんになってたのよね。

愛犬の命日を忘れない、けれどこの命日の二日前にあった父の誕生日はすっ飛ばしてしまう、優しいのか?薄情なのか?よくわからん次男のおかげて、色々思い出してきた。

供養と思って、ちょっとだけ書いてみる。


食欲の塊で、まるでご飯を飲み物みたいにがっついて、もっとクレクレしていたのに、

晩年は優雅に優雅に食事を楽しみ、けれども若い頃と変わらない立派なウンをひり出してた。

元々、散歩には執着しないタイプだったけど、やっぱりお出かけは好きで、いつだって遠足前の子供みたいにはしゃぎまくってた。

けれどもやがて、途中でトボトボ歩きにすぐ疲れて、お家に帰りたがる姿は、まあ、年相応だったのかな。

それでも、生涯変わらなかったのは、うずらのの持つ愛嬌と、感情が直ぐに現れる白目がちな目。

ドックトレーナーさま曰く、通常、犬は黒目だから、白目が現れるのは、クジラ目って言われる犬のストレスサインらしい。

そうなのか!ウチのうずらは常に白目を見せてチラ見してたから、ストレスフルな13年だったのかな……

そりゃテーブルの、ギリギリ前足が届くか届かないかの所に、大好きなジャーキを置く。欲しくて欲しくて短い前足をで空振りパンチを繰り出す。ちょっと後ろ足でジャンプする。何度もチャレンジする。惜しい!

仕舞には、白目がちな目で「ギャン ワン」と怒ってる姿を、……カカカと笑ってたりした。

食事中、足元でなんかクレ〜て感じでヨダレタラリな顔を見てると、つい、出来心でワサビのチューブを顔の前で「パフパフ」と香りを送って差し上げる。
すると、無言で部屋のなかを走り回る。凄く走り回る。なかなか止まらない。鼻汁も止まらない。そんな姿を、……カカカと笑いもした。

それから、ビールの6缶パックの紙ケース位のサイズ感で、頃良い小洒落たお帽子になりそうなモノを見つけては、頭からズボッと被らせる。しばらく固まる。ブルブルして脱げちゃう。

でも、中には簡単に抜け無くて、首がもげるほど振り回したり、バックオーライする姿を、……やっぱりカカカと笑ってしまった。


そんな時は、ウズラは「ブシュン」の鼻汁を飛ばしては、チロリと白目をみせていた。

そうか、アレはストレスサインだったのね。
ごめんなさい。もうしません。


意地悪ばかりしてたのは、クラスの好きな子についちょっかい出すのと同じかもね。昭和に小学生時代を過ごした世代やからね、愛情表現が下手くそなのよ、申し訳ない。


そういや、うずらの事をあまり書いてこなかった……とブログを見返してると、一つあった。



ちょっと、リンクの貼り方を試したかったところなのよね。2011年とは古い!
上手く、過去へ飛べるかな……?


嗚呼、またイタズラやらかして、あの白目をみせてほしいよ、うずら!

営業先で急な雨に会った。
春なのに空気は冷たくて、
ちょっと激しい雨だった。

その後、雨は止んで、空に虹が架かった。
余りにも、虹らしい虹だったから、
阪神高速道路で、運転中だったけど、
つい、ながらスマホで東の空に、パシャリ♪

インスタなんかしてないし、
ご飯の写真なんか撮らない。
携帯のギャラリーの写真は子供か暗証番号のメモとかで、実用一辺倒。
キレイな風景とか、面白いシーンを写真で残そうという習慣が無く、風情の欠片も無い。

