月曜日に父が亡くなりました。
今週1週間、忌引休暇を取得し、父の故郷へ帰ってました。
今月が誕生日でしたが、惜しくも80歳を目前に旅立ちました。
父の意向でお通夜は行わず、親族のみの家族葬です。
家族葬ならではですね。
式場に電子ピアノがあるとのことで、中2の甥っ子がベートーヴェンの悲愴第2楽章を演奏してくれて、感動のお別れができました。
突然のことで譜面も何もないのに、とても心に染みる演奏でした。
わが一族らしい演出です。
父は一級建築士として75歳まで第一線で活躍しました。
建築、論文で数々の賞を受賞し、歴史的建造物の保存、再生運動や、汚染河川の水質保全への取り組み、若手芸術家の発掘やプロデュース、イベントや祭の企画、舞台の脚本、本の執筆、大学教授など、建築家としてだけでなく、幅広い分野で活動しました。
そんな父の元で育った私は、幼い頃から多くの文化人、芸術家と関わる機会をもち、たくさんの美術、音楽、文化に触れながら成長しました。
少々破天荒な父でもあったので、未成年などお構いなしに、子どもたちを大人の酒場やバーに連れて行き、私も父の仲間と美酒(酒は大学生から)、美食を味わいながら、生意気にも芸術や政治談義にも参加させてもらいました。
今の私の人生が豊かで彩りあるのは、父が私にいろんな経験をさせてくれたおかげです。
勉強だけで身につけた教養ではなく、育った環境の中で自然と様々な分野に関わり関心を持つことで得られた教養は、両親のおかげですし、私は本当に恵まれた環境で育てられたことに感謝しています。
父の生き方は子どもたち、孫たちへも受け継がれているのを感じます。
弟2人は士業として独立、長男は父と同じ建築家、次男は法律家として活躍し、昨今の社会問題に向き合った活動をし、全国で講演も行っています。
私はご存知の通り、破天荒なところは父譲り、人生に多くの楽しみを感じながら生活しているのでまぁ幸せです。
孫たちもそれぞれにユニークな感性をもっており将来が楽しみです。
私は自分の息子にこんな豊かな環境と経験を与えてあげれてはいませんが、娘孫だからか?息子を溺愛していた父は、息子をいろんな場所に連れて行ってくれたし、息子に対しては甘甘のおじいちゃんでした。息子が父の生き方から少しでも何か感じ取ってくれたなら嬉しいです。
仕事もやりきり、病になるまでは、夫婦で毎年世界中を旅し、世界の芸術、美酒、美食を堪能、4人の孫にも恵まれ、もう悔いはなかったのでしょうか?
自分の死期を悟ったかのような死でした。
肺がんでしたが、一切の治療、延命措置を拒否、
「もう命が長くないのは自分でわかっているから」
と、自然と食べなくなり、2ヶ月ほど寝たきりで入院してからは、毎日スヤスヤと気持ちよさそうに眠り続け、母が、「こんなに気持ちよさそうに寝られて羨ましいわ」ともらしたほど。
痛みも苦しみもほとんどなく、眠りながら亡くなりました。老衰みたいな感じですね。
自然に抗うことなく、あるがまま、なすがままを受け入れ、生涯を閉じた父の最期は素晴らしかったと思います。