京都の町中にある小さな地域の病院:原田病院の内科医:雄町哲郎が、自転車で往診から戻ると、黄疸と吐血にまみれた中年男性がストレッチャーに横たわっていた。近所のスーパーで倒れ運び込まれたその患者は、保険証を持っておらず、期限の切れた免許証から、かろうじて辻新次郎という名前と生年月日から七十二歳だと確認された。出血を止めるため緊急内視鏡の必要を告げる哲郎に、男の返事は「お金ないで。ええんか?」
第一話 半夏生
『神様のカルテ』京都バージョンという感じです。
テーマは、終末期医療(ターミナルケア)です。
四話からなる連作短編集です。
小さいながらも四十八床を備える消化器疾患を専門とする「原田病院」が舞台です。
理事長:原田百三、病院長(外科医):鍋島治、外科医:中将亜矢、内科医:雄町哲郎、内科医(元精神科医):秋鹿淳之介、外来看護師長:土田勇、病棟主任看護師:五橋美鈴に、哲郎の先輩である洛都大学准教授:花垣辰雄と並べば、そう、今回は、登場人物名が、日本酒です。
しかし、みんなから「マチ先生」と呼ばれる雄町哲郎は、大の甘党で特に餅系好き。
阿闍梨餅に、長五郎餅に、矢来餅。
他にも、頻繁に有名和菓子店の銘菓が登場します。
しかし、そんな属性には似合わないような「凄腕の内視鏡専門医」でもあるのです。
以前は、東京の東々大学病院の勤務医だったのですが、シングルマザーだった妹:美山奈々の突然の死により、甥:龍之介を引き取ることになり退局したという経歴の持ち主です。
先輩である花垣いわく、<結婚生活の泥沼を回避し、老後だけを確保した>男。
と酷い言い方。
まぁ、仲が良いから言えるんでしょうけど。。。
それが証拠に、アメリカ内視鏡学会から招聘を受け、ボストンで内視鏡のライブ指導をすることになった花垣は、助手として同行を請うのですが、哲郎の返事は思わしくなく……。
一流内視鏡術と終末期患者のお看取り。
どちらも大切なお医者さんの仕事です。
ここに、スピノザの哲学を絡ませて物語は進行します。
スピノザってよう知らんけど、有名やけど哲学の表舞台に出ることはなかったようで、レンズ磨きの職人だったそうです。
彼の磨いたレンズは、一点の曇りもない見事なもので、そこにマチ先生のお仕事ぶりが重なって見えました。
花垣からの紹介をうけ、洛都大学消化器内科五年目の南茉莉(まつり)が研修にやってきた。しかし、原田病院には高齢者の入院患者が多く、なかなか哲郎の手技を見ることができないばかりか、若い南には胃瘻さえ延命治療だとして増設しないことが受け入れられず……。
第二話 五山
こちらは、五山の送り火の頃。
マチ先生の往診先もさまざまです。
もうそろそろお迎えに応えたいと言う七十一歳の膵癌の患者さん:今川陶子は、華道の家元のお家柄。
髪が抜けるのを嫌い抗がん剤治療を拒否し、大きな屋敷で過ごす彼女に哲郎がかける言葉に、こんな先生に看取ってもらいたいなぁと思いました。
がんばらなくても良いのです。ただ、あまり急いでもいけません
そうかと思うと、同じように息子さんの介護を受けながら、脳梗塞で倒れ認知症もありながら、おだやかな日々を送っていた九十二歳の黒木勘蔵さんが、脳梗塞の再発も大きな肺炎もなく、まだまだと思っていたのに亡くなるということもあります。
親子ならではの毒舌会話も、もう交わすことがないと思うと切なくて、人を見送るというのは、本当に難しいものです。
たとえ病気が治らなくても、人は幸せに過ごすことができるという哲郎の哲学に、変えられないと決められた運命のなかでも、人は努力すべきであるというスピノザに通じるものが、ほのかに見えます。
しかし、その境地に至るまでの葛藤は、誰もが簡単に乗り超えられるものではないでしょう。
考えに考えて、真摯に生きてきた哲郎だからやろなぁと思います。
生活習慣に問題があり、食道静脈瘤破裂で運ばれてきた患者:辻新次郎は、哲郎らの適切な処置で回復したものの、安定した治療のため生活保護の申請を勧めるも拒否し、追加治療できないままの退院となった。通院と最低限の服薬は納得したものの、それ以上の説得は難しく……。
第三話 境界線
生と死の境界線?
狂気と正常の境界線?
科学者と哲学者の境界線?
そして、最先端医療の技術と人間の心の問題。
タイトルの「境界線」の意味するところが、イマイチ、よく理解できませんでした。
ただ一話から登場している辻さんの「このままにしといてくれへんか」の言葉の意味するもの、医者と個々の事情を抱える患者、ここにもまた境界線があるのだと思います。
正解がないだけに、人の心は、ムツカシイ。
そして、哲郎が出した答えが↓です。
突き詰めれば「生きる」とは、思索することではなく行動することなのである。
ボストン出張中の花垣から、小児劇症型肝不全で生体間移植した九歳の少年の緊急ERCPを、かつて哲郎が指導した後輩:天吹祥平が担当することになり、医局に出禁となっている哲郎に付き添って欲しいとの連絡が入る。一方、南は哲郎の一年後輩である講師:西島基次郎から原田病院での研修中止を提案され……。
第四話 秋
出禁なのに、手術室に赴く哲郎。
医療小説としては、ここは、一番の見せ場です。
でも、私は、辻さんの最期に泣きました。
四条警察から検死の依頼を受け、南を伴って出向いた哲郎に、辻さんからのメッセージが残されていました。
財布の中の免許証の裏に、たったの六文字。
「おおきに、先生」
「お金ないで」から三か月。
決して幸せと言える最期ではないのだけれど、読後を嫌な気持ちにはさせない終末でした。
さらりと読める物語ですが、深堀しようと思えば、いくらでも深く考えさせられるよい作品でした。
願ってもどうにもならないことが、世界には溢れている。意志や祈りや願いでは、世界は変えられない。そのことは、絶望なのではなく、希望なのである。
人は無力な存在だから、互いに手を取り合わないと、たちまち無慈悲な世界に飲み込まれてしまう。手を取り合っても、世界を変えられるわけではないけれど、少しだけ景色は変わる。真っ暗な闇の中につかの間、小さな明かりがともるんだ。その明かりは、きっと同じように暗闇で震えている誰かを勇気づけてくれる。そんな風にして生み出されたささやかな勇気と安心のことを、人は『幸せ』と呼ぶんじゃないだろうか
【おまけ】
◆二刀流
「第三話 境界線」で、哲学の方向に振り切れた医者は、現場から遠くはなれた書斎で小説でも書いているだろうという花垣先生のセリフがあるのですが、まさか作者ご自身のことじゃないですよね。
いやここは、現場で小説だから、二刀流ですね。