でも、この虹は撮りたかった。


しばらく真面目にハンドルを握ってたけど、
何故だが、急に気がついた、
いや、何処から、何がきたのかわからないけど、兎に角感じた。


嗚呼、そういう事か、と……
合掌


4歳になった娘は、随分と背が伸びた。
多分、上の兄弟との同時期で比べてみたら、彼女が一番大きいとおもう。

そんな所、父に似るなよ〜娘さん。

雪のような白い肌、茶色い目。好き嫌いがハッキリ別れる、意外と気の強い。

まあ、その辺りは母に似るのは…やむ無し。

病児の仲間内でのご挨拶は、「元気?」とか「御機嫌如何?」とか言わないし、ましてや「ご健勝の事」とか喜ばない。……たまに会うのが病院だったりするからね。

だからって、悲観してない。「わー久しぶりやん」とお互いの無事を確かめる。「そうなんか大変やな」と寄り添うだけ。

いつも忙しいからね、この業界は。


先日、パープルデーのイベントに参加した。知ってますか?てんかん啓発キャンペーン。3/26の紫の日。ご存知の方は医療従事者でも少ないかもね。

調べてみたら、色を冠した記念日って一杯あるのね、だから知らなくて当然。


ホワイトデーはわかりますよね。最近はマシュマロとかお返しせんが、3/14。白の日。

オレンジデーってのもあるらしい。カップルの日で、リア充の爆発の色ね、4/14。橙の日。

ピンク(シャツ)デーってのもある。いじめ反対運動で、コレは素敵なイベント。2/27。桃色の日。

ブルーデーってのは、男子には永遠に理解できませんが、バイバイ、ブルーデー♪って歌のやつね(古い!)、青の日。

グリーン・デーはロックバンド!昔よく聞いたな♪バスケット・ケース♪……これも古い。みどりの日は祝日やね。

ブラ(ウ)ンデーは……お酒やね。


色の日を探すのも面白いけど、もうこの辺にしといて。本題のパープルデー。


てんかんという病気は100人に1人が持つとかで、実は身近な方もご苦労されてるのかもしれない。

その、てんかんってのは何だか解らないけど、恐ろし気な感じがする。癲癇!漢字も不気味。

一昔前に、京都の祇園でてんかん発作を起因とされる痛ましい事故があったけど、どうしてもネガティブなお話しになる。

そんな、案外と知らない事だらけのてんかんの理解を深めようという、世界的な啓発キャンペーン。

紫の服とかモノを身に着けて、キャンペーンの応援だ!……ウチには紫みたいな高貴な色のモノが一つも無い。紫コーデで、家族でファッションショーに参加したお友達家族に合わせる顔がない。

で、会場で紫色の風船を募金箱にチャリンして頂いて、体裁を整えた。

大阪、長居公園は良い天気で気持ちの良い休日になった。その後にお友達のお宅にお呼ばれして、早くから飲んで食って楽しかったな〜

さて、脱線しまくるけど、てんかんのお話し。
癲癇には様々な形があり、そのメカニズムやら症状の事は、ちょっと調べれば山の様に情報がでてくる。わざわざここで書く迄もないね。

そして、治療、投薬で“ほとんど”完治する。
ほとんど……。

何故ほとんどなのか?てんかんって、車で例えると、エンジンとか、ミッションとかの故障ではなく、電子制御の方……脳波の異常。

まあ、車なら電子制御のコンピュータだって不具合なら交換してしまえるのだが、人間の場合は、脳波だからね、脳移植……って出来るのか?

人の心、心臓移植はあるね。

誤解を恐れつつ、またもや車で例えるならば、リビルド・エンジンのオーバーホールだ。凄い技術なんだけど、可能性は我々素人でも想像できそう。

ハートの移植なので、アンビリーバボーな出来事も聞いた事があるけど、これが脳となると、色々と倫理的に難しい事になる。

完全なクローン脳ならどうだろう?IPS細胞なら……ひょっとして……

脳波で意思を判断して自走するロボットの研究の話を聞いた事がある。ハンドルもブレーキも無い車もそう遠くない未来技術に?。

SFのテレパシーが技術的に可能になるなら、その未来の副産物で、てんかんの完治が為されるかもしれないな……


という妄想がフワフワ。
パープルデーのイベントからの帰り道、次男が誤って手を離してしまった、紫色の風船。
青空へ登っていったアノ小さくなっていく紫色みたいにフワフワする。






















