高校生受験の第一志望の合格発表日、あんなに頑張ってのだけれど、不器用な彼の切実な想いは届かなかった……
残酷にもその日、つまり合格発表日の午後には、既に獲得していた私立の入学手続きを済まさねばならず、どんよりした空気の電車で、もう中3でデカくなったナリで、恥ずかしげもなくワンワン泣いたとさ……(奥様談)
「大学入試で絶対に見返してるやる」って負け犬の遠吠えは虚しく、私達にはかける言葉も少なく、嫌な体験でした。
私は田舎育ちの無教養ですから、移り住んだ大阪の高校受験事情なぞ知らずに生きてきました。
自分がしてこなかった事を子に強要する事はできませんから、たいしたアドバイスなんかできません。
ただ、仕事の進捗を詰めるのと同じ感覚で、テストの結果を眺めてあーだこーだー言うのが精々。勉強の中身なんて知ったこっちゃありません。
なんでも試金石として投げ込まれる長男の宿命でして、バカ正直なところもある彼なので、良いも悪いも、こちらの言葉を素直に聞いて、遅い足でも走った走った。
中学生活での彼は、以前書きましたがよく頑張ってました。
中学生の学習塾事情 | オメラスより歩み去れない人へ (ameblo.jp)
でも、高校受験は第一志望であった、大阪府公立高トップ10校の「文理学科」ってやつに落ちました。ちょっとした憧れと思入れもあり、本人はややリスクを承知のトライでしたが、仕方ないのですが、それでも大変ショックを受けてました。
まあ、本人の力不足もあったのですが、ここに告白しますが、半分は親の力量不足でした。
この受験に必要はのは、事前に練られた戦略……これが我々夫婦は全くなってないダメ監督でした。
そして、気合と努力ではなく、関西では知名度ナンバーワン、馬のマークの某大手塾に代表される、対文理系のノウハウといった戦術も欠けていました。
悪かったな、長男。
もうね、レ・ミゼラブルの I Dreamed a Dream ですね
私は夢見ていた 人生は変わるって
こんな地獄じゃなくて こんな惨めな日々じゃなくて
もう終わってしまったの 私が夢見た夢は
そして、現在、高校3年生
入学したのは大阪の私立男子校で、清?らかっ言うよりちょっとヤバい風?の高校。
キツイ校則(髪型指定、般若心境)、そしてJKが存在しない空間……本人、囚役3年と自虐的に言ってる学校です。しかも、なまじ入試時のテストの出来が良かったのか、なにやらしんどそうなクラスに編成されました為、阿保みたいなカリキュラムを組まれて、ヒーヒーやってました。
ただ、この学校の進学実績はガチでして、周りの天才たちにもまれて、置いていかれない様に頑張ってついていってました。
さて、中学時代と同じ過ちは犯すまいと、我々学のない夫婦は助っ人監督に頼るという選択を早々にします。
一つは塾。私学ってのは土曜日もあるので、そして半ドンって死後なのね。
たまに日曜日に校外模試をぶち込まれて、休みなしの日々なんかもありましたね。
授業の進度が半端なく、学習量は学校だけで多分十分とのこと(学校曰く塾なぞいらぬ)。
ただ、我々には情報が必要だった。きちんとした戦略に基づく、正しい進捗管理お大切さを身をもって思い知らされたからね。
そんで、頼ったのは塾。それも欲しいのはノウハウ。あとモチベーションの維持。
塾選びは長男と一緒にいくつか回りましました。で、最終、ビリギャルで有名なあの塾で現在お世話になっています。
次は、私学の担任の先生から卒業生を紹介してもらいました。(すごいね私立)一人目は京大生!残念ながら彼は忙しくなってしまい、交代。
で、二人目の医学生!が週1でみてくれてます。直依頼なので少しは相場よりお安くなってるかな?
そうですね、地獄の沙汰も、ゼニとコネですね。
ここまでやるには理由があります。もう、何度か書いてるかもですが、彼は医学部志望になのです。
古くは幼稚園、将来のなりたいのは?ってのに「びよーいんのひと」とか言ってました。ほうほうカリスマ美容師か?とおもいきや、後日、病院の人だと判明します。
まだガキンチョの頃に連れられてたホーブアンドウイッシュの旅先では、地元のFMにて「将来の夢は医者です」とビックマウスを炸裂して、笑いを取ってました。
中学の文集にも書いてましたね、「医者になる、もっと勉強せねば」と、汚い字で。
割りと年季がはいってますね。この夢は。
ただ、そこに実力が伴っていれば良いのですが、彼の能力は、誰に似たのか至ってノーマルな地頭。
クラスでいたでしょ?1人か2人頭のいい子、いつも成績トップクラス、スマートな天才タイプや、努力家の秀才タイプ。
そんな子にいつも「ぐぬぬ」ってなってるモブキャラもいるでしょ、そうですね、そんな立ち位置ですね。ウチの長男。平均は超えてるかもしれんけど、トップクラスとの壁を超えられない、そんなタイプ………
医学部を志す学生のレベルは、ちょっと凡人からは想像を絶する茨の道。野球少年が甲子園に行けるか?音楽好きが武道館でライブできるか?僕らがアイドルと付き合えるか?
もうね、無理なんです。言うのも恥ずかしいです。
でもね、彼はまだ諦めてないのです。判定はいつだってD判定です。志望校は妥協してもそれなりに上位私学とか狙えるかもです。地方国立なら財布も優しく親孝行です。
でもね、やるんだそうです。医学部受験。
「勉強を続けるモチベーションってのは何なん?」
先日、たまの帰省時、長男に聞いてみました。
高校受験を失敗したあの時から、彼を支えていたのは負けん気?不当な判定の怒り?見栄?はたまた重度障害であるへの妹の想い?そんな返答を予想して。
「そこに高い壁が有るからやな」
彼は即答しました。そんな父の穿った心持ちの質問なぞ意を返さずに。
「……は、はぇー登山家かいな」
父にはそんな半端なツッコミを入れるのがせいぜいでした。
嗚呼そうか、もう奴は、僕を超えて行くのだな、いや越えられたか……不覚にもそう思いました。
医学部受験、先生なんかは反対するでしょう、友達も諌めるかな、ウチの両親なんかも冗談と思ってるでしょう。
でもよ、長男殿
私が世界で唯一、君の医学部合格を信じる。
これは私が世に与えられた役割なのだとさえ思う。
お前さんという矢を世に放つ、医者として
娘という矢は1人では無理だ、でも世がきっと助けてくれる。
……昔、感銘を受けたカリール・ジブランの 子供について の詩のとおりに
とても独りよがりな考え方だけど、僕の小さな世界は完結する。強く強くそう思う。
………あれれ、もう一本の矢は?
それはまた、次のお話しで。