あの日(阪神淡路大震災)
我が家は大阪市内の借家
早朝のいつもとは少し違う地震に飛び起き
幼稚園年少組の娘を股の下に入れ布団をかぶり
傍で寝る息子の名前を大声で呼び
隣で主人は一人
危ない危ない~と何もない壁側に添うようにいて
あ~この人は頼りにならん・・・と(笑)
あれから30年~のキミマロ節ではないが
あれから23年
普通に今の学生世代はあの震災を知らんのやな・・・と ニュースを見て知る
実際はいつもより大きな地震
くらいな感覚でその後すぐに台所で弁当作りを始めた私
(後に地震後にガスは火災にも繋がるから安易に使用してはダメとわかる・・・)
そして電話が繋がらないという現実に不安や恐怖感を実感し
徐々にテレビニュースなどで神戸が大変と知る
電話が繋がらないからと幼稚園のお友達ママさんが
幼稚園のガス管か水道管が破裂したから幼稚園は休みだよ~と知らせに来てくれた
あの日年少組だった娘の娘が
今、年少さん
そりゃ私もオババになるわなぁ
それよりニュースで普通に今の学生はこの地震知らないという現実を今頃気づく私でありました・・・そりゃ生れてないもんねぇ
その後、東日本大震災もあり
また大きな震災が起きるかもしれないので
とりあえずは避難バッグと飲料水くらいは用意しています
アオが亡くなりバッグからフードやペットシートやリードを出しましたが
次はカオが来たので
またフードやらを詰めました
あ!フードを成犬用に交換せなあかんわっ!
まだ子犬用のままや~
しっかり頼むで!お母ちゃん byカオ