22時過ぎ、ひとり自転車で塾からの帰り道、帰宅時間が父よりも遅い事が多い。
部活の剣道は、男女混合のゆる〜い小規模集団。小学生からの経験者だから、副部長。まあ、ちゃんとやってる。弱いけど。
反ゆとりの中学生。
やっと母の身長を抜いた長男。

中学生の一年生の期末テストの結果を眺めて
「塾にいこうかな……」と殊勝な事を言う。

それではと、古い街の新居に引っ越したばかりで、土地勘の無い我々夫婦は、子どもの通う剣道仲間から情報収集しましたよ。

で、ネットでワンサカ出てくる有名な塾達。凄いね、教育産業は。選択肢としては、

大手の教室。輝かしい進学実績があり、業界に疎い我々でも見聞きした事があるのは安心感がある。

個別指導。一番のボリュームゾーン?流行ってんのかな……確かに、個々人毎にできめ細かな指導でスイッチ入るかも。

家庭教師。これもあるね、有名大学生なんかがウチに来る?……中条あやみさんみたいな女子大生やったら、と考えただけでドキドキするけど、トライするか。

ネット通信講座。選択肢としてはあり、実は、コレはもう試した。いいのだけれど、小学生にはいいね。親も子もスマイルになれるのだけど、中学生にはボリューム不足かな。

調べれば調べるほど、なんだか気後れしたり、眉唾だったり、懐事情だったり、わいせつだったり(冗談です)するので、

ここはやはり、人のツテでもって、割と近い、個人経営の塾に申し込んでみた。

少人数の教室。大手教室と、流行りの個別指導の間位かな……そして何より、近いのが一番やしね!

さて、入塾に事前に面談があるのですか?……まあ、それくらいはね。

今の成績?……平均のちょこっとだけ上かな

5教科のテスト合計が400点?……ちょっとわかんないけど、だいたいそんな位かな(大嘘)

やる気の無い子は退塾!……そ、そうなんですか。

怖いね〜最近の塾事情は。昭和の時代はもっと牧歌的やった。

で、少人数で徹底指導を掲げるお塾の僅かに残った枠に、なんとか入れて頂き、2学期からは真っ当な中学生に向けてリスタート。よう頑張っております。

入塾早々、2月期の中間試験だったのだけれど、成績張り出されるのね……全員。

一応、苗字は伏せて、名前と中学校の記載なんだけど、ここ少人数でしよ、丸わかりやん。

ビシバシ怒られるし、小テストが悪いと居残りやし、これってもしや……

ブラック塾!?

この一年で、ポヨっとした運動嫌いの、男の子が痩せる痩せる!

でも、なんとか周りについて行こうと、食らいついてる。で、これだけやってるのだから、成績は上がってく。

勉強ってのは、高いレベルは別として、費やした時間が結果に反映する、唯一のモノだと思う。

勿論、多少のテクニックは必要やけど、中学生くらいのレベルなら、そんなのは些細な事。

そこには才能とか、センスとか、でなく、単純な、費やした時間。物理的な量が結果として出てくる。

余り、無いのよね、こんな単純な構図って。

ウチの子は運動音痴で、小さい頃からやってる剣道では、なかなか勝てない。残念ながら、努力は報われない。

そんな子が、やったら、やったらだけ点数が取れる勉強に打ち込めるのは、ゲームに夢中になるのと、少し似てる。

そういや、「宿題やったか?(忘れてないか)」と言う事はあるけど、「勉強しなさい」ってのは言った事無いのよね。

テスト期間中は鼻息荒いので、ブレーキかけなあかん位。まさか、ウチの子が、テストの点取り虫になろうとは……もう、一周回ってアホかと。

でも、まあ、妹の為に医者になりたいと言う彼の姿は、まあ男の子から、一皮だけむけた感はあるかもね。






贅沢に惰眠を貪り、朝遅くに目覚めた休日ってのは、思ったよりスッキリしなくて、何でもちょっと足りないな……って位な具合が丁度良いのかもね。


体調不良の年度末&月末の息抜きに、お出かけしたのは、スマホの買い換え。

スマホの契約ってのはややこしくて、
ウチの奥さんが、やれiPhoneのバッテリが保たないとか、買い替えた2日後に画面バリバリにしたりと、更に事態をややこしくてしてくれる。

まあ、その辺はべつのお話しなので、今宵は割愛して、

件のご契約には縛りとかがあって、売り手の都合にコントロールされてるみたいで、ちと、切ない。

新機種発売!今ならキャンペーン!こんなにポイントが!タブレットもつけちゃう!

……とっても魅力的なご提案。でも、それだって別の売り手の都合。切ない。

そんな事より、売り手ってのは早口で関心する。

ふと気が付くと、教室でワイワイと話題沸騰中で、あの子もあいつも盛り上がってるのを、遅れて気が付くけど、何が可笑しいのやら解らないない。改めて聞くのも野暮だし。

それでも、なんとか会話のパーツをかき集め、想像し、ぼんやりとした即席の流れを紡いで、へぇ〜とか、はぁ〜とか言ってみる。

まあ、それで大抵はなんとかなる。

そんな訳で、私の手には、四代目スマホがある。勿論、2日後に画面が割れたりしてない。

何でも、お隣の大陸からやって来た子らしい。なんだか読みづらいローマ字表記なんか止めて、華為技術!ってカッコいいから本来の社会名にしたら良いのにね。

中華思想なんか置いといて、花の為……って敢えてのすっとボケて認識したら、皆、気分良いなのだけど……

そんな新スマホに、馴染みのアプリを落としてゆく。LINEはいるな、お天気予報もいる。やたらと高い日経、最近よく使うラジコも……それからアレとコレと……

さて、アメブロさん。最近は無愛想でスミマセン。

三代目の時代には、ほとんどつかわなかったな。断捨離の基本、昨シーズン着なかったお洋服は、思い切って捨てましょう……

リストラ対象だね。嫌な言葉だリストラ。

書き残して置きたい育児記録もある事だし、ひとまずダウンロード!

ログイン番号は……二代目の携帯メアド!ある意味セキュリティ完璧だな、コレ。

久々なのにログイン出来て、少し感動した。
そして、なんか書きたいな、と思った。

何故なのかはわからないけど、多分、読書量と関係してるかもしれない。

インプットが過ぎると、お腹ポンポンになるんやね。で放出したい。ちょっと汚い例えやけど(見方によってはエロい?)反作用なんだと思う。

そういや、ここ数年は、魔のアマゾンプライムのビデオと音楽にジャブジャブ浸ってたから、活字の欲求が無くなってたのよね。

アマゾンって恐ろしいね。お気軽、快適すぎて活力鈍る。だが、しかし、飽きる。


そうして、読書再開中。

三年寝て、ちょこっと仕事して、また眠る……いにしえの勝ち組である三年寝太郎先生は、現代だと、不労所得者ってところかな?

そんな三年寝太郎に、私はなりたい。












ブログをお休みしてから2年半後……

 

よくあるマンガなんかでたまに見かける、3、4年後に成長した主人公と仲間達により新たな物語が紡がれてゆく……アノ演出って結構好きだったする。

 

ドラゴンボールの少年期の悟空から背が伸びた青年期の悟空登場!で、作品の性質まで変わってしまう程のインパクトがあったけど、当時はワクワクしたねぇ。ナルトもそうだった。ワンピースは、ちょっと残念やけど、まあ同じく

 

少女漫画の場合は僕等がいた、くらいしか思い出せないけど、少女漫画は時間経過はちょっと微妙……相性悪いかな?

 

 

さて、現実逃避はこのへんで、リアルの近況を書き残していく、

 

厄年を終え、滑って転んで、打ちどころが悪くてフーフー唸ってると、そこそこ立派な病院で診てもらえたのだけれど、思いのほか予後がナンで、ほころびがボロボロ出てきて、アレがナニして、さっぱワヤな状況だった……って感じの2年半だった。

 

まあ、つまりは、よく覚えてないのよね。

だから、よく覚えて無いことなんかは置いといて、今を書き残す事にしよう、、、たとえ思いついたときだけでも。

 

 

長男はこの春、小学校を卒業する。あのすっとボケた長男がもう中学生である。モーちゅう!まったくゾッとしないね。

 

彼は、この2年半で病院の待合室の滞在時間では小学生の全国上位ランカーになれるかもしれないけれど、唯一の習い事である剣道の腕前は、なかなか可愛らしいままで、「ぼくは医者になる」との戯言を時々口にする。

 

実力の伴わないモハメドアリみたいなビッグマウスで前途多難なんだけれど、まあ向かってるベクトルはいい方向なんで、是非、その矢をできるだけ遠くまでぶん投げてほしい。

 

 

次男はこの春で5年生。同じく病院の待合室滞在時間では小学生のランカーと思われ、相棒のDSとPSPの充電に余念がない。

 

最近、猪口才にも嘘とズルする小手先技を覚えて、発覚しては父&母のフルボッコされたりする、絶賛成長期である。

 

正直、生まれたとき~幼稚園時代はジャガイモか白菜みたいに地味坊主で、長男に比べて花がない不憫はヤツだったのに、先日のバレンタインデーでガチっぽいチョコをいくつか持って帰ってきた、遅咲きの次男は、奥様によく似てきた。

 

 

そして、奥様……ちょっとだけ、いや小さじ3杯ほど、デラックスになった。(大さじって言ってはイケナイ)

 

 

で、僕は最近では白髪がめっきり増えてしまって、少し前なんかはウチの奥さまがハサミでもて剪定してくれていたのだけれど、ニョキニョキ白いのが増えてしまったから、剪定も追っつかない……ついにあきらめたようで放置されてる。つまりは、なんとか毛は残ってるけど白いのが混じった、おなかの出っ張ったまま気にならなくなってきて、完全体のおっちゃんになってしまった訳だ。ヤレヤレ。

 

 

長女は3歳になった。アイカルディ症候群。しぶとい痙攣には色々トライしたけれど、まだまだ有効打が無い。胃瘻、気管切開。首すわりはまだで、笑顔は消えたまま。


上の二人とは異なる成長だけれど、随分と身体は大きくなった。

 

そんな日々を助けてくれるのは、やっぱり人で、それから時々ビールのおかげだ。


それにしても、環境が大きく変わったなぁと感じる。今までの子育てのノウハウとかカンなんてのは、全く太刀打ち出来ない世界で右往左往してる。

 

詳細を書き出すとキリがないので割愛するけど、この2年で一つあげるとすると、お仲間が沢山出来たこと!とにかく入退院の繰り返しだったから、日々、色々な人に助けられて生きている。

 

解らない事は判る人に聞けばいい……ココにこうして書き残す事で、娘と同じアイカルディー症候群の子達との繋がりが持て、その繋がりは家族会という形になった。

 

ほんの一例なのだけれど、2018/2/18に東京で家族会にて講演会・相談会へ参加した。


その日は奇しくも次男の誕生日だったのだけれど、娘は入院中で、長年次男は僕の母親に留守を任せて夫婦で参加してきた。

 

講師にみえた先生は、僕ら夫婦が娘の障害を知って、研究されている機関に検査をお願いした、当時のサインした書類にお名前があった、加藤光広先生(昭和大学医学部小児科)その人だった。

 

 

ご参照:家族会のHP

https://yurikok99.wixsite.com/aicardi

 

 

沢山貴重なお話を聞けた大変有意義な会だった。けれど、僕は純度100%の文系人間なので、印象に残った話を書き残せるのは、とても抽象的な内容となる……立派な先生な話なのに勿体ないね。

 

「先生、この子は4歳になります。ACTHやケトン食、痙攣のお薬も色々試してきました……でもなかなか先が見えない状況で、正直行き止まっています……この先何を目指したらよいのか、どう気持ちを維持できるのか……」


先生と家族の濃厚な質疑応答一段落して、ソロソロ佳境の折、僕らの娘と年齢も近いママからの質問だった。


アイカルディー症候群は個々の症状がマチマチで、成長の度合いも個々で異なる。まだ赤ちゃんなんかが多い会だから、娘の状況と近い彼女の質問に僕はハッっとした。

 

「う~ん。それはお答えするのが難しいですね……」


と先生は前振りしながらも、「こういった病気の子達にゴールを決めるは良くないのです。ゴールを決めてしまうとそれが当人と家族を悩ませます。目の前の、今を大切にしていく事でしょうか?幸せってのは割と身近にあると思うんですよね、日々の、ちょっとしたところにね。」

 

先生はお年の割チャーミングな笑顔で、そんなお話をして下さった。周りの家族たちの反応を見渡す事を忘れるほど、僕には刺さる言葉だったから、正直、周りの反応がどうだったかわからない。


けれど、僕の頭の中でその言葉は暫く反芻していた。


まず思ったのが、メーテルリンクの青い鳥……チルチルとミチルが長い旅の末に幸せの青い鳥を見つけたのは、結局ウチの中だった。ってヤツだ。

 

先生のお話は学術的だったり、現場に即した治療やリハビリの情報だったり、現在の遺伝子上の研究の進捗だったりと、本来書き残すべき事が沢山あったのだけれど、


僕が東京からウチにもって帰ったのが、この青い鳥!使い古された童話ネタとか言われるかも知れないけれど、真理って結構シンプルなのかもね。

 

そんな訳で、立派な先生のお話を遠くまで聞きに行って、もちょっと為になる情報をここでシェアできれば、本ブログの存在意義もあるかもしれないけれど、、、


僕個人としては結構、満足してる。

 

 

多分、好きな言葉は?座右の銘は?と問われたら「一期一会」って答えが、かなりの割合で出てくる。とても良い言葉だと思う。

誰だって、人と人との出会いは嬉しい楽しい大好きなんだけど、、、実際は、面倒くさかったり、中には不快でしかなかったりもする。

とはいえ、良くも悪くも、僕らの持てるエネルギーと時間の大半は“人”に費やしてる。或いは、喰われてたりする。

何だかよくわからん、“縁”って奴が、こんがらがって、思いもよらない事態になったりする……

ここ最近は、想定外の出来事が多いからかな?「袖触れ合うも多生の縁」という言葉が、やたらと脳裏をよぎる。

……………………

娘によって生じた“縁”は、まだ、産まれて半年ばかりなんだけど、やたらと多い。

この子には、何だか引きの強さを感じる。

生まれ持った“アイカルディ症候群”は、ほぼ女児だけの障害だとの事。それは男児は致死性だからなんだけど、女の子を強く望んだ僕ら家族には、なんの因果か!?

この子が産まれたのは2014年11月28日。当初は障害に気づかず、クリスマス、年末年始の帰省なんかのイベントを楽しく過ごした。

この時は、たまに、しゃっくりをするくらいで、ウエスト症候群の症状も現れなかった……

多分、産まれたときから脳波は常に乱れてて、ただ、新生児すぎて症状として表に現れなかっただけかも知れない。

けれど、僕には、親族なんかへのお披露目迄は気兼ねなしにどうぞ♪って親孝行しようと突っ張ったんじゃないのかな?と思ったりしてる。

ソコからの落差はシンドイ事なんだけど、この子の診断が下されたのが年明けての1月末。そこから色々とコトが転がり出す。

まずは転院、転勤、転居、転校。転々だらけで書いてるだけで目が回るのだけれど、まあ、これだけでもう、出会いと別れのオンパレード!

高松の小学校のお友達、剣道の仲間、産院のママ友とのお別れ……子育て時代の千葉のお友達からの声援。それから、育児時代を過ごした大阪での再会。

転居先での新生活でも、小学校の同級生よりも先に仲良くなったのが、同じく難病を抱える子供達や、その兄弟達。

長時間病室の外で放置の長男次男が「病院行こ!病院!」って位に楽しく過ごせるのは、良いお友達のおかげで、非常に助かってる。

境遇が似てると、通じるモノがあるのかもね。……正に、むすめがもたらした縁。


一つ一つに素敵なエピソードがあるけれど、とても書ききれない。娘の障害がなかったら起こらなかった出来事。

それから、その間、アイカルディ症候群が2015年度から国の難病指定に加わってたりする。結構凄いタイミングなんだけど、僕らは「へぇ~」で終わり。

後々で多大な恩恵があると思うけど。



でも、一つだけ話しておきたい事がある。

今回のコロコロと転がり回る3月初旬。僕ら家族は、毎度の事ながら、ロクでもない会社のルールで、異動の内示から2週間で引っ越しせねばなかった。

転勤先の大阪へ物件を内覧に出掛けていた日、うまい具合に大阪のお友達と会食の時間を作れた。

久し振りの再会。近況報告は妻のLINEである程度済んでいたけれど、実際会って話すのってのは、やはり別格で、なかなか良いね。

特に嬉しかったのは、ごく自然に、昔と変わらない調子で僕らと娘に接してくれた事。きっと気を使わせたと思うけど、ソレを感じさせない優しさ……いい友達。

長男の幼なじみ達とも長い間ご無沙汰だったので、見違える程成長した彼女ら(何故か女の子ばかり)には驚かされた。

文句なしの美少女へ向かって、絶賛成長中のお友達は想定内なんだけど、ベビーせんべいをガシガシやってる位しか記憶にない、元気一杯のお友達が、正に女の子になってるのは衝撃だった。

そんな幼なじみの女の子が隣にちょこんと座って折り紙を始める。

「お、折鶴やね。上手やな」

「ココを揃えて、それからこーしてあーし……はい完成!」

スルスルと手際よく折っていくお友達に感心する。可愛らしい折鶴を僕にくれた女の子は得意そうにしてる。ママ友の一人が咳払いをした気がする。

「実は、渡したモノがあるの」妻が初産の産院で知り合った最初のママ友が言った。大きな紙袋を用意してる。

「はゆるちゃんの話しを聞いてね、皆で何か出来ないかなって話したの」

千羽鶴!!!

こんな時に僕ら夫婦ときたら、目をパチクリ、口をパクパクしただけで、気の利いたリアクションを取れなかったのは一生の不覚。

完全な不意打ちに、涙も無い言葉も出ない。ヘラヘラ笑って、有り難うと言えたのがイッパイイッパイ。

本当の感動って、瞬間的にはこんなもんかもしれない。

ママ友の声掛けに、大阪時代の顔見知りから、その友達までに輪が広がり、折鶴の会が出来て、つい先日完成したとのこと

で、どうやって高松へ送ろうかなと話してた折、「引っ越しで大阪行くよ、飯いこ、飯」って僕、ら家族がノコノコやって来た。渡す側もエラくビックリしたらしい。

感謝感激の僕らに「いいねん、ウチらも日頃は近くても逢う機会なんて殆どないけど、折鶴の会をキッカケに沢山集まれて、楽しかったよ。こっちが感謝したいくらい」

そんなカッコイイ事言われたら……もう、何も言えねえです。はい。

アレもコレも娘を中心とした縁。とても弱々しい娘だけれど、僕なんかでは計り知れない凄いチカラを持ってるのかも知れない。

彼女のこの縁の多彩さはきっと、前世でブイブイやってきたからだよ!?

袖触れ合うも多生の縁……ウチで娘を見守る1000の鶴達が、そうクチバシを揃えて言ってる様に見える。
















遅くなりがちな仕事を終えて、自転車で家路に向う途中に、娘の病院へ立ち寄る日々が続いてる。

夜の病院はとても静かで、娘も病室の戦友達も眠ってる事が殆どだ。顔見知りになってきたナースと小声で挨拶をし、痙攣発作経過表を確認する。変化ナシ。

ただ、パルスオキシメーターだけが規則正しく点滅してる。

ベッドの隣りに座り込み、娘の顔をぼんやり眺めたり、黙って抱き抱えたりする。それから、帰宅する……そんな感じ。

ある日、同じように遅い時間に見舞い行った際、病棟のアチコチで鳴き声があがってた。ナースが忙しく動きまわる。そんな時に限っていつも寝てる娘も起き出して、一緒になってグズりだし、病棟大合唱。子供って不思議とシンクロする。

泣く子には、何は無くとも抱きかかえ、ミルクをやって、オムツを替えるのみ。一通りこなすと、待ってた様に痙攣ビリビリ!……で、なかなか帰るタイミングが解らない……なんて日もあったりする。

兎に角、前進も後退もないけれど、娘との生活にも一応の均衡が出来て、僕ら家族は落ち着きを取り戻してる。まあ、慣れたって事だね。

そんな訳で娘のハーフバースデイやら、なんやらかんやらをスッ飛ばしてしまったので、すこし前の話しを書き残しておこうと思う。


まずは、産まれた日のお話。

娘が産まれたのは、僕が三十代最後の年で、長男は小学校三年生、次男は一年生。年の空いた妹って事になる。2つ下の妻にとっても、いわゆる高齢出産であった。

不妊治療を経験している僕ら夫婦に三人目の子を授かったのは、まさに晴天の霹靂!正直、様々な葛藤があった。

けれど、僕ら夫婦は元々楽観的なので、早々に決断し、受け入れた。

決断したからには一人目から女の子を望んでいた妻は、三度目の正直なのか?、二度ある事は三度あるのか!?と悶々……息子らも意見が割れてヤイのヤイのと、中々楽しい妊婦生活を、まだ慣れない転勤先の高松の街で過ごしていた。

妊娠初期に切迫流産の恐れがあり、お薬を処方されて、絶対安静を余儀なくされた……歳のせいかな?とこの時は思ったりした。

そんなこんなを乗り越えて、お腹の子の性別が解った時、妻は文字どうり跳び上がって喜んだ。


会う人は皆、ガチャガチャ五月蝿い長男次男を見て、お腹の子が女の子らしいと聞くと「本当、良かったね」と口を揃えて言った。息子らが不憫な位に。

出産に際して、予定日を過ぎても兆候のないモノグサの胎児に、促進剤投与しての計画出産となった。だったら家族皆で立ち会おうと息子らも学校を休ませて臨んだんだけど、敵もサル者!中々手強い。

結局、日も暮れ遅くなり、息子らを2日もズル休みさせられず、今日は退散となった。

そしたら、その日の夜遅くに産気づき、子供らは眠ってしまっており、起こすのはとてもじゃないが無理。で、夫婦して病院へ戻る事にした。

……隣の分娩室では女神の悲鳴に似た叫び声が聞える。ウチの女神は割と落ち着いて、いきんでる。何度経験しても慣れない現場だ。

そして、11月28日の未明にツルリと産まれた。

待望の女の子。晴天の霹靂からやって来た、少々厚かましい娘。

名付けは難航した。兄弟達の名が一文字で色のテーマを持っているので、統一感を持たすのが難しい。で、結局、三人目も妻のアイデアを採用。僕の妻はセンスだけで生きているので、任せたのがいいね。

長男は碧「紺碧。青は藍より出て藍より青し」あお

次男は杜「森の緑。いづれ菖蒲か杜若」もり


そして、娘

映「他のものと調和して、一層鮮やかに見える」はゆる

難読で、もはや色のテーマではないけれど、割と気に入ってる。


後から妻が気づいたのだけれど、映の字は日の央と書く。で皆の太陽。なる程と思った。

僕ら家族の中心。恐ろしい確率で選ばれし者。生まれてきた事、これ自体が奇跡。